2コーラスあって間奏があって間奏後の最後のコーラスはAメロが欠けていて……という定番、といいますかポップソングとして不足も過ぎることもない、ごくきれいな良い意味で「普通の」構成で、決して突飛なつくりではないのになぜ6分を超えるのだろうと不思議です。これが冗長でとても聴いていられない……という駄作であれば何も不思議でないのですが、何度聴いても「え、6分?!」という長さが嘘のように思えてならない。黙って、スムースに聴き入って、見事に至福の6分間が過ぎてしまうのです。
ひとつはテンポが遅いことでしょう。BPM=55くらいでしょうか。1分間を費やしても55拍なわけです。仮にBPM=60であれば、1小節に4拍打つ16小節を演奏するのに64秒。それよりはもっと遅いわけです。おまけにBメロのおわりで“……生きてきた (Uh uh uh)”と、不完全な小節をはさみつつ軽めにブレイクするような演出(ただのフェルマータともとれそうです。「※」で後述します)にもなっており、これによっても10秒は言い過ぎですが数秒、平坦なままのアレンジで過ごすよりは贅沢で貴重な時間がより大切に、ゆっくりと流れてくれる演出といえそうです。
前奏(5小節)に20〜22秒程度(〜0:22頃)。
1Aメロ(8小節)に34秒程度(〜0:56頃)。
1Bメロ(2拍しかない1小節が含まれると考えた場合、10小節)に42秒程度(〜1:38頃)。
1A’メロ(4小節)に17秒程度(〜1:55頃)。
と、ワンコーラスをなす各部分の長さをみるとざっとこんな感じでしょう。
前奏が5小節である。Bメロが不完全小節を含み、ちょっと多い。時間をていねいにつかって、その構成部を貴び、回顧したり愛しい想いで眺める時間をもうける演出こそが、この楽曲がかえってリスナーに時間を忘れさせるギミック(仕掛け)になっているようです。「間」をとるべきところでは惜しまない。そのことによって時間の貴重さ、ありがたさが増長して感じられるのです。経過する時間が長くなるとそのぶん絶対的な一定の時間の価値は下がるはずなのに、音楽って不思議なものです。
この2分に届くか届かないかくらいのコーラスが、間奏のギターソロありで2コーラスあって、3コーラス目はAメロ省略形でつく。
5分33秒ごろでテンポを緩ませ、5分38秒頃から、2本のギターがかけあい、寄り添い合うエンディングがつきます。なるほど、この2本のギターは楽曲『PRIDE』に出てくる「私」と「貴方」のシンボルなのかもしれません。このエンディングがつくことで、6分6秒程度でトラックがフレーミングされるところまでのさらに約30秒弱の貴い時間がリスナーにギフトされます。
独奏する、リードをとるのはラインで収録したのかと思うような極めてプレーンなギターのソロトーンです。ここまでプレーンで澄み渡る純粋な音色のラインっぽいトーンも貴い。なかなかほかで御目にかかることのない水準を感じます。
全編を通して歌に寄り添いきるエレキのクリーン〜クランチのバッキング。これがおそろしく巧い。語彙が豊かで、尽きない泉のように水面を揺らしつづけ、ボーカルの光を反映し、輝きを撒き散らします。
豊かなパーカッションを味方につけた潤沢なのに平静なアレンジメントも貴い。
ボーカルメロディの音域が1オクターブにおさまっているのも驚きです。終始、感情のおちついた快適できもちのよい時間、鑑賞体験をくれる些細な理由のひとつかもしれません。なんだかんだ、大衆歌の多くは1オクターブと数度……10度くらいの音域を用いてドラマを展開する楽曲が多いと思うのです。そのおかげでエモくなるのもひとつの真実ではありますが、今井美樹さんの『PRIDE』のような、恒久な時間の経過を忘れさせる穏やかで息の長い印象の演出は、この楽曲のひとつひとつの些細な要素の掛け合わせの織りなす奇跡に思えます。そのなかの要素の一つが1オクターブの歌唱というだけなのですが。
こんなにおちつきのある平穏な印象のラブソングなのですが、細部を凝視したり全体を見渡したりすると目を見張るようなおどろき、意匠の妙で満ちています。貴い、に終始する傑作です。一体になる時間と心。
青沼詩郎
『PRIDE』を収録した今井美樹のアルバム『PRIDE』(1997)
Miki Imai Tomoyasu Hotei プライド
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『PRIDE(今井美樹の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)