まえがき リライタブルメモリー

日曜日は毎週やって来ます。先週の日曜日のこと、覚えていますか? 私はどうっだったかな。もう覚えていません。スマホの中のカレンダーに残った予定の書き込みだとか、その日に撮った写真なんかが幸いあってくれれば、見返しながら思い出せるかもしれません。情けないものです、例えば手帳もスマホも、撮った写真すらもなければ、私の去りし日曜日は毎週上書きされてどこかへ行ってしまうのでしょう。

日曜日がそんなありさまですから、平日に至ってはどうか? 案外「この曜日はこんな風に過ごしている」というルーティンがはっきりしていて、先週のことであっても覚えているという具合もあるかもしれません。自由が利いたり、特別なこと、イレギュラーな催しや予定が入ったりするからこそ、逆に思い出せない日曜日もある、と仮定してみます。

もちろん、ひときわ特別でイレギュラーな出来事のひとつでもあれば、はっきり覚えているはずなのですけれど……

日曜日 高田渡 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:高田渡。高田渡のアルバム『汽車が田舎を通るそのとき』(1969)に収録。1971年のアルバム『ごあいさつ』にも収録。

高田渡 日曜日(アルバム『汽車が田舎を通るそのとき』収録)を聴く

聞き役の女性に向かって語るところから収録されています。「語る」、すなわち弾き語りって本当の形はこういうものだと思わせます(仮に、一人ぼっちの部屋でマイクに向かって録ったものもそれはそれで「弾き語り」かもしれないけれど……)。収録されているのがわからないくらい小さなレベルで、聞き役の女性の呼吸の音もどこかに含まれているかもしれません。そんな空気を閉じ込めた記録物だと思います。

高田渡さんのボーカルがやさしいです。ソフトに、現に目の前にいる女性に語り、「聞かせている」。目の前の聞き手の存在を認め、聞き手を思いやる「傾聴」の逆バージョンといいますか、まるで「傾唱」とでもいいたくなる一期一会の機会(セッション)です。マイクの近さを想像させるような、優し気な声があたたかな音質で収録されています。

ギターがぽろぽろと流暢です。スリーフィンガー奏法でしょうか。1・3拍目でベース音を出し、それ以外の余白を高音弦で華やかにするプレイです。やさしげなボーカルと調和がとれたギタープレイ。ボーカルがいなくなるところでは、雄弁にギターのダイナミクスがふくれ上がります。高田さんのギターの名手ぶりがうかがえます。これみよがしでなく、さりげなくて素朴なのが好感です。

シンプル極まる音楽スタイルではありますが、この聞き役の女性とのやりとりを含めて作品とするアイディアが光ります。ライブアルバムとも違いますし、ただのスタジオ作品でもない。「対談」ならぬ、「対唱」スタイルとでもいうのか。私も真似してやってみたくなります。

アルバム『ごあいさつ』収録の『日曜日』を聴く

非常に軽快なテンポで演奏しています。『汽車が田舎を通るそのとき』バージョンでは、中間部分でテンポが落ちて自由になる雰囲気がありました。コードチェンジのポイントもなんだかあいまいに、小節線がカメレオンのように背景に溶けて紡がれていく……そんな印象でしたが『ごあいさつ』収録バージョンではまるで自転車に乗って街の景観を撫で去っていくみたいに確かなペダルさばきで慣れた道を消化していく印象です。

アコーディオン(※)が相棒でしょうか。プワァーっと伸びたり、沈み込んだりするような軽やかな息遣いで和声をささえます。途中で攻守交替とでもいうのか、ギターが熾烈にリードを取り始め、アコーディオンが音の保続を担うプレイから、短く切ってリズミカルにストロークするプレイに切り替えます。連携のよい二人組の颯爽とした快演です。

(※池田光夫さんが演奏するバンドネオンでした。)

高田さんらしいソフトな歌唱には違いありませんが、強いて厳密に比べるならわずかにこちらは声にハリがあってブライトな印象の歌唱・演奏です。『汽車が田舎~』収録はソフトな柔軟体操、『ごあいさつ』収録はエアロビクスという印象です。なぜだか運動に喩えてしまいました。

電話が嫌い

“ボクは電話がキライ どもってしまうからネ……でも手紙はとてもおそいしネ……”(『日曜日』より、作詞:高田渡)

電話って「慣れ」が要るのです。顔がみえないのは、音声による情報交換やコミュニケーションに全集中できるのがメリットですが、相手の表情が見えないことは、プレッシャーであり恐怖にもなりうるのです。たとえば世に出たばかりの新社会人が、電話が苦手とおっしゃるのもこういうところが共通するでしょう。

ついてくる実体験

『汽車が田舎を通る~』収録のイントロデュースの語りの部分は、何やら歌の内容が「後から本当になった(“証明された”?)」ようなことが語られています。たとえ作品(楽曲)を脚色主体、あるいは架空の話として描写したのだとしても、作ってみたあとに、作り手の実体験の話と重なったということですかね。

本当に偶然そうなることもあるでしょう。あるいは、そういう曲を作ってみた手前、自分でも実際にそうしてみたくなる、ということもあるかもしれません。たとえば、自作の歌詞の描写の演出として何気なく用いた小道具やモチーフに作り手として愛着が湧くためにそうしてみたくなる、といったことです。

思いついたことを実現するために、具体的な知識や実体験の習得の必要性が後からついてくる、ということがありますね。歌詞に書いてみたら、そのアイテムに興味が湧くという具合。楽曲『日曜日』については、意図せずということかもしれませんけれど。

青沼詩郎

参考Wikipedia>高田渡

高田渡 ソニーミュージックサイトへのリンク

『日曜日』を収録した高田渡のアルバム『汽車が田舎を通るそのとき』(1969)

『日曜日』を収録した高田渡のアルバム『ごあいさつ』(1971)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『日曜日(高田渡の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)