駅は幽玄
駅は次元違いの世界への入り口なのではないかと思えます。自分の力の及ばないくらい遠くへ早く着くことができる手段で、そこへのアクセスの玄関口だからです。上京する人なら、これからすべてが新しくなる暮らしが始まる、そのスタート地点です。
自分の足ではそれほどに早く動くことはできません。電車(鉄道)で東京から関西を目指し、実際に到着するには一日のうちに済みますが、歩いて行ったら一日では済まない。自転車でも済まないでしょう。話が極端でしょうか。
宮沢賢治氏の『銀河鉄道の夜』は、列車がどこか次元違いのところへ登場人物をはこんでいってしまう象徴のように描かれていやしないでしょうか。
自分の力では及ばないけど、列車(電車)という文明の利器を借りて、個人の力を超越したところにアクセスできる……
生まれた者は、すべて死に向かって行きます。スピードが早いか遅いかの違いでしかなく、例外はないのです。
自然な現象であるのだけれど、そのスピード自体は、人工的な手段や道具によって左右されうるのです。
最果ては、次元違いというよりは、ただ自然の至るところであるのみ。現世こそが、向こうからみて次元違いな特殊環境なのでしょう。生きることはお祭りのようです。
曲の名義、発表の概要
作詞:楳図かずお、作曲:筒美京平。郷ひろみのシングル、アルバム『街かどの神話』(1976)に収録。
寒い夜明けを聴く
パッと聴いた感じ、太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』を思い出します。シンセやフルートなどがもたらす柔和で洗練された印象のせいでしょうか。
耳を疑うといっていいのか目から鱗が落ちるといっていいのかわかりかねますが、知って驚いたのが作詞者。漫画家の楳図かずおさんです。
サウンドが垢抜けていて、あれ。あれれ。と思っている間に「聴かされて」しまいます。ぼんやりしている私の体を通って、抜けて行ってしまう。あれ、私は何を聴いていたんだろう。何をしていたんだっけ。ってかここはどこ。……という気持ちにさせるのです。
なんなのでしょう、このもやもや感。私を狂わせ、虜にしたアニメーション映画『スカイ・クロラ』や、その原作を書いた森博嗣さんのミステリ作品群の数々のような魅力なのです。
作家の楳図かずおさんの世界に何かあるのでしょう。私は彼の有名な作品にちゃんとアクセスしたことがまだありません。
“唇ばかり かまないで 笑顔見せて下さい 楽しいふりしてごらんよ 明るくなるさ 渋谷で買った エナメルのブーツ すり減ってしまい 足音も 揃わないなんて 二人の愛も同じです 寒い夜明けなのです あなたとはなれて行きます ほのかな 駅に人も見えます”
(『寒い夜明け』より、作詞:楳図かずお)
歌詞は映像的でもあるし、抽象のなかをさまよう歌謡曲的でもある。「シティ・ポップ」らしさも覚えます。楽曲の舞台あるいはモチーフのひとつが都市であるからでしょうか。
実在の街の名前、渋谷を名指しますがどうしてか、私にここはどこにいるのか煙に巻くような感覚をもたらすから不思議です。
ブーツの両足が立てる音が経年だか消耗だかで揃わないと言っているのか、あるいは、ふたりで揃いのブーツでも買ったのでしょうか。アクセサリやTシャツなど、上半身に身につける目立つものを揃いで購入するカップルはしばしばいる気がしますが、足元でそれをやるイメージってあまりありません。なんだかおしゃれな二人ですね。「ペアルック」という読みは筋違いかもわかりません。
結びの句がめちゃくちゃヘンなのです。“ほのかな 駅に人も見えます”。直前の語句は”あなたとはなれて行きます”なので、これに“ほのかな”という語句が倒置法で付くのはちょっと不自然です。“ほのかな”が浮いている。“駅”という名詞につくと考えると自然です。
すると、やはり“ほのかな駅”という表現がみえてきます。これはクセ強です。ふだん、駅に対して「ほのか」という評価をあてがうことはまずないでしょう。あったらあなたは楳図かずおさんかよっぽどの言葉の幻術師です。
あらためていいます。“ほのかな”が浮いている。そして、“駅に人も見えます”と。だからなんなのか。どこか、別次元へアクセスする玄関に、影がうようよしているのを、朦朧とした意識で曖昧に眺めているような変な生理状態になっている感覚を私にもたらします。こんな作詞はめったにありません。現代詩ならまだしも、郷ひろみという大衆のホットコンテンツを港とする場所です。これは浮いている。私にこの楽曲を教えてくれた人も、“浮いている”という表現でこの楽曲について言及していました。私の思う“浮いている”とは違う筋かもしれませんが、『寒い夜明け』という楽曲を語る際の有効な観念ではないでしょうか。駅すらも浮いて見えてきそうです。
“ビーズの赤い指環が千切れ 飛び散り あなたは悲しくて つなげられなくて…… もう あの日には戻れない 寒い夜明けなのです あなたとはなれて行きます ここから そして今日が始まる”
(『寒い夜明け』より、作詞:楳図かずお)
赤は血潮を思わせます。ビーズの指環は、人間の肉体や命の象徴だと思うと……楽曲の外の世界の話ですが、ホラーな漫画作品を発表している楳図かずおさんの作家性を想起してしまいます。この歌は、やはり命があちらこちらの次元をさまよいかける刹那を描いたもののようにも思えるのです。1番のサビの結びの歌詞が未来に開いてみえます。この表現で曲が収束していくといくらか明るい印象の作品に見える構成かもしれません。ですが実際は2番とAメロを欠いた3番のサビ末の表現は“ほのかな 駅に人も見えます”。う〜ん。私は奇病の熱に浮かされてしまう。音楽にも歌詞にもうなされています。
ファンキーでグルーヴィーで、分割の細かく技巧的なドラムスとベースのプレイはこれぞ筒美京平サウンドを思わせます。これにストリングスやフルートがかけあい、麗しくみずみずしい印象。エレキギターがタイトでクリスピーなカッティングを添え、透明きわまりないアコギのストラミングが天井を開きます。こんなに爽やかなオケに乗る、郷ひろみさんの歌唱は、魔界か幻の世界から降りてきた実在しない少年の精霊の象徴みたいです。病的なまでにふらつき羽根のように接地して戻る間奏の和声よ。
まるで大衆歌というフォーマット違いのところに現れてしまった創作物。あなたの駅はそこじゃないよと諭してあげるべきか。でも、そのおかげで私はこの不思議な楽曲と出会えたのです。う〜ん、悩ましい。
青沼詩郎
『寒い夜明け』を収録した郷ひろみのアルバム『街かどの神話』(1976)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『寒い夜明け(郷ひろみの曲)ギター弾き語り』)