三色すみれ
「三色すみれ」との名詞を恥ずかしながらあまり聞いたことがありませんでした。安易に検索してみる。パンジーの原種のひとつだといいます。
パンジーならよく知っています。東京23区に隣接したベッドタウンにして静かなるカルチャーの温床、ニシトーキョー・シティで私が暮らすに、街路で見かけることも多い花です。
三色すみれはそのパンジー座の座長みたいなものでしょうか。
薬効があるそうです。失恋にも効くと長く言い伝えられたそうな。
……とすると、ハーブティとしても利用されることがあるのでしょうか。
私はハーブティが割合好きな方で、いろんな種のものを試したり、家の棚に持ちぐさったりしている輩なのですが、あのお花の「パンジー」が飲める? 聞いたことがありません。
ハーブティとしては一般に別の名前があるのか? 安易に検索してみます。「ハーツイーズ」が出る。なるほど、これか……やっぱり初耳でした。砂糖漬けにしてデザートに添えるなど目を楽しませる。あるいは、ティとして抽出して飲まれることがあるようです。
ハーブティを品揃えに含めている食品雑貨屋さん……程度では見かけた記憶がありませんし、ハーブティ好きを自負する私なりに、専門店を覗いた経験においても「ハーツイーズ」は見かけたことがありませんでした。いま意識の表層にある状態で最高峰(?)の専門店を歩いたら目に付くのかも分かりません。
参考リンク
ハーブのホームページ https://www.myherb.jp >ハーツイーズ Heart’s ease ~デザートの飾りと咳止めに~
桜田淳子 三色すみれを聴く
歌とアレンジメントと、すごく良い。サウンドのフックも随所に効いています。ほぼ3分に収まるサイズ感と曲の構成も玉のような美観を感じます。
イントロの細やかにかけのぼるモチーフを奏でるのはオカリナでしょうか。リコーダーそっくりだと思ったのですが、イントロの終わり際にかます合いの手のモチーフで聞き捨ておけないポルタメントをみせます。これはリコーダーでは困難な表現に思えます……おそらくオカリナで得られる独特の個性的な表現ではないでしょうか。
オカリナと一緒にイントロを彩る、独特の金属の撥弦楽器ふうのトーンもまた耳を引きます。チェンバロなどの古楽器を思わせるトーンです。金属弦を叩いて演奏するダルシマーの類を思い出しもしましたが、多分鍵盤で演奏する類のものだと思うのですが……具体的な楽器名が不明です。独特の惹きつける冠のような輝き感と、マイルドな耳触りの両方を備える魅惑の魔力ある音色ですね。
細かく絢爛な高域と和声のボディのサスティンあるストリングスづかいに、名脇役感のエレピのベーシックリズムとゆらめく余韻、ほとばしるハープのミヤビな響き、イントロを彩ったオカリナは歌のバックにも登場してくるなど編曲の妙がとにかくすごい。
桜田淳子さんのまっすぐで確かな発声も好感です。かわいいだけでないみずみずしさ。『三色すみれ』を収録する『三色すみれ』は4thアルバムとのことですが、そのときの彼女の年齢およそ16歳。……私の16歳の時は……などと比べるのはやめます。
歌の内容
と、これが恋の実らないかなしい響きをなみなみと携えている楽曲であることにまた驚愕します。
“手を出せば散りそうな そんな花びらを 大切に胸に抱く 愛の三色すみれ”
(桜田淳子『三色すみれ』より、作詞:阿久悠)
恋や愛の形の多くはまぁ一対一、が多数派ではあるでしょう。もちろん複数が同時に絡み合ってなお成立する多様なパートナーシップや恋愛の形があっても良いですが、末長くお互いを必要とする暮らしの基礎とするには複数対複数の恋愛の難易度はいくぶん高そう(器用さと深く広い度量を必要としそう)に思えます。何が言いたいか、つまり「三色」が気になるのです。わたしと、あなたと、あと他に誰かいるのではないか?などと思わせる深淵な数字、「三」。三角関係の三です。
“忘れませんあの日のこと はじめての口づけに めまいがした私 そして聞いたあのささやき “この花のおもいでは 二人だけの秘密 この花がとどいたら すぐに駈けておいで”と 何日か過ぎたのに とどけられないの 待ちこがれ泣いている 愛の三色すみれ”
(桜田淳子『三色すみれ』より、作詞:阿久悠)
「愛の三色すみれ」は主人公自身なのでしょうか。主人公自身の泣きたい気持ちの代わり身になっているのが「三色すみれ」なのでしょうか。不憫です。
はじめての恋愛は「忘れません」とあるように深く長く突き刺さりがちなものかもしれません。口づけでめまいがするほどの緊張感、非常事態としての衝撃。
相手から贈られ(送られ)、届けられるはずの口実の「三色すみれ」。相手が主人公にもたらす恩恵の象徴が「三色すみれ」、あるいはその約束手形のようなものでしょうか。履行されるのか、それは。
““この花は君のため 咲いている”といった “この花を見かけたら 思い出す”といった”
(桜田淳子『三色すみれ』より、作詞:阿久悠)
相手は「三色すみれ」に主人公を重ね見ているように思えます。
ここで冒頭のまえがき付近の因子に立ち返りたいのですが、三色すみれは“長らく失恋の悲しみ (heartbreak) を癒す特効薬であるといわれ続けた歴史を有する”(Wikipediaより)そうです。
そんな花:三色すみれを主人公に重ね見るとは、主人公のこの恋のお相手はなんて非道いやつなんだと。
その花の含む背景、由来、花言葉や意味なんかに精通した上でそれに則って思い出を築くなんてテクスチャーの複雑な関係形成や恋愛活動は、作詞の専門家であってもそうそうやらないかもしれません。
なのでこの主人公の意中のお相手が、「三色すみれが失恋への薬効がある」ことをわかったうえで主人公との関わりを想起させる思い出として認めているというのは私の考えすぎかもしれません。
この歌には、主人公がお相手を示す人称代名詞が出てきません。「あなた」なのか「彼」とかなのか。主人公が相手を指して呼ぶ名詞が不在なのです。そこがまた寂しい。
象徴的な三色すみれだけが主人公の手元に残って、がらんどうの心の代わりに涙を流している。そんな情緒ある美しい歌です。せめてハーツイーズを抽出するホット・ティの温度よ、その心をあたためてやりなよと。いわれてみると、心を楽にさせる、ないしは「心の安楽」……「Heart’s ease」の名前そのままですね。
青沼詩郎
『三色すみれ』を収録した桜田淳子のアルバム『三色すみれ』(オリジナル発売年:1974)