灰色のページが光彩をはなつ
はっぴいえんど、大滝詠一、山下達郎、松本隆などへの興味から、KinKi Kids『硝子の少年』を最近鑑賞しなおしました。ジャニーズの歴史をかいまみるとフォーリーブス、初代ジャニーズなどがあることに思い至り、その初代ジャニーズが歌った曲のひとつに『涙くんさよなら』があり、それを作曲したのが浜口庫之助で、浜口庫之助の作品は枚挙に暇がありませんがひとつに『みんな夢の中』があります。
私はこの歌の発売当時を知る世代ではないのですけれど、音楽のネタさがしに歌本(ポップス等愛唱される歌のコードメロディ譜を集めて掲載した本)をよく利用していて、それで出会いました。歌本は私が聴いてこなかったメロディに出会えるので重宝しています。ネットでのスポット検索や関連の表示によっても、こうした「自分の知る世代以外のもの」との出会いがあると思いますが、意外とそれも自分のネットの使い方の凝り固まりのせいで同じようなもの、偏りのあるものとの出会いばかりになってつまらなさを感じる時もあるので、やはり紙の本での出会いも面白いものです(レコードショップにも私はもっと通うべきと自戒を覚えます)。
自分の知見を更新していると、紙の本で以前は何気なく読み飛ばしてしまったページに目が止まることも多いです。たとえば、浜口庫之助が作詞・作曲した『涙くんさよなら』も『みんな夢の中』も、私が頻繁に開いている同じ歌本に載っていたにも関わらず、以前の私は「ふぅん、こういうのもあるのね」程度に読み飛ばしていました。ところが、冒頭で述べたように、自分の興味にしたがった地続きに音楽を辿り、その繋がりが自然に至ったとき、かつては灰色だったページが光彩を放って私に存在を示し始めるのです。
『みんな夢の中』曲について
高田恭子のソロデビューシングル。1969年発売です。作詞・作曲:浜口庫之助、編曲:小谷充。
『みんな夢の中』高田恭子の映像
「今週の歌は」とはじめるナレーション。当時の毎週放送の何らかのテレビ番組の映像でしょうか。「キングレコードの新人」と紹介していることから、「歌手といえばレコード会社に所属」が主流だったのかなと想像します。いまでももちろんそれはあるでしょうけれど。
カラーだったらどんな彩りだったのでしょう。木々は葉のついたものも冒頭付近に映りますが、ほかの木々の枝の多くは裸にみえます。撮影時期は冬でしょうか。映像中の高田恭子の服装だと寒くはないか……などと余計な心配をしてしまいます。
衣装の両ソデのドット柄が、ある年代を思わせます。現在こういうファッションをすると、1960〜70年代に関心のあることを示す自己主張にもなるかもしれません。もちろん、当時は当時で、こうしたファッションの特徴はさらにさかのぼった年代の何かしらのリバイバルなのかもしれません。私がファッションに明るければここでもひとくさり脱線できるでしょう。
「社会の成熟」で片付けたくはありませんが、現在ではファッションもある程度選べる豊かさや多様性があり、この映像の高田恭子のような服装・髪型・化粧をした人が、今この瞬間どこかの街を歩いていても悪目立ちしないはずです。
みんな夢の中 リスニング・メモ
タンバリンがシャリシャリと華やか。シェーカーあるいはカバサのようなシャッシャッという音も聴こえます。ライドシンバルの音色・スティックの共鳴がブライト。ドラムスはスネアがリムショット。ストリングスのメロディ、グロッケンが彩ります。
高田恭子の歌唱は、歌謡や演歌の匂いもしますがちょっと垢抜けた感じも持ち合わせていて好演です。
ドラムスはBメロでリムからオープンサウンドへ。
ガット(ナイロン)のギターが中央付近から、12弦のスティール弦のギターが左のほうからオブリガード。エレキ・ギターがン、チャッチャといった感じで2拍目のオモテ・ウラ付近にアクセント。
ワンコーラス後の間奏には木管(クラリネット?)ソロから12弦ギターへソロのバトンを渡します。
2コーラス目はメロ部分にも木管楽器の存在感。
エレキベースのピック弾きのグリグリした質感のアタック音がエンディングで目立ちます。
歌詞
“冷たい言葉で暗くなった夢の中 みえない姿を追いかけてゆく私 泣かないで なげかないで 消えていった面影も みんな夢の中”(『みんな夢の中』より、作詞・作曲:浜口庫之助)
3コーラス目の歌詞が私にすっと入り、胸に滲んで沁みます。現実のあれもこれも、みんな夢の中……と結ぶかのよう。境目がなくなって溶けてしまいそうです。つらいこと、理想とちがうことは現実じゃなかったらいいのに、これが夢だったらいいのに……。
夢を現実に置き換えたらどうでしょう。どうせ現実だもの。あれもこれも、み〜んな現実。夢も現実に含まれているのです。反対じゃないかって? 夢と現実の呼び方が、これまでの私の思っているのとひっくりかえった想像をしてみる。みんな夢の中。現実さえも、夢に含まれるのです。夢は望ましい世界の比喩でもありますが、その逆もあるのでしょう。だんだん溶け合って、わからなくなってきました。もともとそういう、渾然一体のものなのかもしれません。
後日の高田恭子?
後年のパフォーマンスでしょうか。高田恭子が「浜口庫之助の門下生となった」とナレーション。なるほど、作詞・作曲家のもとに歌手がつくという関係(ならわし)があったようです。現在でももちろんあるでしょうが、「師弟関係」みたいなものは、いまの日本の商業音楽界の感覚とはだいぶ異なるかもしれません。もっとフラットでフレキシブルに、キャリアの異なる人間が自由につながっては離れていくイメージがあります。ここでも、私が業界に明るい人間であればもうひとくさり脱線できるのでしょう。
後年の映像は、歌唱の印象がオリジナルとだいぶ変わりました。歌の乗せかたの、うしろ方向へのひっぱりが熟した印象です。夢(現実)の中で磨かれ、変わっていったのでしょう。夢(現実)は人を変えるのですね。
玉置浩二のカバー
イントロのハミングはいかにも私にとってのキング・オブ・ポップシンガー:玉置浩二の貫禄です。「夢の中」を演出するボーカルの最小限の残響づけ(例えば1:03頃、“みんな夢……”)が粋。エレクトリック・ピアノのまるい衝突音、ナイロン系のギターのぽろぽろといったストロークが雰囲気をつくります。バックグラウンドボーカルに女声。玉置浩二のメインボーカルとともに、息、子音がしゅわしゅわ・ぱちりと耳の奥をくすぐります。
やさしいブラスがふわりと抱擁する2メロ。低い音域、なめらかなポルタメントはトロンボーンでしょうか。ふわりとストリングスがレンジを広げます。最終コーラスはAメロからのオーボエオブリ。鋭いシェイプの音の輪郭が、寂しく誇り高い鳥の軌跡を思わせます。
“おんなごこ ろは”(0:30頃)と大胆なところでアーティキュレーションを分つ歌唱が気になりました。歌を自分のものにして、自由に意のままにパフォーマンスしている印象です。
ハマクラ先生の粒よりの作品を、柔和で生々しくセンチメンタルな音で再解釈した玉置浩二氏のカバー、これまた夢中にさせます。
青沼詩郎
『みんな夢の中』を収録した高田恭子『夜もバラのように』(1970)
高田恭子『みんな夢の中』を収録したコンピレーション『青春歌年鑑 ’69 BEST30』
玉置浩二『みんな夢の中』を収録した『群像の星』。エレピ、少しゆらめくエフェクト(トレモロとコーラス?)をかけたようなギターがまったりとした空気。女声コーラス、ふくよかな音色の金管楽器、オーボエもいて曲想を彩ります。
村上紗由里『みんな夢の中』を収録した『遠雷』。波の音にはじまり波の音に帰ります。ウクレレ(定位:左)、スライド奏法のアコースティック・ギター(定位:右)に囲まれたボーカル。すっきりと澄んだ歌声です。
私がよくネタ探しにつかう歌本の最新版『歌謡曲のすべて 下 2021年度版 (プロフェッショナル・ユース)』