まえがき 宅録仙人ライフとアルバム『青沼詩郎』
2020年5月に音楽ブログを始め、同年7月から弾き語りの一発録り動画の一日一曲公開をはじめた私。
それ以前は自分の欲する音楽を思うままに作ることを主体にやってきましたが、ブログや弾き語り動画を公開しながら世の素晴らしい音楽作品に触れていると、それらから得る刺激をきっかけに作品が生まれることも増えました。
独善的に、自分の中の音楽や言葉のおもしろみを動機に作品を生み出すことが多かった私でしたが、他者との関わりにきっかけを得て作曲する機会も増えつつあります。
そんな私のひとり多重録音ソロ音楽ユニット・bandshijinの2020年頃以降の作品がアルバム『青沼詩郎』(2023年5月20日)になりました。収録曲を紹介するかたちで、宅録好きのガラパゴス仙人な私がいかにして世の人や作品と縁を感じるのか、甚だ一方的ではありますが曲作りのきっかけやプロセス、アイディアや試みについてふれたお話をするのにお付き合いください。
魔鴨通り 『リバーサイドホテル』と『Eleanor Rigby』
魔鴨通り 制作メモ
ギターの弾き語りとハーモニカの一発録音にドラムス、ベース、アナザーギターや鍵盤類、バックグラウンドボーカルなどを足し算していく私の定石にして宿命の手法です。
使用するDAWのLogicに入っているプラグインのエレキギターのデフォルトパッチにある、遅延した音を付加しほどよく歪んだトーン(Brighton Slapback)を気に入り用いています。ブリッジミュートしたアルペジオでリズムを添えたり、メインボーカルを意識した対旋律を奏でたり、間奏でハーモニカが再現するサビのボーカルモチーフを追いかけたりと音楽上の意匠を豊かにする役割をふんだんに与えています。
アナログモデリングシンセ・YAMAHA Reface CSのウェットで金属質なトーンがリズミカルで懐古的な雰囲気です。間奏の部分ではピッチがポルタメントするレバーを8分音符単位で動かしてオクターブを目まぐるしく上下。回転灯を備えた緊急車両のような趣を感じたので定位を動かす遊んだミックスを施しました。
演奏パートはアコースティック・ギター&ボーカル&テン・ホールズ・ハーモニカ、ドラムス、ベース、エレキ・ギター、シンセサイザー、バック・グラウンド・ボーカルです。
『リバーサイドホテル』音楽と言葉の複合リフレイン
『魔鴨通り』を作曲した時期の私は、井上陽水の『リバーサイドホテル』(シングル、アルバム『LION & PELICAN』、1982年)に打ちひしがれていました。
歌詞 “部屋のドアは金属のメタルで” “ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイド”(作詞:井上陽水)などのラインに注目するに、重複する意味の表現や単語を隣接させています。
文章を豊かに綴るには、重複を避けた表現を積極的に選ぶのは作法といっていいでしょう。一方でこれは「新聞」など、適切で正確な質量の情報をスムースにユーザーに伝えるのを尊重するメディアにおける技術でしかないのも事実です。
音楽には「リフレイン」があり(もちろん文芸にもあります)、同一のモチーフを繰り返すことで印象付け、快感や愛着を高めることができます。『リバーサイドホテル』にみられるのは、音楽上のそれと同時に展開する言葉の意味のリフレインなのです。
井上陽水がみせたこの気まぐれに痺れた私が自作『魔鴨通り』の歌詞に映り込んでいる部分があるとすれば“君じゃない君はどこ? いつから今は今なんだ?”(作詞:青沼詩郎)なのですが、井上陽水のぬめり・照りのある卓越した質感にはほど遠い現状に目を背けたくなる思いです。気まぐれに連なり、思いつきのままに戯れる『魔鴨通り』2コーラス目のヴァース(Aメロ)折り返しの歌詞 “なよなよすんなよ 夜な夜な読んだ ノルウェイの森ならば 守りに入る修羅場 まばたきするならば CMの間 油断も隙もありゃしない”(『魔鴨通り』より、作詞:青沼詩郎)あたりは自分では気に入ってはいます。
The Beatles『Eleanor Rigby』謳歌する架空の固有名詞
この時期にやはり私の気を惹いたのが時代・地域を飛びますがThe Beatles『Eleanor Rigby』(シングル『Yellow Submarine』、アルバム『Revolver』1966年)です。弦楽四重(八重)奏をフィーチャーし、メンバーの演奏はボーカルのみであるというThe Beatlesの音楽の革新的な幅を証明する傑作のひとつなのですが、この楽曲において私の気を惹き付けたのは楽曲を俯瞰したところにあるアイディア面についてで、『Eleanor Rigby』が架空の固有名詞であるという点にあります。
作曲者のポール・マッカートニー(レノン=マッカートニー)は世にある固有名詞を組み合わせ“Eleanor Rigby”を生じさせたといいます。同名(“Eleanor Rigby”)の人物(や、その墓)は確かに実在しますがその人物を直接モチーフにしたり名前を借用したりしたのでなく、ポール・マッカートニーが実在の固有名詞を組み合わせて生じさせた架空の固有名詞が実在のそれと一致しただけ、と理解するのが適当のようです。
英語力に難のある私ではありますが、The Beatles『Eleanor Rigby』本編でも何やら歌詞に固有名詞が登場し、この楽曲のサウンドが物語る感情のいどころが曖昧でどこか深刻な世界が展開するのを肌で感じます。精神が分裂してしまいそうで、墓前に供えられた花弁が散るような脆弱でおどろおどろしい美しさを備えています。
世界的傑作を念頭に置きつつ拙作の話に戻しますが、いうまでもなく『魔鴨通り』は架空の固有名詞です。私の頭の中と、現実のこの世界に共通し存在する固有名詞をいくつか紹介すると“鴨川(京都の河川、千葉の地名)”、“巣鴨(東京の地名)”があります。また一般名詞といいますか生き物の名前として“真鴨”があります。
コーラス(サビあるいはBメロ)の冒頭の歌詞“帰れない”に続いて、私は例えば“マドモアゼル”のようなクセ強で自分と縁遠い単語を用いたいと感じました。ですが“マドモアゼル”では私の望むメロディの進行に対して字脚やアクセントにやや無理があります。実在する一般名詞や固有名詞を用いる壁を迂回した私が脳内生成したのが“真鴨通り”です。これを生じたのは、先に述べた京都や千葉や東京に実在する地名や生物の名詞:観念が素材になってのチャンポンだと思います。
これに並行して思いついた駄洒落が“真鴨通り→魔が戻り”でした。慣用表現として“魔”は“差す”ものですが、“戻る”こともきっとあるでしょう(弁明)。“舞い戻る”も混ざったのだと思います。結果、架空の地名“真鴨通り”と“魔が戻り”を合成して生じさせたのが曲名の『魔鴨通り』です。
『魔鴨通り』は4/4拍子で進行しますが途中で6/8拍子に変わり、また元(4/4拍子)に戻る二面性を露呈します。また曲頭と曲尾に水の音がミックスしてあります。採録地は長野県松本市内の用水路で、宅録の音とフィールドの音の融合も二面性の顕れかもしれません。
papabeat(東京・八王子)の“お題作曲イベント”
『魔鴨通り』は八王子にあるライブハウス・papabeatで開催された“お題作曲イベント”(と私が呼ぶ、papabeatスタッフ主催シリーズ)のために作りました。この回は“帰り道に聴きたい曲”というテーマで演者が書き下ろしを持ち寄りライブ演奏する主旨で、“帰り道に聴きたい曲”に対する私のひどく安易で愚直な反抗がコーラス(サビもしくはBメロ)頭の歌詞“帰れない”として顕れています。
papabeatではお題を変え同様の作曲イベントをしばしば開催しています。映画を題材にする回もあり、アニメ映画『時をかける少女』を題材に作詞作曲を行う回に参加した際に私が持ち寄ったのがbandshijin『窓の外のヒカリ』でそちらは段取りを改めて紹介したいと思います。
まとめ 『魔鴨通り』のレシピ
・八王子・papabeatのイベント
・井上陽水『リバーサイドホテル』
・The Beatles『Eleanor Rigby』
・宅録とフィールドワーク
拙作『魔鴨通り』に関して私が思い出すことの上位は上記の通りです。
ちなみに水の音の採録地の長野県松本市は私の妻の故郷で実家があります。エンディングの水の音を極力大きな音で聴くと、非常に微かな音量ですが(エレキギターが音を伸ばし終えるノイズに重なって)私の長男が私の名前を呼ぶ声が入っています。彼の目には水路の脇にしゃがんで水で遊んでいるように見えたかもしれません(実際、その通りですが)。私の名前を呼ぶ声を微かに含んだトラック『魔鴨通り』を1曲目に、アルバム『青沼詩郎』が始まる……という意匠にしたつもりです。
青沼詩郎
ザ・ビートルズ(UNIVERSAL MUSIC JAPAN)