フォークという体裁、思念のあらわれ

私がPPMへの動機をもらったのは地域の喫茶店で地元の活発な知人が音楽喫茶のようなイベントを企画したときに数曲PPM(ピーター・ポール&マリー)のレパートリーをやっていたからです(2023年の秋でした)。その知人はフォークをテーマに選曲した旨を言い添えて、日本のものも英語のものも混交で数十分間、お仲間と演奏されていました。

フォークも言葉の意味が広いですね。フォークってなんなんでしょう。

PPMのようにギターを持って、歌う。数人で歌うフォークもあるでしょうし、たった一人で弾き語るフォークもあるでしょう。「四畳半フォーク」などという、あらためてその言葉の質感をまじまじと受けると謎にも思える言葉にも出会ったことがあります。フォークですら意味や観念が広く限定しづらいのに、そこに狭くて質素そうな暮らしを思わせる語句「四畳半」がつくのです。なんなんだコレ。

Wikipedia>フォークソングの冒頭数行のなかに“民衆の価値観や生活の実感から生まれてきた歌を指すが、民謡から派生したポピュラー音楽をも含める”という説明があります。なるほど、非常に腑に落ちる感があります。フォークのホワっとした観念の広さをバフォっと漠然と言いくるめて思えるからです。結局よくわからない……?

PPMをフォークと言ってしまっていいかわかりませんが、率直に生活の実感や価値観、思念や感情が生み出す表現だと思うと、PPMどころかすべての音楽がフォークになりえる気さえします。ギターをかかえて弾き語るスタイル、あるいはそれを拡張したりアレンジしたりするがあくまで中心にあるのは弾き語りである、という音楽スタイルが概ね好きな私が、「フォーク」の文脈やタグ付けで語られることのあるアーティストや楽曲を気に入る例が多いのもひとり合点できます。弾き語りは、くらしの実感や個人の思念や感情との距離が近く直感的な様式だと思うからです。

たとえばブルースも、ひとりでギターをかかえて演る、あるいはそのスタイルの拡張やアレンジを図ってはいるがあくまで中核にあるスタイルは弾き語り(器楽:インストゥルメンタルであっても)的なものである、という点では「フォーク」の文脈やタグ付けで語られることのある音楽と共通性が見出せる気がします。

では私の思うフォークとブルースの違いはなんでしょうか。悲哀の存在かしら。ブルースは悲哀だ、というイメージが私の中にあります。でも、フォークだって、暮らしの実感やそのさなかで培われる価値観、感情や思念のドリップだと思えば、悲哀をふんだんに含んでいたっておかしくないと思います。

フォークとは何か、ブルースとは何か、ロックとは何か、ジャンルとは何かを考えるのはこうして書いているぶんには楽しいものです。そんなタグ付けやカテゴライズが果たして必要なのか?といわれると、音楽の世界を気軽に訪れた人のための道標や道案内になると思うので、「必ず要る」かどうかは知りませんが、ジャンルづけというタグや括りは「役には立つ」気がします。括ることで分かった気になってしまうことの良し悪しもあるとは思いますけれど。

Peter, Paul and Mary Leaving On a Jet Planeを聴く

作詞・作曲:John Denver。Peter, Paul and Maryのアルバム『Album 1700』(1967)に収録、シングルカット(1969)。

密集したハーモニー、演奏のダイナミクスで聴かせるPPMの持ち味を象徴するパフォーマンスです。マリーの、泣き腫らして夜明かししたあとみたいな歌い出しのか細い心情を映したような歌唱のニュアンスが好感です。ギターのストラミングとともにうわっとハーモニーのダイナミクスで迫ったり、鑑賞者を不安にさせるくらいにぐいっと引いて(ダイナミクスをおさえて)起伏を演奏につけています。見習いたいところがいっぱいです。左にギターの定位。男声の高いほうのボーカルも左。右に低いほうの男声、真ん中付近にベースでマリーのボーカルも真ん中。じつにシンプルでPPMの価値観、身の丈をくもりなく映す音楽スタイル・編成・様式であるのを思います。

歌の内容がじつにせつない。いきたくない。いかなくちゃならない。きみと離れる日がこなくて済むならそれがいいはずなのだけど、やっぱり主人公は行くしかない。悲しみのジェット・プレーンは交通手段がそれだ、というシンプルな意味もあると思いますが、空を、圧倒的な神秘の科学で素早く飛んでいってしまう……その飛躍や飛翔の観念を歌っているような気もします。

空を想起させる表現を含めたり、そういうモチーフを直接歌詞に用いる歌は多いです。祖先からずっと空をみて何かを思ったり、心を決めたり、あるいは悩み漂ったりしてきたのを思います。そこをスパっと、あるいはふわっと浮かび、滑る機影。悲しみのジェット・プレーン。都市の空も田舎の空も縦横無尽に横切る飛行機は、数多の思いを今日も乗せているはずです。見上げるそれにやる目線、その見え方が多少なり違って思えるかもしれない。今日も空を交っている、人の心を思います。

青沼詩郎

参考Wikipedia>悲しみのジェット・プレーン

参考リンク 音時(オンタイム)さんのブログ 洋楽和訳 Neverending Music>Leaving On A Jet Plane / 悲しみのジェット・プレイン(Peter,Paul & Mary / ピーター・ポール&マリー)1969 楽曲の概要と歌詞の内容の和訳を適確かつねじ曲げることなくご自身の言葉でわかりやすく書いており音楽愛を感じる記事です。記事を読んだ方のコメントの数々も楽曲やこの記事への共感と影響を思わせます。ジョン・デンバーが自身の操縦する飛行機の墜落で亡くなっていたとは初めて知りました。

参考歌詞サイト 歌ネット>悲しみのジェット・プレーン ビリーバンバン・小林啓子名義で原詞どおりにカバーされている様子。

参考Wikipedia>ジョン・デンバー

参考Wikipedia>ピーター・ポール&マリー

『Leaving On a Jet Plane』を収録したPeter, Paul and Maryのアルバム『Album 1700』(1967)

『Leaving On a Jet Plane』を収録したJohn Denverのアルバム『Rhymes & Reasons』(1969)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Leaving On a Jet Plane(Peter, Paul and Maryが歌ったジョン・デンバーの作詞作曲)ギター弾き語り』)