打開の逃避

初めて下田逸郎さんを私が認知したのは、このブログに曲のことをぱらぱらと書いたり、弾き語り動画を撮ってさらしたりする活動を始めてから。ごく近年(執筆時、2020年代前半)のことです。

下田逸郎さんをたどると、楽曲提供、作詞の提供など、ほかの表現者との数多の関わり合いがみえてきます。Wikipediaのリンクをポチポチしているだけでもずいぶんの時間見入ってしまいます。

それをさせるのも、ひとえに素晴らしい曲が多いからです。

冒頭で述べた種々の活動を始めてから始めてまともに認知した素敵なソングライターが私の念頭にいくつも挙がります。魅力的な歌をたくさん書くアーティストを、私はまだまだ知らない。ネットをうろうろする「ゼロ次体験」程度のものでも、作品を知ると新鮮な気持ちや驚きをしばしば得られます。出不精には良い時代です。私に足りないのはフィジカルな「旅」かもしれない。

時折どこかへ逃げたくなるのも、私の願望の一つです。

『ぼくと逃げよう』を聴く

作詞・作曲:下田逸郎。下田逸郎のアルバム『さりげない夜』(1976)に収録。

シャープナインスの響きで不穏な緊張感で幕を開けます。移勢するアコースティックベースが終始動きを出し続けます。ピアノが相棒でコード、トリッキーなリズムを出します。

アコギの出る・引っ込むにメリハリがついているのが巧いです。弾き過ぎていません。連打でリズムを強調するところ以外は、コードチェンジのときにサクっと一回置くだけ。左右に定位を広げるパーカッションに分割を委ねます。

右にボンゴ、左にマラカスかシェーカーの類。右のほうで要所でハイハットのハーフトーンやライドのカップショットのようなものがカン、チン、とアクセントします。いわゆる「ドラムセット」なるものを外しています。左から右に向かってタム回しならぬ「ティンバレス回し」的なものが定位に臨場感を出しています。

エンディングで延々と主題の「ぼくと逃げよう」をリフレインするボーカルですが、3:00頃から男声の通常のピッチブレイクポイントのさらに1オクターブ上のGくらいをヘヴィメタで稀に出会うかどうかな妖しく高らかな声で叫び上げるフェイク。下田逸郎さんがただならぬ「声のつわもの」であるのを思います。終始緊張感ある曲想を適確に表現する下田さんの歌唱。1:42頃〜“本気なんだよ 真面目なんだよ 僕は”あたりのダークな歌唱表現の攻撃的な魅力が光ります。

主題は“ぼくと逃げよう”なのですが、あまり、一緒に逃げんとするパートナーの姿が見えてこないのは私のイマジネーションが乏しいせいでしょうか。

どうも、私には、個人の苦悩を映した楽曲に思えるのです。現状を打開する必要性を最も認知するのは自分自身。自分の中に複数の人格があって、逃避策にすんなりと首を縦に振らない、保守的で腰の重い自分のなかの人格に対して「ぼくと逃げよう」を高らかに執拗に呼びかけるもうひとつの人格……それがこの歌の主格である気がするのです。逃げることは、後ろめたく負け犬くさいイメージがつきまとうかもしれませんが、現状を打開したり、望みのある方への能動を見せたりする「攻め」のアクションであるとも思わせます。

物事を変えよう、環境や条件に対してはたらきかけ、善処しよう、行動をしようとする人格の足を引っ張る人格がいつも私のなかにいて、「そのままでいいじゃん」「どこへ行っても、がまんしなくちゃいけないことはついて回るよ」などと鈍い口をとがらせます。それもまぁ一理あるでしょう。

変わるために、ここから距離のある別の場所に行かんとする人格と、今いる地点に重心をおろし、そのままでいる安楽に身を委ねようとする人格のせめぎあいは、私にとって永遠のテーマであるような気さえします。

“あの山を越えたら 青い海原 その海を渡れば 新しい世界”

“どうせ死ぬまでの命じゃないか ふたりで世界の果てまで行こうよ”

(『ぼくと逃げよう』より、作詞:下田逸郎)

Bメロが、逃避を呼びかける人格のヴィジョンの規模感や聡明さを物語っています。

見通しのあいまいな甘言なのかではないか? などと横やりを入れるのは私の中の腰の重い人格です。

生きても生きても、命はどうせ「死ぬまでのもの」には変わりません。正論です。だから大事に生きたいと思う私も顔を出す。やはり私は生来の腰重漢(こしおもおとこ?)なのかもしれません。

私なりに、地べたつづきにどこかへ行きたいとひた願って日々努力してはいるのですけれど。私が“ぼくと根付こう”なんてアンサーソングでも書こうものなら、駄作の気配。

青沼詩郎

参考Wikipedia>下田逸郎

下田逸郎 Web Site ひとひらconnectionへのリンク 2023年11月1日、“75歳のニューアルバム”、『地球の孤独』をリリース。進行形で活動していらっしゃいます。

『ぼくと逃げよう』を収録した下田逸郎のアルバム『さりげない夜』(1976)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ぼくと逃げよう(下田逸郎の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ぼくと逃げよう(下田逸郎の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)