つよがり

最近つよがった記憶はありますか。あるとしたらいつ、どんな状況でしたか。 

心にはないことをつい言ってしまう。裏腹なことを口走ってしまう。自分を過小に言われた気がして、誇張まがいに自分を大きく見せようと反論してしまう。あるいは、自分の成し得た何かの出来事や功績について貶めるようなことを言われたとき、それを否定するために反論する。つよがっている、と解釈されるかもしれません。

つよがりでなくて、正論かもしれません。他者からみるとつよがりに見えただけで、実際はつよがりなんかではないのに、つよがっていると烙印を押される悲劇もあるかもしれません。そういう烙印を押されがちだという星の人もいるかもしれません。そういう星に生まれた、なんて表現で片付けたらその人に失礼かもしれません。みんな同じ星の生まれじゃんかよ。。そんなこと言うなヨ……(誰)。

泣きながら、泣くんじゃないと言うとか。怒りながら怒ってないと主張するとか。酔っ払いながら酔ってないとくだを巻くとか。これらの例はあんまり関係がないかもしれないけれど、とにかく、観察によって自然に得られそうな解釈や評価と、本人の主張や意思が違うことがあります。言葉だけは違っているけど態度や表情が明らかに内面を物語っている、ということがありうるでしょう。人間とはかわいいもの、とも思いますが、そんな単純な話でもありません。

あなたの心が複雑なのは、あなたがいちばんよく知っている。あなたの感情の起伏をその通りにトレースしているのはあなたのみなのです。あなたの観察するこの世界の、あなた視点の真実を知るのはあなただけなのです。それを、客観的に肯定しうる完璧な証拠あつめをするのは骨の折れる苦労です。

世界中の真実は……70億いれば70億通りの真実は、今日も孤独に震えている。だからヒトは力を合わせないと生きられないのでしょうか。一人ひとりのみぞ知る真実が孤独に震えきって果ててしまうから、人間は社会的な生き物なのでしょうか。体を朽ちさせるのは、まずは心なのではないか。ということは、体の資本は心であり、心を前提に体が成立するのであって、心は体の一部なのじゃないかと。

屁理屈捏ね捏ねゾーンに入ってしまいました。つよがりの話でしたね。表面にみえるものと、その実容の差異についてちょっと追跡したかったのです。付き合ってくださってありがとうございます。

森田健作 さらば涙と言おう 曲についての概要など

作詞:阿久悠。作曲:鈴木邦彦。森田健作のシングル、アルバム 『森田健作の青春』(1971)収録。ドラマ『おれは男だ!』(1971-1972)主題歌。

さらば涙と言おうを聴く

こういうのを本当の大衆歌っていうのじゃないかなと思います。いえ、もちろんそれ以外を否定する文脈にとらえられてしまっては不本意です。もちろん大衆のための歌、娯楽歌も多様であっていいのです。

なんというか、聴き易い。深い音楽知識を前提に、革新的で想像的で個性的で唯一無二のゲームチェンジャーな音楽を!!!……と追求する音楽マニアをうならせる類の楽曲じゃないのは確かでしょう。

しかし、ふだん音楽との接点はたまたま遭遇するときくらいでしかなく、日々音楽以外のなにかのお仕事に努め、生活の潤いをはかる程度のなんらかの音楽以外の趣味をほどほどにたしなみ、お茶の間で家族と食事したあとお茶をすすりながらテレビを見るとなく観る……なんて人が、ふわっとそのままの姿勢・態度・方針・知見でそのままに楽しめるのって、こういう『さらば涙と言おう』みたいな曲なんじゃないかと。この曲は、そういう王道のバランス感があると思うのです。

森田健作さんの歌唱も軽快です。さわやかですね。この曲を検索すると剣道着姿で竹刀を構えた森田健作さんのジャケットがみつかると思うのですが、かっこいいです。こういう先輩が自分の高校にいたらいいし、実際こういう先輩がひとりや二人、どこの高校にもいそうな気がします。私の昭和脳のもたらす盛大な勘違いかもわかりませんが……。

そんなさわやかな先輩像をそのままに増長しうる、軽妙で確かな歌唱だと思うのです。

ボーカルパートの分離がすこぶるよく、聴き易い。音響、ミックスやレコーディング的な成功を思います。

左のほうから哀愁をただよわせるハーモニカ。品があります。泥臭くブルージーなハーモニカとはまったく異なる方向性ですね。テン・ホールズじゃなくて複音とかクロマチックなのか?まではわかりませんが、芯ある音色を優しい息で、メロディラインを確かに奏でます。

スライドギターのトーンがハーモニカと入れ替わるようにリード。はっきりとした音色のコシと柔和なサウンドは、横に寝ているタイプのスティールギターでしょうか。

右のほうでシャクシャクとエレキギターのストラミングが軽快なリズム。ベースとドラムは真ん中あたりですが音像が領分を得ていてボーカルとはっきり分離しています。特にドラムの絞りきったようなミュート感はユニークです。

トランペットが奥のほうから合いの手をいれる、遠い音像に奥行きの演出を感じます。前後感があって好ましい。

ストリングスが右のほうに低域、左のほうに高域がスーっと過ぎるように感じます。ストリングスが醸す、Ⅰ度のバスの上で和音がシックス、メジャーセブンス、と移ろっていくのがおしゃれです。

ボーカルのハーモニーの類はなく、森田健作さんの独唱のまわりの空間がすっきりしている要因のひとつかと思います。字ハモやアーウー系のコーラスなどのボーカルハーモニーで音楽をアツくする、そういう手法で音楽に化粧をするのにぬかりなくする「愛」もあるでしょうが、独唱を貫くことで得られる「哀」の効果も捨てがたい魅力なのだと教えてくれるサウンドです。

決別の対象とずっと歩む

“青春の勲章は くじけない心だと 知った今日であるなら さらば涙と言おう まぶたはらす涙も こぼしちゃいけない こらえきれぬ時には まつげにためよう 恋のため 愛のため まっすぐに生きるため 泣けることもあるけど さらば涙と言おう”

(『さらば涙と言おう』より、作詞:阿久悠)

泣きながら、涙に別れをつきつけているような……人間の不完全さ、至らなさをそのまま演じているような愛嬌を感じます。めっちゃつよがってンじゃねぇかよォ〜〜、と私は嬉しくなってしまいました。「ほっこりした」という方が的確かな。

今後に及んで、きっと、私もあなたも、泣くでしょう。それを繰り返す。けれど、そのたびに、そのときの涙とさよならして、次のタームを迎えるのです。継続する人生の苦難困難試練の気配を感じるのです。かつ、それらが立ち消えない、常に人生に何かしらのハードルがある悲哀を、リスナーに語りかけているような趣を感じます。同類愛のようでもあります。

こんなところが、なんか高校の先輩っぽいんですよね。昭和脳的には。今もいるのかな。絶滅したかな。この記事をみたのが万が一現在進行形の令和の高校生のあなただったらそっと教えて欲しいね。ラインとかで。無理か。

青沼詩郎

参考歌詞サイト 歌ネット>さらば涙と言おう

参考Wikipedia>森田健作

森田健作 サンミュージックサイトへのリンク

『さらば涙と言おう』を収録した『森田健作 GOLDEN☆BEST』(2005)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『さらば涙と言おう(森田健作の曲)ウクレレ弾き語りとハーモニカ』)