聴く
Aマイナー調のきれいな響きを満喫します。こういうの大好き。
“ポン カンチンペケペケ”とはなんでしょう。考えようとすると金縛りにあいそう。考えてはいけない。感じるのだ……そんな声が聴こえてきそうです。
1968年の歌と思えないほどに新しい。「仲間の電波が飛んでくる」なんてまるで現代のスマホで見るLINEです。まったくそのことをいっているとしか思えない響きをそなえている。2023年(執筆時)に聴いてそう思える見事さ。当時だったら何のことを言っているのでしょう。「電話」でしょうか。少し無理があるか。
単純に、「思いつき」や「思い至り」のことだと思います。そうだ、あのコと今日は遊ぶことにしよう。きっと向こうも同じことを考えているだろう。……そういう同調のことを喩えて「デンパ」と呼ぶ。
人類が月に立ったのは1969年(参考リンク:WIRED>「月面着陸の日」に、人類の月への挑戦を振り返る(写真ギャラリー))のこと。『ペケの歌』が発表される1968年って、宇宙関連の技術のこととか、「デンパ」なる科学のこととか不思議だけど現実にある森羅万象を世間が話題にすることがしばしばあったのじゃないかなと勝手に想像します。つまり、「デンパ」という語句が含むニュアンスの幅はそこそこ、現代とそれほど差異のない広さで一般的に共有されていたのじゃないかと私は推察します。極端になにかを究める奇天烈さ(ギークっぽさ?)。トガり具合。奇跡めいた希少さ、確率のフシギ。偶然の同調(ちょっと無理がある?)。常人離れした、良くも悪くも浮いてる感じ。限られた仲のみで通ずる思念≒デンパなのだと。
「ママには内緒のプライバシー」もまた、2023年(執筆時)の今日においてポロっと生み出されたフレーズとしてなんら違和感がありません。「プライバシー」とはいつから使われるようになった言葉なのでしょう。検索したら国立公文書館サイト>プライバシーの権利ー起源と生成ー(弁護士 小町谷育子)というのがヒットしたのでリンクしておきます。1890年には『プライバシーへの権利』という論文が存在したといいますからその観念の起源はここ一世代程度の浅さではないことがわかります。日本でプライバシーの観念が認知されだしたのがいつかと議論するとき、1960年代は割合、ひとつの道標(目印、トピック)と思って良さそうです。『ペケの歌』でいえば、近年世の中で使われ始めた語句を歌詞に含めてみた感じでしょうか。この時点で、50年以上あとになっても特に劣化したり風化したり大きく意味がねじ曲がるようなことなく、普遍的な観念として使われ続ける言葉になるとは思わなかったでしょう。風化しない言葉であることを見越して取り入れたんだとしたら慧眼です。もちろんその線もありえるでしょう。それほど『ペケの歌』には確かなまなざしや人格を感じます。
長谷川よしみさんのコミカルだが確かな歌唱と表現の豊かさ、歌の内容と当時のご自身のアイデンティティ(10代半ばのリアル学生さん)が相まって爆発力を発揮しているのをネット上に探すのはたやすいでしょう(YouTubeでペケの歌を検索する)。
短調でコミカルで子どもも楽しめる歌としては『およげ!たいやきくん』『だんご三兄弟』など思い出します。いずれもモンスターヒット曲の印象があります。
これらと並列しましても、『ペケの歌』は洗練されていておしゃれです。アカ抜けている。歌い手の声のみずみずしさや作編曲の良さも手伝ってでしょうか。言葉の響きを重視した以外にどんな理由が見出せるかを考えるとフリーズさせてしまう魔力を発揮する「ポン カンチンペケペケ」に畏れ入ります。外国語、たとえばフレンチポップスみたいな印象を私に与えもします。言語の向こうにあるものを描いているとしたら、非常に詩的なアプローチであり、谷川俊太郎さんの諸作品の影さえ思い浮かべてしまします。音楽は詩なのだという思いが私のなかにありますが、笑ってひとときの娯楽を得て流してしまえる曲でない、深い感慨を与えてくれます。
青沼詩郎
YouTubeチャンネル Coppé 現在はCoppéとして海外で活躍されているようでしょうか。ジャズの特徴やアティテュードを感じるものや、前衛的でアーティスティックなレパートリーのビデオが視聴できます。キテレツなヘアメイクが『ペケの歌』が私に与えたインパクトの未来として腑に落ちる思いです。歌声にも練磨と円熟味を感じます。
参考サイト タワーレコードオンライン>昭和の童謡のあゆみ~キングレコード90周年を彩る100曲
長谷川よしみ『ペケの歌』を収録しうた『昭和の童謡のあゆみ~キングレコード90周年を彩る100曲』(2021)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ペケの歌(長谷川よしみの曲)ピアノ弾き語り』)