映像
サイモン&ガーファンクル ライブ ニューヨーク セントラル・パーク 1981年9月19日
満員の聴衆に屋外ステージ。屋根すらないオープン・エアです。ポール・サイモンがメランコリックなアコギのプレーンな音色のアルペジオ。カポタストをかなりハイポジションに取り付けていますね。コーラスかダブリングのエフェクトがかかっているのか、ずっと2本のギターで弾いている、もしくは12弦ギターを使っているみたいなサウンドで浮遊感あります。
アート・ガーファンクルはポケットに手を引っ掛けたり所在なさげな腕を携え、美しい発声。ふたまわし目でツインボーカルになります。ベースもやや高めのポジションからすっとフィッティングし加わってきます。目立ちませんが、シンセが奥ゆかしく、ちいさな花を添えるよう。エンディング付近の聴衆の歓声が彼らを熱く迎えます。
サラ・ブライトマン MV
サラをうねうねととらえるカメラワーク、クロスフェード。犬を従えて森を歩む女性。月夜。断崖。森、湖、蝶。小舟に乗った女性。水が異様に綺麗で澄み渡っています。小舟に伏せるように寝そべったり、清流の中にからだを浮かべたり。湖に白い水鳥の群れ。その湖が干上がった光景?も。ここで音量も熱を増してきます。ぽつりと残された小舟。水中に頭のてっぺんまで沈んだ女性のシーンが不安にさせるほど幻想・神秘です。
水を携えたクレーターのような湖を望む、ひらけた高い場所で小鹿とおでこを合わせる女性。空をバックにスモークに包まれたサラのカット。まるで「もののけ姫」に出てきそうな鬱蒼とした森の陥没の中、もしくは洞窟のようなシーン。女性のかたわらの鹿が神がかっており、雄々しく角を生やしています。さきほどの小鹿とは別個体? 超越した時間の表現とみるのもありかもしれません。女性をうしろから追い越す猛禽類のシェイプ・体表をもった鳥が画面手前で舞い上がります。ロケ地は、メキシコ??
曲について
概要
イギリスの伝統民謡。 非常に複雑な背景、多様なバリエーションをもち、源流は16世紀、あるいは15世紀頃生まれたとされるイングランド民謡『Elfin Knight(エルフィンナイト)』まで遡れるともいいます。 Simon & Garfunkel(サイモン&ガーファンクル)がサード・アルバム『Parsley Sage Rosemary & Thyme』(1966)に『Scarborough Fair/Canticle(スカボロー・フェア/詠唱)』としたアレンジを収録。映画『The Graduate(卒業)』(1967)に用いられました。
多様に歌われる民謡
どれが正しいバージョンで、どれがオリジナルなのかわからない曲……。そう、どれが正しくて、どれがオリジナルかなんてないようなもの、伝統民謡ですし。数多の歌手、音楽家が個性を出してカバー(?)しています。
背景、詳細、歌詞
力を尽くしていろいろ調べてくださった方の知にあやかってみましょう。
「伝統的バラッド」だとあります。そもそもバラッドって何……ってなりますよね。「物語や寓意のある歌」だそうです。「寓意」って何?…… 比喩だったり、「ほかのことへのかこつけ」だったり、「ほのめかし」だったりのことだそう。ハァ。
歌詞がWikipediaページに載っていますね。そもそも誰が誰に向かって言っているのかよくわからない歌でもあります。詩人が群集にむかって語りかけているのか? その詩の中では誰が誰に何を言っているのか?
どうやら男がいて、かつての恋人だった女性への伝言をその場に居合わせた人にこぼす、あるいはひとり言する……みたいな感じ? でしょうか。女性は女性でカウンターし、男性に伝えてほしいことをいっています。
その応酬が無理難題。ナンセンスで、「ありえない」お題をふっかけているのです。たとえて言うのなら、「コップをさかさまにして水を汲み、飲め」みたいな感じ。さすれば汝は我の真の恋人である……的な。もう一度恋人になりたいのかなりたくないのかよくわかりませんね。何か恨みでもあるのでしょうか、お互いに。
そもそも、スカボロー(Scarborough)はイギリスの地名。北東部だそうです。フェア(Fair)は市、マーケットのことですね。あなたがそこへ行くのなら、そこにいるであろう人に伝えてほしい……私のかつての恋人なんだけどさ、こんな頼み事(伝言)をしてほしい……「ムニャムニャウンタラ(無理難題の内容)」みたいな歌詞。詳しいことは下記サイトで掴んでいただけるでしょう。
世界の民謡・童謡 > スカボローフェアの謎 ドナドナ研究室 サイモン&ガーファンクルのアレンジで有名
パセリ、セージ、ローズマリー、タイム……というのは何? 以下の記事がわかりやすかったです。
高知学芸塾 > “スカボロフェア” – 映画 “卒業”サウンドトラックより > サイモン&ガーファンクルの世界へようこそーその2
ハーブの名前をとなえるのは魔除けの意味か。日本において、オバケの脅威に対して「南無阿弥陀仏」「くわばらくわばら」などと言うのに似ている、という説明がしっくりきます。
おぞましいもの 妖精の騎士 エルフィン・ナイト
スカボロー・フェアのもとになっているという「エルフィン・ナイト」というバラッド。妖精の騎士、と直訳できますが、これは現代のフィクションやエンターテイメントにみるカッコイイとかカワイイの類でなく、死霊みたいなおぞましいものと思うのが理解の助けかもしれません。「エルフィン・ナイト」では、コイツが無理難題のなぞかけをしてきて、タマ(命)を取ろうとしてくる。それを退けるように、知らんぷりするみたいに、4つのハーブの名前を唱えるのです。この流れが、「スカボロー・フェア」の元となった「エルフィン・ナイト」なのだと私はざっくりとらえました。
男女の歌へ
これが変化して、男女の恋人の無理難題の応酬みたいになったのか。先程も述べましたが、恋人に戻りたい(未練がある、いまだに愛している)のか、相手に対してあてつけしているのかよくわからないやり合いです。ケンカをふっかけるにしてはまどろっこしく、良くいえば知的すぎる。感情の熱線から1歩も2歩も(3歩も4歩も……)引いて、謎かけや暗喩で痴話喧嘩できるカップルがいたら2人は相当偉大な詩才がありそうです。そんなカップルがこの世にいて欲しい気もします。あるいは、謎かけが「無理難題である」というところには、「僕たちはもう決して戻れない。けれど本当に愛していたんだよ」という、寂しく恋しい気持ち(思想)があるのかもわかりません。
……だいぶ私の飛躍と誤解を含んでいるかもしれませんが、そんなところでしょうか。
反戦歌へ サイモン&ガーファンクル
この曲をフォーク・ミュージシャンのマーティン・カーシーづてに学び、1966年に再解釈・創作し彼らのサード・アルバム『Parsley Sage Rosemary & Thyme』(1966)で発表したのがサイモン&ガーファンクル。浮世離れした美しいハーモニー、絹のような耳触りのサウンド。ベトナム戦争が時事だったこともあり、ポール・サイモンの別のオリジナル曲『The Side of a Hill』からの引用を交えてアート・ガーファンクルとともにアレンジメントしたようです。『スカボロー・フェア』の本筋のラインにカウンターするライン。戦争のある光景の描写から、反戦のメッセージを抽出できるかもしれません。
Scarborough Fair / Canticle
左からメランコリックなアコギのアルペジオ。フィンガーピッキングでしょうね、繊細でやわらかい響きとアタックで柔和です。左奥のほうからオフマイク気味のグロッケン。右にチェンバロのような古楽器が入ってきます。輪唱風に別の歌詞で追いかけてくるパートが入ってきます。主旋律(先発)は重唱のまま。輪唱が加わりボーカルトラック数が増えます。繊細に余韻。演奏をやめるノイズの生々しさもそのまま。声のハーモニーの美しさが際立ち、絞った編成で通しています。神妙。
The Side of aHill
ポロポロとギター。さびしさ漂います。この世の終わりみたいな空虚な響き。対してギターのトーンそのものは暖かい。ボーカルもアナログなフィール。残響の奥に向かって澄み、遠ざかっていく質感が美麗です。しゃべるように言葉を淡々とのせるスタイルはフォークのそれですが長い音価も効いています。結びの主題の句 “The Side of a Hill” は特に入念かつやさしく。エンディングのギターのモチーフが私のフェイバリット・ソング『アンパンマンのマーチ』のメロに似ているのが気になってしまいました。美しい着地です。
旋法の話
サイモン&ガーファンクルの音源にならい、Eマイナー調でとらえてみます。
8小節目2拍目(図中、2段目3小節目)のC♯が特徴。
出てくる音をならべてみますと、
ミ ファ♯ ソ ラ シ ド♯ レ ミ
となります。これらの音をつかって、この「スカボロー・フェア」のメロディが弾けます。
ドの「♯」がなければ、Eマイナーの自然単音階かつE・エオリアン・モードなのですが、この「C♯」の響きが濃ゆい影。
ドリアン
「ミ ファ♯ ソ ラ シ ド♯ レ ミ」間に音程の長短を挿入するとこのようになります。
ミ(長)ファ♯(短)ソ(長)ラ(長)シ(長)ド♯(短)レ(長)ミ」
隣り合う音への移ろいの距離、その順番が主音(ここでは「E =ミ」)から順に長・短・長・長・長・短・長。これはドリアン・モードにあたります。
ドリアン・モードは、「レ」の音から順にピアノの白鍵を高い音程へ向かって順番に弾いていったときの音程の長短のならび順です。「レ旋法」とも呼ばれるのはこのためです。
この長短のならび順の特徴を「ミ」を主音に適用すれば、サイモン&ガーファンクルがパフォーマンスした「スカボロー・フェア」の旋律が紡げるE・ドリアン・モードです。「レ旋法」なのに「E(ミ)」? ややこしや?
「ドレミファソラシ」各旋法に名前があります。
ド旋法 = アイオニアン(イオニアン)・モード Ionian Mode
レ旋法 = ドリアン・モード Dorian Mode
ミ旋法 = フリジアン・モード Phrygian Mode
ファ旋法 = リディアン・モード Lydian Mode
ソ旋法 = ミクソリディアン・モード Mixolydian Mode
ラ旋法 = エオリアン・モード Aeolian Mode
シ旋法 = ロクリアン・モード Locrian Mode
12半音それぞれを主音にすることができます。12主音×7旋法で、84の「(音名)・(旋法名)・モード」ができますね。子沢山!(?)
後記
「スカボロー・フェア」について、ネットのみでもかなり詳しいことが方々で扱われていて、まとめるのも難しい(まとまりのない記事をここまで読んでくださってありがとうございます)。ひとことで言うのがむずかしい事象は、説明が長くなりがちです。
メッチャ古くから歌われ、磨き上げられてきた、新陳代謝する時代超越ソング! といったところでしょうか(ああ、私の陳腐センスで乱暴なまとめを付してしまった……)。
オタマジャクシ(音符)のみを取り出してみると、教会旋法の話がしたくなり、かつてから書きたいと思っていたテーマでもあったので加えました。とりとめのない記事になってしまったかもしれませんが、何かの役に立てば幸いです(おもに私自身のための覚書)。
「どれがオリジナルかわからない」くらいに、ローカルのくちびるに宿って生き続けてきた歌。真似たり模倣されたりしうる指標を近現代にうちたてたサイモン&ガーファンクルの功は偉大です。美しく繊細な綾と確かな骨格は両立しうるのですね。素晴らしいお手本(さらっと進めてしまいましたがマーティン・カーシーの偉業あって、でしょうか)。
「スカボロー・フェア」に興味を持っていただけたようなら、ぜひめいめい調べてみてください。私がいかにデタラメを書いたかフィードバックしていただけるくらいだとなお最高です。神妙だけどずっと新しく鮮やかな空気を宿しつづける、虚空を漂うメロディ。神妙・神秘です。
青沼詩郎
『Scarborough Fair / Canticle』を収録したSimon & Garfunkelのアルバム『Parsley, Sage, Rosemary and Thyme』(1966)
『Scarborough Fair』を収録したSarah Brightmanのアルバム『La Luna』(2000)
旋法ほか作曲についての参考書。『作曲の科学 美しい音楽を生み出す「理論」と「法則」』(フランソワ・デュボワ、講談社、2019年)
ご笑覧ください 拙演