長い髪の少女を聴く
確かな演奏と歌唱を感じます。箱バンとか、ソロ歌手のバッキングなども務まりそうな確かさです。実際、彼らのウェブサイト(アルタミラ・ミュージックサイト)に“米軍の居留地であった横浜・本牧の外人専門クラブ「ゴールデンカップ」の専属バンドとして活動を開始”とあります。バンド名はそこからそのままとったようです。つまり、まさしく「箱バン」だったのですね。
抒情的で哀愁ただよう歌唱が楽曲の情景と和声のかなしげな響きをぞんぶんに表現します。メインボーカルはドラムスボーカルのマモル・マヌーさんだと思われます。ユニゾンでメインのメロディを確かなピッチで厚くするのはメンバーの歌唱でしょうか。ハーモニーになるところもあったり、また”どうぞ”の単語を歌いわけるなど、グループ、チーム、複数のメンバーの集まりとしてのバンドらしく、鑑賞者の視線を動かす細かい工夫がきいています。
まんなかにボーカルがきこえ、左にはドラムス、右にはベースというこの年代らしい、重みのあるベーシックパートが左右に開く定位が現代の常識からすると独特です。録音方法も異なるでしょうから、これでよかったのかもしれません。具体的には、現代はマルチマイクでドラムスの音色も、タイコごとにきれいに分けて収録してミックスすることで録音作品としての(実はありえない)ドラムの音を作ってしまうのが慣例でしょう。1960年代くらいのGSバンドのドラムのサウンドの多くは、そんなにタイコひとつひとつを分けるほどの本数のマルチマイクじゃないんじゃないかな、と私は思います。主にトップスなどに、まとまって入る、ドラムキット全体の音が空間に放出する音です。自然な響きで、キット全体が場の空気を動かす生の記録という感じがして私は好きなサウンドです。
右からきこえる独特の線の輪郭に特徴のあるギターは12弦タイプでしょうか。楽曲の情感をよく表現しています。左からもアルペジオのようなバッキングのギターがきこえるのと、ストリングスがうるわしい表現をそえます。バンドの確かな演奏を基本に、アレンジメントの華が添わっているのを感じます。編曲は作曲を担当した鈴木邦彦さん。職業作家さんの提供によるバンドのレパートリーといった感じでしょう。歌詞はこれまた、職業作家として私の好きな音楽を多く書いた筆頭の橋本淳さんですね。筒美京平さんと多くの作品を発表しています。
少女の髪の奥の表情は
“長い髪の少女 孤独な瞳 うしろ姿悲し 恋の終り どうぞ僕だけに 心をうちあけて どうぞ聞かせてね 愛の物語”
”長い髪の少女 涙にぬれた たそがれの中で 誰をさがす”
(『長い髪の少女』より、作詞:橋本淳)
主人公は、少女の終わった恋の相手ではない……当事者ではない感じです。ストーリーテラーなのだけれど、傍で、少女と接触できる程度の距離感にある存在……といった感じです。これから主人公と親密になる未来があってもおかしくなさそうですし、単に、少女の傷心の胸の内への傾聴者、という「神から目線」の亜種のような存在でもあります。楽曲の平静な目線としては、未来の少女との親密な関係を築く者、というよりは、少女がみるモノクロの失望の世界をそのまま伝えるストーリーテラーの体裁をしているように思います。
こういうスタンス、距離感で恋を描いてしまうのが、職業作家が提供する楽曲であり、ある意味歌い手をえらばないのかもしれません。確かな演奏力や表現力をもつ歌手やグループがそれを演奏すれば、サウンドとして良いものになるのが約束されたみたいな……1960年代とか、私が好きな要因のひとつかもしれません。ザ・ゴールデン・カップスは、そうした時代に活躍したなかで、前述のとおり、幅広く確かな表現と演奏・歌唱力をもったバンドの指折りのひとつではないでしょうか。
青沼詩郎
ザ・ゴールデン・カップス アルタミラ・ミュージックサイトへのリンク
『長い髪の少女』を収録したザ・ゴールデン・カップスのアルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム第2集』(1968)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『長い髪の少女(ザ・ゴールデン・カップスの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)