寺尾聰 ルビーの指環を聴く
冷たく明瞭で硬質なコーラスがかったエレクトリック・ギターのカッティング。右と左にダブってあり弾き分けてもいるようです。コードを浮かべるように置くトラックと細かくシックスティーンで刻むトラックが同時に聴こえる瞬間があるようです。冒頭でベースとユニゾンプレイする歪んだサスティンの強いリードトーンもあります。
ヴィブラフォンがオブリガードを添えます。エレクトリック・ギターのリードトーンと時折同調したフレーズを描き込んでもいます。長く深いサスティンは曲に都会的な雰囲気を与えています。ヴィブラフォンが大人のちょっと孤独な遊び場(バーやダイニングのような)のイメージをもたらすのはなぜなのでしょう。私だけ?
キーボードはシンセストリングスのふわぁっとしたトーンで和音を支えます。イントロのギター&ベースのユニゾンリフに続く旋律はシンセブラス風。また要所できらびやかな1拍6連フレーズなど見せます。閃光を喰らった気分です。
ベースは動いて休符を入れてとメリハリ。冒頭ではエレクトリック・ギターとポジション違いでユニゾンプレイ。
ペキパキとスラップ奏法したような音が聴こえます。先ほどこれはエレクトリック・ギターの刻みかとも思ったのですが、ベースか? メインのベースと弾き分けてダブっているのでしょうか。だとしたらなかなか珍しい例かもしれません、ベースの異フレーズ重ね録り。ペキパキスラップは音域高めに思えます。まさかバリトンギターとかではない? Wikipediaを見るとそのような楽器の名前は見当たらないので、やはりベースの異パート重ねかもしれません。
ドラムスは音が作り込まれています。打ち込みかと聴き紛うほどきれいに処理されている印象です。もちろん録り方や機材、ドラマーの腕が素晴らしいせいで原音も録れ音が良いのでしょう。
主役のボーカルはダブリングサウンドが基本。サビではハーモニーパートもいます。
曲について
寺尾聰のシングル、アルバム『Reflections』(1981)収録曲。作詞:松本隆、作曲:寺尾聰。編曲が井上鑑でキーボードも担当しています。中盤にあるすばやい符割のキーボードのフィルインは彼ですね。ブラボー。
サビ先構成
イントロのギター・リフレインが際立っています。8分音符の3分割を含んだフレーズを繰り返して印象づけます。これがカラオケで鳴り出したら、(特にこの曲が最もヒットした時代に世代だった人は)「きたー!」と思うのでは?
イントロののち、サビ(Bメロ)から始まるのも特徴です。曲のハイライト、もっとも濃い匂いのする部分が他の部分よりも先に提示されるのです。リスナーに、より早く曲を覚え、曲の性格を認知してもらうのに「サビ先構成」は有効ではないでしょうか。
歌詞について
“くもり硝子の向うは風の街 問わず語りの心が切ないね 枯葉ひとつの重さもない命 貴女を失ってから”(『ルビーの指環』より、作詞:松本隆、作曲:寺尾聰)
風の街とはどんな街でしょうか。松本隆がはっぴいえんど作品で描いた「風街」と共通点がありそうです。記憶の中にある、どこでもない街?
風は様々なものを運びます。新しいものを連れてきたかと思えば、古いものを吹き飛ばします。風自体は目にみえません。かたちがない、あるいは常にかたちを変えています。風を個体として区切り、特定するのは難しいです。
“くもり硝子の向う”。くもり硝子からは、涙で滲んだ視界を連想します。ぼんやりとは見えるが、すべてを見せてはくれない物理的な隔たり。その向こうに、“風の街”なのです。
“そして二年の月日が流れ去り 街でベージュのコートを見かけると 指にルビーのリングを探すのさ貴女を失ってから”(『ルビーの指環』より、作詞:松本隆、作曲:寺尾聰)
この歌詞がエンディングで繰り返されます。これはまるで、2年、また2年、さらに2年と、歌詞を繰り返すほどに時間が経って行っているかのようです。
4年しても6年しても、主人公は“貴女”の影に敏感でいるのです。指にルビーのリングをした貴女が、もうどこにもいなくとも。あの頃と似て非なる、代謝を続ける“風の街”を今日も主人公は行くのでしょう。
青沼詩郎
リンク先の映像では原曲より長2度高いAmキーで歌っています。わずかですが前にいくバンドの生演奏のグルーブ感があっていいですね。寺尾聰は腕や手、肩など上半身を中心にした身振りをパフォーマンスに含めつつ、後半ではタンバリンを振っています。
『ルビーの指環』を収録した寺尾聰のアルバム『Reflections』(1981)
ご笑覧ください 拙演