『あの雲にのろう』を歌った神崎みゆき

「これって“みんなのうた”だよね」と知っているものも、「これ、曲はうっすら知ってたけど“みんなのうた”だったんだ」なんてものもあります。“みんなのうた”を漁っていると、「こんな曲があったとは!」と続々と見知ります。作品をまとめ、配信したりCDにしたりと、「みんなのうた」は資源であり財産のように扱われ、発表後も長くあなたや私がふれることができます。「みんなのうた」に限ったことではないですね。ふるいふるい歌謡曲でもグループ・サウンズでもなんでも、私たちはサブスクなどを利用してコンタクトすることが容易になりました(その点については、いい時代です)。

『あの雲にのろう』という歌(作詞・作曲:深町純。1973年4月、NHK『みんなのうた』で放送)は私の知らなかったもので、The「“みんなのうた”にこんな曲があったとは!」的な象徴のひとつでもあり、記憶の引き出しに残る歌のひとつです。当時の放送も再放送も知らなかった私ですけれど……それを歌っているのが神崎みゆきさんなのです。「こうざき」と読むようです。お名前や、髪の長い風貌で女性と思う方もいるようですが男性です(参考:タワーレコードサイト>神崎みゆき ファースト・アルバム +2)。

神崎みゆきさんに関して、私の安直で短絡なネット検索ではあまり多くの情報が得られず私にとって謎の多いアーティストでもあります。しかし、残された作品の歌、質感、表現がすごく気に入っています。

おばあちゃんお元気ですか 曲についての概要

作詞:岡田冨美子、作曲・編曲:加藤ヒロシ。神崎みゆきのシングル(1972)、アルバム『神崎みゆき ファースト・アルバム』(1973)に収録。

おばあちゃんお元気ですかを聴く

世の楽曲……特に大衆歌は母モチーフの楽曲はかなり多く、父モチーフとなるとだいぶ減ります。おばあちゃんは父よりさらに減るかな? おじいちゃんともなれば、さらに減る……かもしれませんがちゃんと調べてからそういうことは言うようにしたいところです。『大きな古時計』はおじいちゃん(おじいさん)ソングかな?

おばあちゃんモチーフで思い出すのは私の大のお気に入りバンドであるザ・スパイダースのエレクトリックおばあちゃんです。コミカルな趣向で明るい響きと軽快なグルーヴを持つ曲です。“みんなのうた”には『コンピューターおばあちゃん』なんて曲もあり、坂本龍一さんが編曲したものが有名……とご存知の方もおられるでしょう(作詞・作曲:伊藤良一、歌唱:東京放送児童合唱団)。このおばあちゃん、一体何者なんだと思わせる扱いの楽曲も多い気がします。ちょっと、母や父でない意外性や突飛さと掛け合わせられる傾向がしばしばあるテーマがおばあちゃん、なのかもしれません。

音楽制作ではお世話になりっぱなしのコンピューター。

神崎みゆきさんの『おばあちゃんお元気ですか』はイントロからペンタトニックスケールっぽいエレクトリックギターのリフが良いですね。ピアノを含むベーシックのリズムのリフも良い。ソフトロックとして評価されている……らしいですが、確かにロック好きにも響くサウンドです。吉田拓郎さんのサウンドとか、吉田拓郎さんの作品のいくつかに参加している猫というグループのサウンドも列挙したくなります。私の好みにもばっちり響くものです。

少年のようでもある、神崎みゆきさんの歌声が独特です。なんと形容したものか。青臭いとかそういう感じとも違い、ちゃんとコントロールが効いていて「上手い」ですし、かつ、自然です。たとえば、元々は歌が下手だったけど血を流すほどの努力の末に歌唱技術を身につけた……みたいな泥くささや暑苦しさを感じさせるものとも違います(もちろん、実際のご本人の努力の質量は別にあるとして)。そういう暑苦しさが匂ってしまったら、歌唱技術を身につけたとはいえない、とおも思いますし……とにかく、神崎みゆきさんの歌には、独特の軽みと、それでいて粘着する、印象に残るものがあります。

そう、全然列挙の対象としてふさわしいか自信がないのですけれど、たとえば井上陽水さんのようなインパクトも感じます。さらっとしていたり、頓着がないような気もするのだけれど、とてつもなく粘着してもいる。そういうユニークさを備えた歌声です。

楽曲のなかほどで、長2度上に転調してAメージャーになってエンディングのフェードアウトまで走りきります。

間奏、というほどの確かな長さの「間」もないですが、元のGキーから、まずはEメージャーの響きまでベースを下行させてから、そのEメージャーの響きをドミナントにして、Aキーにもっていってしまいます。間奏は元の調でやってしまって、間奏の終わり側で転調のモーションを起こすのが大衆歌に多い転調パターンですので、いくぶん斬新なものを感じます。

また、ペンタトニックっぽい郷土感あるメロディが印象的で魅力的で親しみやすくもある楽曲ですが、意外と細かく2拍しかない不完全な小節を頻繁にはさむなどし、トリッキーでもあるのです。フックがきいている。乱調……という言葉があるか知りませんが、撹乱する趣があるのです。そういうところが、ちょっとロックな態度に思えます。

ロック坊やも、おばあちゃんには純粋な懐かしみや親愛、愛着を向けている。神崎みゆきさんの歌声の独特の少年ぽさや粘着や反抗を奥ゆきに含んだ味わいが、楽曲のキャラクターとよく相乗しています。これがデビューシングル曲だというのも、うなずくところです。

“赤い灯や 青い灯 見るたびに思うよ うすぐらい 鎮守の森に あるやさしさ わらべ唄 忘れて しあわせに なるなら しあわせはいらない あぜ道を歩くよ”

(『おばあちゃんお元気ですか』より、作詞:作詞:岡田冨美子)

この楽曲でいちばん私の耳にのこるラインです。わらべ唄とは、心の原風景を思わせます。成長、加齢とともにどんなに経験や知識、技術を身につけようとも、ずっと持ち続けるものです。その人の、最も原始的なものさしであり、その人のふるさとの象徴がわらべ唄なのだと思います。その「わらべ唄」を忘れて得られる幸せに浸るなんて、君、何か間違っちゃいないかい……?とまではいっていませんが、鑑賞者の生来の資源の大切さを想起するラインです。

幼児や児童の顔つきやそぶり、ふるまいや仕草や口調を観察すると、私はしょっちゅう、未来の、大人になったその子の姿を想像して重ねて見ます。大人になっても、この子はきっと、こういう口ぶりで話したり、こういう行動を取りがちなんだろうなと思うのです。逆に、大人の口ぶりやふるまいや仕草を観察してみても、この人は子供の頃からこんなふうな特徴で仕草やふるまいをみせていたんだろうなと想像することがあります。

それが、『おばあちゃんお元気ですか』が象徴する「わらべ唄」であり、私の思う、その人のアイデンティティ。心の、一番原始的な資源なのじゃないかと感じるのです。だから、私はこの歌に好感を持つのです。

“おばあちゃん おばあちゃん 東京の空にも 夕焼けはあるけど 飛ばないよ 赤トンボ…”

“おばあちゃん おばあちゃん 東京の空には 星も かぞえるほど 泣くコトも できない”

“祭り酒 みやげに 帰りたい 今すぐ できるなら 田舎で 暮らしたい死ぬまで おばあちゃんみたいに…”

(『おばあちゃんお元気ですか』より抜粋、作詞:作詞:岡田冨美子)

曲中のラインをいくつか並べてみるに、主人公は、東京でのくらしに打ちひしがれているようにみえます。ちょっと、弱っているような心の状態です。現実の厳しさに立ちすくんでしまった様子でしょうか。

東京で主人公が感じた厳しさを現実と呼んでみました。田舎で、主人公のおばあちゃんが送っている現実が、また別にあります。その近くにいって、おばあちゃんの暮らしに近い人生を実現する(現実のものとする)と、それはそれで、主人公は、自分の心に正直に「幸せだ」といえなくなる……ということも考えられます。東京のくらしに感じた厳しさから逃げた(それを遠ざけた)無念や悔しさが、心を足蹴にするかもしれません。

東京で、ふるさとの居場所を心に保ちながら、自分の姿勢と態度を貫いて生きていくことができたら、この主人公はいちばん、「幸せだ」と自分に胸を張れるのではないか……と、勝手に解釈しています。

“村祭り近いね 桐の下駄送るよ おばあちゃんの 笑顔が 泣きたいほど恋しい”

(『おばあちゃんお元気ですか』より、作詞:作詞:岡田冨美子)

桐の下駄、でなくともよい。東京で、元気にやって、充足を感じて人生を戦い、謳歌してもいる。その音信を、おばあちゃんの元に送ってやれたら、それが「桐の下駄」が象徴する、それに相当するものたりうるのかもしれません。

青沼詩郎

参考Wikipedia>神崎みゆき ファースト・アルバム

参考歌詞サイト LINE MUSIC>おばあちゃんお元気ですか

『おばあちゃんお元気ですか』を収録した神崎みゆきのアルバム『神崎みゆき ファースト・アルバム』(1973)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『おばあちゃんお元気ですか(神崎みゆきの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)