はじめに『思い出のアルバム』と『歌はともだち』
私は『歌はともだち』(教育芸術社)を2冊持っている。一冊は自分が小学生だったときに5歳上の兄から譲り受けて引き続き使用したもの。もうひとつは、最近取り寄せたものだ。前者は古い。私が1986年生まれで、小学生になったのが1993年。それよりも前に発行された版。後者は2015年の5訂版だ。
『おもいでのアルバム(思い出のアルバム)』は私が持つ『歌はともだち』新旧の版、両者に掲載されている。改訂版を発行する際には収録曲など内容を見直すと思うが、その錬磨に耐えて残っている。近年の児童の目や耳にも触れているはずだ。もちろん、かつての児童の私あるいはあなたも?
作詞者・作曲者
作詞者は増子とし、作曲者は本多鉄麿。両人とも保育園・幼稚園の園長。『おもいでのアルバム』はフレーベル館『幼児のためのリズミカルプレー』で1961年に発表されている。
歌詞
7番まである歌詞の内容は四季の思い出。園での幼児の生活を思わせる。
「冬」だけ重複して5番・6番に歌われる。5番に「クリスマス」「サンタ」「もみの木」と、クリスチャンの風習や文化を思わせる単語が登場する。6番はそれら以外の、より一般性ある描写で表現されている。
“冬のことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
もみの木飾って メリークリスマス
サンタのおじいさん 笑ってた
冬のことです 思い出してごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
寒い雪の日 暖かいへやで
楽しい話 聞きました”
(『おもいでのアルバム』より引用、作詞:増子とし、作曲:本多鉄麿)
宗教に関わる表現を含んでよいとき・避けたいときで5・6番を歌い分ける用い方が想像できる。作者たちはそこまで考えて5・6番を紡いだのか。幼・保の現場のために書かれた曲だとしたら、その可能性は高そう。
7番の歌詞で、“もうすぐみんなは 一年生”と歌われる。
小学生になる直前の幼児の存在を前提にしている歌詞だけれど、私は思う。「1年生」は、「何かをはじめたばかり」の象徴でもある。だから、大人が歌ったり聴いたりしてもいいのだ。「いい」というか、そうやって解釈を広げて味わえる含蓄を思う。あらためてこの曲を味わって、私はちょっとぐっと来た。かつて親しんだ音楽を「ああ、その曲。知っている」で済ませてしまうところだった。大人になっても、毎日が何かの「1年生」でありますように。
“一年中を 思い出してごらん
あんなこと こんなこと あったでしょう
もものお花も きれいに咲いて
もうすぐみんなは 一年生”
(『おもいでのアルバム』より引用、作詞:増子とし、作曲:本多鉄麿)
音楽について
BパートのはじまりがⅤ(CメージャーならGコード)なのがすごくいい。
セブンスやシックス、副次調Ⅴ度など交えて演奏すればおしゃれだし、単純化して演奏してもいい。両者にたえるメロディがうつくしい。要所の跳躍と、基調になった順次が流れるように滑らか。
青沼詩郎
『おもいでのアルバム』『遠くへ行きたい』ほかを収録した『芹洋子 全曲集 2021』
ご笑覧ください 拙カバー
青沼詩郎Twitterより引用
“作詞:増子とし、作曲:本多鉄麿はそれぞれ保育園・幼稚園長だった。『幼児のためのリズミカルプレー』(1961、フレーベル館)で発表されたのちテレビ、レコードで広まる。フルだと長いがそこがいい。「1年生」はあらゆるものの始まりの象徴。”