高田渡の曲を短期間につづけて味わっているこのところの私。
スリーコード
私はコード進行が大好きだ。
好きというのもヘンかもしれない。
コード進行に寄せる関心が強い。
先に上げた、高田渡の3曲。
これらはすべて、たった3つのコードでできている。
いわゆるスリーコードというもの。
和音分析好きっぽく表すとⅠ、Ⅳ、Ⅴである。
それぞれにトニック、サブドミナント、ドミナントという機能がある。
トニック(Ⅰ)は安定、ドミナント(Ⅴ)は不安定。サブドミナント(Ⅳ)はやや不安定。
安定(Ⅰ)を出発して、安定(Ⅰ)に帰りたくなる。
安定と安定(ⅠとⅠ)の間には、不安定(Ⅴ)や「やや不安定(Ⅳ)」が入る。
それで音楽がつくれるのですよ(誰)。
コード分析好きをしていると、音楽を聴くときコードがいかに幅広く複雑かということに目が(耳が)行きがち。でも、このスリー・コードをいかにつかうかだけでも、さまざまな曲が生み出せる。少なくとも、高田渡の『値上げ』『生活の柄』『銭がなけりゃ』がそのことを証明していると私は思う。
『値上げ』
22分44秒頃〜『値上げ』。作詞者は有馬敲。原作は『変化』という詩。曲を高田渡がつけた。
ひとりの政治家が、その意志の表明をだんだんと変化させる様子を描いた歌。
坂崎幸之助がMCしてカバーしている動画もみつかる。
最初のうちは、歌の主体は値上げに反対する立場……と聴き手に思わせる。そうしてつづられていくうちに、おや? どうやらその意志なり立場には揺れがあるようだとわかる。断固つっぱねる、当初の姿勢を貫く歌なのかと思ったらそうではない。
末尾付近の、「やむを得ぬ」とついに観念した様子の部分に私の心も一緒にお手上げした気分になる。「はぁぁっ」とため息したくなる気持ち。
これはひとりの政治家がその態度、発言を変えて行く様子を描いた歌ととればまぁよろしいのだけど、全体の論理のはこびの整合性はともかく、「政治家」「民間の商業従事者」「消費者」どの目線に立っても、読めると思う。部分的に、ではあるが。
政治家は誰のために値上げを進めたり、あるいはつっぱねたりするのだろう。もちろん、(国)民のためだろう。
商売を生業とする民間人は、お客様から取れるお金が多いに越したことはない。だって、利益を上げることが商業の命題なのだから。でも、世の中のすべてのものの値段全部があがっちゃったら、金額的に今までよりも多くをお客様から得たって、原価や人件費や家賃など「出て行くお金」も一緒に上がるのだったら特に利益は増えない(どころかより多く出ていく……)。
消費者は、いいものを安く買いたいだろう。でも、いいものを安く売ってくれる、「いい商売人」には倒れてほしくはない。
値上げには、あらゆる人の複雑な思いが絡む。
これが値下げだったら?
やっぱり、一概にすべてにおいて幸福を招く要因にもならない。
「等価交換」という言葉を、私は『鋼の錬金術師』というアニメを観て知り、意識した。
何かを代償にして、何かを得られるという意味だ(乱暴にいえば)。
「生きる」をすれば、何かが費やされる。自分が「生きる」ことは、他の誰かの「生きる」をおびやかすことかもしれない(お互いの「生きる」が相乗して幸福に向かうのが共生の本質だろう)。
「値上げ」しても「値下げ」しても、誰かが誰かの何かを肩代わりするだけなのだ。それは、まわりまわって未来の自分かもしれない。『値上げ』は葛藤の歌なのだ。
青沼詩郎
『値上げ』を収録した高田渡『ごあいさつ』(1971)
ご笑覧ください 拙演
青沼詩郎Facebookより
“高田渡『値上げ』。
値上げを断固拒み続け、そういう歌かと思えば…?
最後「やむを得ぬ」を反復し観念がただようところが好きな歌。
ひとりの政治家の表明の変化を追った歌だと説明する坂崎幸之助の動画がいくつか見つかる。
主体にいろんな立場の人を当てはめてみるのも面白い。政治家じゃなくて、商売するいち民間人だとか、いち消費者をあてはめても読める箇所が部分的にある。
2016年、「ガリガリ君」の値上げの広報につかわれたという。そういえば「このためにつくられたオリジナルソング?」と聴きまがうインパクトある宣伝、自分も見たことあったような。
作詞は詩人の有馬敲。
高田渡のアルバム『ごあいさつ』(1971)に収録。”
https://www.facebook.com/shiro.aonuma/posts/3534081346685514