まえがき 平野和さん・小百合さん in 京都音博2024
京都音楽博覧会2024に出演したバス・バリトン歌手の平野和さんが公私のパートナーの平野小百合さんのピアノ伴奏でステージ上でカバーしたのがくるりの『Remember me』でした(2024年10月13日@梅小路公園)。
ひとつひとつの子音を精緻に母音をしっかり響かせた歌唱と確かに抽出したピアノのしっとりした和声とはじけるリズムで、楽曲の魅力がジャンルの壁を超えたのを聴衆とアーティストが一体になって実感した貴重な瞬間。私も会場で目撃した1人です。
Remember me くるり 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:岸田繁。ドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』(NHK)の書き下ろしテーマソング。くるりのシングル(2013)、アルバム『THE PIER』(2014)に収録。
くるり Remember me(wien mix)を聴く
もともと大好きで心にずっと持っている1曲ですが音博で平野さんらの生演奏を聴いてより一層沁みるようになってしまいました。
すべての演奏パート、楽器も声すらも楽曲に感化されて、個人のあゆみのすべてを祝福し見守り愛のまなざしをやっているような柔和でふくよかで豊かな響きを織りなしています。
アコースティックギターのふりおろすストロークがやさしい。印象底なイントロ、チェロが目立っているでしょうか。人の声のような音域の楽器だといわれることがありますが、器の大きい紳士が物語の序の口を演じているようです。
西洋楽器を思わせる弦楽器群にドラム・ベース・アコースティックギター。それからファンファン(敬称略)のトランペット。これにエレキシタールが絡むところがまさに世界の音楽をいちどインプットしてチャンポンして必要なうまみを抽出するくるり的アティテュードの真髄を感じます。これは世界のどこの音楽なのか? どこの音楽でもある。世界のどこにもこの普遍がある。そう思わせる。人生のすべてがここにあると思わせる福音のアンサンブル。
たとえばくるりの『ブレーメン』を聴いたときにも、すべてにおける楽曲とパフォーマンス・表現の高みの至りを強く思いましたが、2007年の『ブレーメン』発表から約6年、『Remember me』でさらにそのやわらかさ・奥行きの扉を開いたのを覚えます。
後半に一度だけサビ(?)といいますか、本当のコーラスがまだあった!と思わせる構成はくるりの近作だと『In Your Life』(2023)などが記憶に新しいです。『Remember me』も一度だけあらわれる“すべては始まり”…… のところで心の一糸纏わぬ肌が露わになる趣があります。“始まり”のところで、上のほうに向かって脱力するような岸田さんのリードボーカルの声色が感傷的で優しさの極み。
あたたかくふくよかでオープンな響きで、東から西までの音楽様式をのせる顔の広いドラムセットプレイはあらきゆうこさんですね(またあなたはすばらしい仕事をやってくれる……)。
イントロのチェロのライン、コード
和声の第3音をとりながら下降していく冒頭から3小節。1・3拍目をスタッカートさせ、2・4拍目で音価を保って描線のニュアンスにメリハリをつけます。あなたを待つ人生の調和や幸福・充足を予言する甘美で柔和な導入です。転回形の低音位や副次調(セカンダリー)ドミナント、準固有和音を随所に用い、いつも音楽に豊かな起伏が現れるよう心が配られているのを覚えます。
このイントロで心をひきこみ、想いや歴史のバトンリレー、人生の温度や質感、匂いを立体にする歌詞の世界があなたを包みます。
歌詞 豆腐屋のおじさんの哲学の味
“遠く離れた場所であっても ほら 近くにいるような景色 どうか元気でいてくれよ”(くるり『Remember me』より、作詞:岸田繁)
京都音博2024で平野和さんのステージを観た影響で私がそう感じるのかも分かりませんが、実演家と客席の間の絶対的な距離・隔たりを肯定・否定の両面を包含して提示した言葉に思えるのです。
ステージ上と客席の間には、ある種絶対的な隔たりがあります。ステージ(の進行、演奏内容)を司るのはまさに実演家であり、観衆はそれを受け取る側ですから、一方通行にみえます。お互いは、一見“遠い”存在ではありありませんか。
ですがそれは欠落のある軽率な解釈です。観衆は、ステージ上の実演家が身を削った時間(本番の演奏時間の実寸以上に、実演家がステージ上に至るまでのすべての準備やリハーサル、練習、訓練・鍛錬の時間・労力・資源、創意・工夫・発想すべて)の集大成を、全身全霊で「受け取っている」ことを態度で示す必要があります。
観衆の態度が実演家への反響となって、実演家のパフォーマンスは本番の最中であればあるほどさらなる原動力を得て、リアルタイムで深度が増し質量が高く内容の濃いものになります(またその逆も然り)。
つまり、観衆と実演家は一体になってたったひとつの時空の歴史の証人になるのです。それが、“遠く離れた場所であっても ほら 近くにいるような景色”というラインに見出すべき醍醐味だと私には思えるのです。“どうか元気いてくれよ”と、その一期一会の神聖な時間の未来についてまで慈愛をかけます。一瞬のハイライトや快楽の共有で関係を切るつもりはない。一種の因縁ですらあります。
“さらば夕暮れ時の駅前の 豆腐屋のおじさん 待ってよ 今日は特別な味噌汁だよ”(くるり『Remember me』より、作詞:岸田繁)
松阪牛を手に入れたら、あなたは味噌汁に入れますか? やっぱり焼きますよね。もちろん味噌汁に入れても、加熱の具合や汁の調味、具材の大きさ・切り方などを最適にすれば美味しく頂けるとは思います。でも、どちらか選べるならやっぱり焼きますよね。フライパンでしゅわしゅわと熱したにんにくの香りをたっぷり移した油にジュワっと滑り込ませ、肉汁花火を舞わせ油分・水分・熱量が最好の具合になったところをサッと上げ、シンプルにゴリゴリと岩塩と黒コショウを砕きかけて頂きたいものです。
繰り返しになるようですが、新鮮なサザエやアワビや牡蠣を手に入れたら、あなたは味噌汁に入れますか? もちろん味噌汁に入れてもおいしく頂く方法は数多あるでしょうが……(以下、既視感。あなたの知恵と創意工夫次第で……)。
住んでいる街にある、豆腐屋さん(専門店)の豆腐が私は好きです。ちょっとしたごちそうの趣があります。普段はスーパーマーケットなどで市販される、使い捨ての容器に入ってピッタリと包装されている、どこか遠くの大きな工場から出てきたであろう豆腐に接することが多いせいか、豆腐屋さんの豆腐は特別感があります。
個人の豆腐屋さんが作る豆腐の味は、そのお店の味です。そのお店の味は、そのお店の人の味です。“豆腐屋のおじさん”を食べるのじゃないのだけれど、“豆腐屋のおじさん”の人生の美味しいところのおすそ分けをもらう様相にも似るでしょう。思想や哲学を食べるのです。
味噌汁は私の生活において最も身近なお品書きです。二日続けて味噌汁を一滴も飲まないなんてことは稀です。それくらい、私にとって「いつものやつ」なのですね。
そんな身近な調理法で、豆腐屋のおじさんの哲学を、人生の叡智を食べるのです。おじさんの哲学を受け入れる素地の部分がいつも通りであるからこそ、おじさんの哲学の特別さを味覚することができるのです。
“すべては始まり 終わる頃には 気付いてよ 気付いたら 産まれた場所から 歩き出せ 歩き出せ”(くるり『Remember me』より、作詞:岸田繁)
対極にある観念って、究極いえば一体のものなのだろうと思います。“遠い”ことと“近い”ことも、“始まる”ことも“終わる”ことも。西の果てまでずーっと行っても、東にちょっと行っても、地球上では結局同じところに着くではありませんか。話がねじまがっているって? ならば、ねじれの定義から覆してやるさ!
“歩き出せ”を反復して呼びかけ、エンディングは冒頭のフレーズの再現に接合。始点と終点が重なって、反復運動するように見えても別の次元で豊かに変化する景色を想像させます。歌い出しと歌い終わり共通の一節を再び引用して、始点と終点を結びます。
“遠く離れた場所であっても ほら 近くにいるような景色 どうか元気でいてくれよ”(くるり『Remember me』より、作詞:岸田繁)
青沼詩郎
くるり YouTube公式チャンネル > くるり – Remember me へのリンク
紙と鉛筆と消しゴムかすをつかったコマ撮りアニメのMV。人生のステージのうつろいを優しいタッチで描きます。感涙に震える音楽と視覚のコラボレーションです。涙。
くるり 公式サイト>ディスコグラフィ Remember meへのリンク
『Remember me』を収録したくるりのアルバム『THE PIER』(2014)
くるりのシングル『Remember me』(2013)。一枚一枚が独立した正方形用紙の歌詞カードでジャケット写真の着せ替えが楽しめます。カップリング曲『Time』は京都音博2024で披露されたのが記憶に新しい(この記事の執筆時:2024年10月時点)。
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Remember me(くるりの曲)ピアノ弾き語りとハーモニカ』)