月影のスルメ くるり『お化けのピーナッツ』概説

本曲『お化けのピーナッツ』は2023年、京都音楽博覧会の開催を迎える秋にリリースされたくるりの14番目のアルバム『感覚は道標』の収録曲。

オリジナルドラマーの森信行さんを迎えて伊豆スタジオにて合宿形式で進めたというレコーディングや制作の方法、人選、加えて本アルバムの制作の様子とくるりの過去の歩みを回顧する映像を交雑させながら見せるくるりを主題にしたドキュンメンタリー映画『くるりのえいが』の撮影・制作も並行されるという制作背景が、生みだす収録曲たちのキャラクターにも色濃く反映された痛快なアルバムです。

岸田さん、佐藤さん、森さんの3人がいちからスタジオで曲をつくる、練る、築くといったいかにもロックバンドらしい制作の手法により、収録曲のなかには世界中の音楽、そして何よりロックが大好きといわんばかりに嬉々として音楽でヤンチャした活力が注がれています。また、己らのこれまでのあゆみ、残してきた作品、それらによって総合的に醸成される現在の自分たちの存在感や立ち位置を自覚し、そうした真実(リアル)さえもコスチューム(すなわちガワ)として利用し、音楽の表層・細部・深部の意匠に反映させ、その中身:精神的なメッセージの最終的な解釈を伊豆や京都の海に溶かし空を仰ぎ「みよ、人間とはこんな具合に知的で能動的な生き物です!」と態度で示してみせる傑作アルバムになっています。

本曲『お化けのピーナッツ』は、確かな質量のキャリアを形成して今に至る(はずの)自分たちの存在に投げかける疑義や問いを「お化け」のモチーフ(主題)に重ね、掛け合わせ、軽やかな嘲笑をほのめかし、あるいはブラジル音楽を思わせる深淵な哀愁を憑依して舞踊の中に汗をほとばしらせ疑義や雑念を無心に振り解き己の肉体そのものを無言のリズムの権化(“タッタッタッタッタッタラッタ……”)として襲名させるおぞましさ・根深さを音楽的服飾に内包させます。

表層の分かりやすい質感を看板や店内の内装にあしらった地球の裏側の酒場で夜な夜なピーナッツをツマミに蒸留酒のロックを転がし、なめるように人生を噛み締めたくなる月影に遠吠えするスルメ曲です。

お化けのピーナッツ くるり 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:岸田繁。くるりのアルバム『感覚は道標』(2023.10.4)に収録。

くるり お化けのピーナッツ(アルバム『感覚は道標』収録)を聴く

ギターアンプのスプリングリバーブなのでしょうか、ピチョピチョと影をたなびかせる残響が主題の「お化け」を意匠します。オルガンが怪しげな存在感で細かく移勢(シンコペーション)したリズムを奏でます。オルガンのゆらめく音色もお化けの輪郭そのもの。

コントラバスの深い音色のベースが4拍各拍のオモテを出しながら16分割のウラウラで引っ掛けてサンバビート。スネアの存在感がティンバレスチック、強いアクセント感です。

タン・ロールのガヤ(かけ声)が嬉々としていてそこここに噴出します……パレードの街道かよ! その無心な叫びに誘われて私の心まで路上に踊り出て練り歩きます。ボーカルダブリング、ハーモニーの音像も「お化け」の群像だよ。

“お化けになりそうなおれたちは 誰も相手になんかしてやくれないし とぼけたところでバレバレさ 素直じゃないと置いてくよ お化けが来るよ”(『お化けのピーナッツ』より、作詞:岸田繁)

自嘲の風合いを感じるラインです。存在しないものの象徴がお化けでもありますし、あるいはその分野における技量や功績が秀で過ぎていておぞましい存在を“お化け”と形容する用例もあるでしょう。いずれにしても、浮世を、一般や普遍の道を、ありふれた感覚や常識から遠く乖離しているにも関わらずその裏側にぴったりと張り付いているシビアな現実を月影のもとに掌握する直下の観念、その象徴こそが“お化け”。

『愉快なピーナッツ』なるくるり作の前例もあります。歌謡曲じみた短調のフィールに、伊藤姉妹による双子歌手のザ・ピーナッツなども私は思い出します。F#m調ではっきりとしたドミナントモーションがあるところが、本曲のヴァースにおける音楽面での服飾性の分かりやすさといえましょう。対してブリッジ(Bパート)のところではわずかに平行調のAメージャーのⅤ→Iの光を引用しつつも、あくまで己は影の存在とでもいうように1拍3連のキメとともにF#mの闇夜へと帰投していくお化け諸氏。

『お化けのピーナッツ』ヴァースの採譜例。大きな音価(2分音符)の尻に細かく迫り来るような小さな音価(8分音符)を連ねた2小節パターンを基本にしたヴァースの前半4小節。フレーズ毎のお尻の余白に、お化けの影(休符)がゆらりと立ちます。後半4小節は前半の2小節パターンを受けて、最後の2小節でタッタッタッ”……とオノマトペでお化けの言語を超越したフィールを表現しわさわさと私の心に不穏な霊感への感性を伝授。ヴァースのコードはⅠ、Ⅳ、Ⅴを基調にしており音楽理論面での文章のオチに対してきわめて聞き分けの良い態度で臨む“お化け”諸氏が愛おしいです。

改めて聴いてのおれの変わらなさと進歩

当ブログサイト記事 “くるり 感覚は道標 全曲レビュー 足跡の海”

本曲『お化けのピーナッツ』は上にリンクした当サイト内におけるアルバム『感覚は道標』全曲レビュー記事でも取り上げています。今回はあえて単曲として、2年と数か月の隔たりを経てあらためて触れなおしを試みました。

バーっときょうの時点の雑感、観察、評を書いてみたあとで、きょうのこの記事の投稿時からみて2年以上さかのぼる上記の記事内の『お化けのピーナッツ』の部分を自ら読み直してみると、相変わらず私は同じような部分に注目し同じような部分をスケッチ・抽出しているとの盛大な重複を実感しもしますし、その観察や参照の細かさなどから(作詞作曲者の岸田さんがくるりOfficial noteに書かれたセルフノーツ記事を適宜引用・参照してもいます)「当時の私(筆者)も良く書いたもんだ」と過去の自分にひれ伏す気分になるところもありますし、同じ曲を観察して同じような所にばかり注目して進歩がない!かと思えば、改めてやり直してみるとやはり目線の細部や質感に差異があるところもあり、地味で変わり映えしないおれだけども着実に日々を歩んでもいるのだな、やれやれ……と受け入れるよりない気分にもなります。

“もっくんとのトリオ時代にやり残してしまっていたこと。

くるりは「色んな地域や時代のビート」を追求するバンドだということ。もっくん脱退後も、それはそれは色んなことやってきたし、外国にも飛びまくって色んなことやってきたけど、もっくんも幾つかの「土着のビート」を持っている。

(引用者により中略)

堅苦しい話は置いといて、ずんぐりむっくりだが軽快なサモハン・キンポーよろしく、もっくん、佐藤、私のトリオによる、ビート・ミュージックの決定版がこの楽曲である。

演奏家にとっても、聴衆にとっても、踊れる音楽というものは至高の逸品である。”

(くるりOfficial note 『感覚は道標』セルフライナーノーツ より引用)

上記の節は、以前に投稿済みの“全曲レビュー”の中で私が引用の対象としなった岸田さんのセルフライナーノーツ部分です。ビートに注がれる眼差しの重みについては、過去にアルバム全曲レビューしたときよりも今回の単曲レビュー・モーメントのほうがシンパシーを高く感じます。享楽・理想の象徴・ピーナッツと、おのれの負い目やコンプレックスのイマジナリー・フレンドとしての“お化け”の落差が生み出す熱量が今日の私を一心不乱に躍らせるのです。余りある思念(雑念・邪念)を光の園に屠るために本曲はダンス・ミュージックの様式と質感を盛大にフィットしているのだと、お化けがうごめく腹の底の闇まで深く腑に落ちる思いです。

青沼詩郎

参考歌詞サイト 歌ネット>お化けのピーナッツ

くるり 公式サイトへのリンク

『お化けのピーナッツ』を収録したくるりのアルバム『感覚は道標』(2023)