かぐや姫 マキシーのためにを聴く

作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、編曲:吉田拓郎。かぐや姫のアルバム『はじめまして』(1972)に収録。

なんといいますか、とても「バンド」然としています。フォークグループかと言われると、歌詞の内容なんかは本当にそれっぽいのですがサウンドがロックです。とても良い。

左でシックスティーンを細かく刻むアコースティックギター。右にはカドのまるいトーンでチョーキングする、なんだか猫の鳴き声みたいなエレキギターが合いの手をうちます。左にも鋭いトーンのエレキギターが垣間見えますが、Bメロのところでまた左寄りだった定位を中央寄りに変えて鋭い歪んだサウンドのエレキギターがコードをジャーンと鳴らします。激しい。

ドラムスのハイハットもシックスティーンをアコギと一緒に刻みます。局面によってオープンにしたハイハットで刻みを減らします。ベースと一緒になって、キックでも16分割のずらしを効かせるよう。ベースのサウンドはファットで、ガバっと面でバンドの定位を包み込むようです。

オルガンのトーンが存在感があり、間奏の間を埋めるのはオルガンが担います。音域も広めに及び華やかなサウンドと演奏です。主題の“マキシー”を複数のボーカルでハーモニー。印象づけます。

理想の楽園を拓く街

“青山に でっかいビルを建てて おかしな連中 集めて 自由な自由な お城を造ろうと”

(『マキシーのために』より、作詞:喜多條忠)

類は友を呼ぶといいます。大学の部室みたいな場所をそのまま社会の中につくってしまう。いつの時代もそういう空気はあると思いますし、この時代特有のそういう若い人らのつるみ方もあったのではないでしょうか。上京すると、そこでの環境が自分のすべてです。そこで関係も居心地のよさも築かなければなりません。良くも悪くも、故郷を顧みることなく、その場所(東京でしょうか)は楽園にする必要がある。こういう感覚は、東京出身者の私には致命的に欠けるものです。単純に野心の強さの話なのかもしれませんが、やはり故郷からわざわざ出てきている人が、その場所を理想の楽園にするために燃やせる魂というものがあるのではないでしょうか。もちろん、“マキシー”が地方出身者で上京組かどうかはわかりかねます。「上京してきている」という状況が、嫌でも成すべきことを成さねばならない、そのためのモチベーションになりうるというだけの話であって、東京出身者でも理想に向かって野心を燃やし行動できる人はいます。そこは関係ないかもしれませんが、傾向くらいは認めるべき部分があるかもしれません。

マキシーの死は愚行か

“マキシー どうして自殺なんかしたのか マキシー 睡眠薬を百錠も飲んでさ 渋谷まで一人で歩いていって ネオンの坂道で 倒れたって 馬鹿な奴だったよ お前は最後まで”

(『マキシーのために』より、作詞:喜多條忠)

目的や理想のために鋭く精度高く行動できてしまう人ゆえに、生と死を客観的にはかりにかけて死を選んでしまうなんてことがありえるでしょうか。そもそも、その人格の突進力、突貫力は、精神の不安定さから来るもので、生と死を冷静に秤にかけたうえで死を選んだのがマキシーの最後だったかどうか、なんてことは私にはわかりません。この歌をうたう主人公には“馬鹿な奴だったよ お前は最後まで”と言われてしまいます。ときに、広い視野や客観、冷静さに欠ける突飛な行動をとりがちなのが“マキシー”のお人柄だったのでは? と想像させます。主人公がマキシーと仲が良かったり、愛着や親密さを感じていたりするからこそいえる“馬鹿な奴だったよ”があります。“マキシー”のことを何もしらない輩が、自殺という行為そのものを一蹴するように“馬鹿な奴”と吐き捨てるのとはわけが違います。主人公にとってマキシーは馬鹿な奴だったのと同時に、深い敬意や友愛の対象だったのではないでしょうか。

束の間の別れ

“悲しみを抱えたままで 夜空に光るお前の 星を捜すまで さようなら マキシー”

(『マキシーのために』より、作詞:喜多條忠)

主人公とマキシーの間だからわかる、あるいは主人公がマキシーを観て察している悲しみがあったようです。悲しみとか怒りとか、ネガティブ(とも言い切れませんが)な感情や境遇は、それこそ行動を起こすパワーに直結します。マキシーという人を語るうえで、外せない、深い深い生来の事情があるのを想像させます。主人公ですら、そこまでは知り得ない。“どうして自殺なんかしたのか”といっています。その疑問が解ける日が、「星を捜せた日」になるのでしょうか。マキシーの漂うかもしれない空のもと、時に忘れたり思い出したりを繰り返しながら、旅をつづけるのが主人公であり、あなたや私なのです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>はじめまして (かぐや姫のアルバム)

参考リンク TAP the POP>南こうせつとかぐや姫に書いた歌~「マキシーのために」 自分にあるものを書けばいいという喜多条さんらしく、実話をもとにして書かれた歌詞だとわかります。歌詞に登場する単語も具体的です。マキシーにつけられていた“ピラニア”というあだ名による“ピラニアのために”が原詞のタイトルだったようです。たとえば意見の違う相手をつかまえて終わりのない議論を重ねる人だったのでしょうか。詮索するのは賤しいかもしれませんが、「真貴志」さんという苗字も存在しますよね。そのまますぎるか……?

参考歌詞サイト 歌ネット>マキシーのために

南こうせつ 公式サイトへのリンク

『マキシーのために』を収録したかぐや姫のアルバム『はじめまして』(1972)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『マキシーのために(かぐや姫の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)

ご寛容ください 拙演 マキシーのために(かぐや姫の曲)ギター弾き語りとハーモニカ