ケロポンズのリリース
多様な音が歌詞の描写を演出します。“だけどちょっと だけどちょっと ぼくだって こわいな”お(『おばけなんてないさ』より、作詞:槇みのり)のところではドアがきしんだり、叫び声が轟いたり、得体の知れないモノがバタバタと耳から耳へと通り抜けていったり。
おばけが子供だったら……のコーラスではオルガンのトーンが目立ち、学校や学童っぽいシーンを想起させます。おばけの国では……と描くところでは「夢の国」っぽいトーン。アミューズメントパーク、遊園地……ディズニーランド的なものを思い浮かべるサウンドです。
細かい音の演出に注目して注意深く聴くと笑えます。さすがケロポンズとの称賛に値する豊かな演出です。伴奏の主役はアコーディオンでしょうか。どこでもパフォーマンスできる機動力とふいごの生むダイナミクスのニュアンスや機微が抜きん出た素晴らしい楽器で、童謡のパフォーマンスにも非常に向く楽器でしょう。鍵盤ハーモニカと違って演奏しながら歌唱もできますね。
“ほんとに おばけが でてきたら どうしよう れいぞうこに いれて カチカチにしちゃおう”(『おばけなんてないさ』より、作詞:槇みのり)
カチカチに凍るのは冷凍庫では?と思ったあなたと私はツッコミの感性が共鳴するかもしれません。冷凍する部分もひっくるめて「冷蔵庫」なのですね。
“だけど こどもなら ともだちになろう あくしゅを してから おやつをたべよう”(『おばけなんてないさ』より、作詞:槇みのり)
おとなのおばけであってもともだちになればいいじゃないかと思います。年齢差があると、それだけでこわいものなのかもしれません。からだの大きさの違いもあるでしょう。何を考えているかわからないモノはこわい。でも、おばけがこどもであれば、多少は「わかりあえない」感が軽減するのかもしれません。「握手」できるのでしょうか。幽霊には「さわれない」表現が古今東西の数多の漫画や映画やテレビやアニメ……もろもろの娯楽媒体で描かれてきたことでしょう。「おやつ」もたべられるの?消化できるの?たべたら、咀嚼してぐちゃぐちゃになった「ex.おやつ」が宙に浮いて見えるのでしょうか。勝手におばけは「透明(もしくは半透明)」的な偏見で想像を展開してしまう私がいます。この世とあの世にまたがる存在だから、「半透明」を想像するのかもしれません。完全に透明だったら、やっぱり見えないでしょう。「見えないのにさわれる」がイチバンこわいかもしれません。
“おばけのくにでは おばけだらけ だってさ そんなはなし きいて おふろにはいろう”(『おばけなんてないさ』より、作詞:槇みのり)
おばけの国の話を聞いて、お風呂に入るつながりが唐突でこっけいです。低学年の学童や幼児には生活リズムを尊重する姿勢がつきまといます。親の方針だと思いますが。シャンプーするとき目をつぶるのは、直前にコワイ話を聞くとなかなか苦痛なものです。そういう自分の体験も思い出します。はるか昔の話なんですけどね……(私は何歳なのか……おばけだったりしてね。カチカチ……※パソコンのキーを叩く音)
青沼詩郎
参考サイト 世界の民謡・童謡>おばけなんてないさ ねないこだれだの作者による絵本も登場 せな けいこさんの絵本など、楽曲の波及についても簡潔に述べた童謡に明るいサイトの記事。
ケロポンズがパフォーマンスする『おばけなんてないさ』を収録した企画盤『おばけソング大特集~おばけのフェス』(2021)
オバケなんてないさ