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横山だいすけ

せつなーーい感じがすごいアレンジです。横山だいすけは11代目うたのおにいさん。ピアノ主体にストリングス、トライアングル、ウィンドチャイムなどをつかった編曲。ポワポワいうシャボン玉を思わせる効果音のようなものも聴こえます。子音がどことなく土臭いだいすけお兄さんの歌唱。漂うシャボン玉に目線をやるような芝居と手振りつきです。番組仕込み? オープニングとはうって変わって、歌の終わりは希望のある感じの表情。シャボン玉あそびに興じる、子供らの純粋な楽しみの時間を見つめるようなまなざしです。

平山美代子・尾村まさ子・鈴木安江

こちらは古い音源。音程がヨレて揺れます。盤面のそり返りや歪みでしょうかね。作品内容に関係のないノイズでやや気が散りますが、それでも個人的には打ち込み臭いDTMのオケよりこっちの方が好きです。映像の音源は低音が薄々ですね。ズンチャカズンチャカ、管も弦も渾然一体となってきこえます。ちょっと色んなパートの聴き分けはしんどいですね。むか〜しむか〜しの演歌のちょっと明るめなやつのような節回しを感じる伴奏です。歌手は声を合わせて元気いっぱい歌っています。平山美代子・尾村まさ子・鈴木安江の歌唱、日本ビクター管弦樂團の伴奏。映像冒頭のレーベル面が、右から左に読むヨコ書きです。音源ではわかりませんが、「島田 豊振付」とレーベルにあります。投げ込みの歌詞カードか、ジャケット印刷面などに振り付けの図があったのかもしれません。あまり歌われず、知られていないロングバージョン。追加された分の歌詞は、昭和11(1936)年、野口雨情によって書き足されたもの。

曲の発表の概要

作詞:野口雨情、作曲:中山晋平。1922年に雑誌『金の塔』に詩が発表されました。翌1923年、中山晋平『童謠小曲』第三集で曲が発表。

“しゃぼん玉、とんだ。屋根までとんだ。屋根までとんで、こわれて消えた。

しゃぼん玉、消えた。飛ばずに消えた。うまれてすぐに、こわれて消えた。

風、風、吹くな。しゃぼん玉、とばそ。

(野口雨情『しゃぼん玉』より)

しゃぼん玉に対して、“うまれて”という言葉をもちいているのが気になります。

ほかに言い換えがあるでしょうか。「できて」「ふくらんで」「ふくれて」あたりかしら。「うまれて」でもちろん良かったと思います。ですが、「うまれて」と言われるとなおさら思わずにいられないのが、人の生死の比喩です。

野口雨情は生まれたばかりの子を亡くした経験があるそうです。だから、この歌をかなしい歌と解釈する説明は非常に多いようです。

もちろん、作者が自分の実体験の悲哀を詩の中で嘆かずにどこで嘆くのだとも思います。実体験、詠んで結構。

一方で、べつに作者自身の個人史がどうだっていいじゃない、の思いももちろんあります。

幼い子を亡くすのは、人類の普遍です。

……というとちょっと、言葉の不適切があるかもしれません。これを読むあなたがいま、悲しみにくれている最中だったら傷をえぐるようで申し訳ないことをしたかもしれません。

ですが、幼い、それもまだ生命力がみなぎってくるような段階に入るまえの、ほんとうにほんとうに生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなることって、本当によくあることだったと思うのです。現代でももちろんあるし、これが野口雨情の時代ならばなおさらです。たかが100年程度違うだけで、ほんとうに生まれたばかりの赤ちゃんが無事に、生命力がみなぎるくらいまでのある程度の大きさまで育つ確率は、飛躍して上がったと思います(ここでは新生児の致死率や医療の発展のことを明るくするのが主旨ではないので根拠は省きます)。

だから、野口雨情個人がどうとかいうのを超越した普遍性をもって、多くの人にかたりかけるやさしい詩だと私は思うのです。それが言いたかっただけ。

しゃぼん玉は、いのちの比喩と読んで味わうのもいい。あと、青少年や若者(あるいは大人でもけっこうです)の自己実現の比喩ととらえて解釈するのもよいのではないでしょうか。夢や目標をもって、だれもが己の道を歩みたいのだとします。でも、その道をすすみ、高みまでいける者もあれば、ひょんなことから出鼻をくじかれ、しゅんとなり、それっきりその目標や夢や希望はうしなわれ、永遠に戻ってこないこともあるのではないでしょうか。

たとえば私でいえば、音楽の志をいつも胸に生きています。ですが、ある人の作品や演奏が、熱烈をもって世界に広まり、その後もその表現者が大海を順風満帆で旅していけることもあれば、ずっと、その人の内なる情熱が、いつまでたっても思いとは裏腹にその人の胸のなかでうずまき、くすぶり続けることもあるのです。

……まどろっこしかったですね。はっきり言います。売れたくて売れる人もあれば、いつまでも無名の人もあると言いたい(笑)それだけです。

しゃぼん玉は、新生児や乳幼児の生死の無情を描いた詩だとも解釈できますし、その後の青春する若い心や、人生に心を砕き続ける大人さえもその守備範囲に含めた、やはり普遍で永遠なるありがたい詩だと思うのです。

しゃぼん玉をはじけさせてしまいかねない、。人生のあらゆる困難の象徴です。私は、いつも、風に吹かれている。あなたもきっと、そうでしょ?

後記

詩の発表の媒体になった『金の塔』は、仏教の児童雑誌と形容する解説が見当たります。だからというわけでもないけれど、余計に、いのちの無情(無常?)を描いた詩のような気がしてしまいます。それだけ、解釈に深みと宇宙の広がりがあるということ。

曲のメロディはこまかく上がったりさがったりして可愛らしいです。ところどころに跳躍音程や順次進行もあるし、凪いだ風の中をふわりと平和にいくかと思うと、ちょっとした突風にヒョっと動かされつつもたくましく天にのぼっていく子供のいのちの強さ、その虹色の多様な輝きを思いもします。歌ってよし、じっくり味わってよしの童謡です。

青沼詩郎

参考

池田小百合 なっとく童謡・唱歌>シャボン玉

Wikipedia>シャボン玉

『シャボン玉』歌詞にみることばの印象付けのテクニック・メロディを徹底分解して、いかに歌の内容にあった表現をしているかを解説した1冊『歌い継がれる歌と、消えゆく歌の違いとは? 「童謡の法則」から学ぶ作詞・作曲テクニック』(著:野口義修)。『シャボン玉』ほかたくさんの有名な童謡を解説しています。

いろいろ聴き比べのご紹介

はいだしょうこが歌う『しゃぼん玉』収録の『みんなの童謡・唱歌 めだかの学校~夕焼けこやけ』。ハープのポロンポロンとケンランな音色が伴奏のボディ。グロッケンやストリングスのピチカートが彩ります。最高音のビブラートやや強めのはいだしょうこの歌唱。

『さだまさしが歌う唱歌・童謡集 ~アルバム「にっぽん」より~』に収録。フルートのイントロにオーボエも絡みます。ピアノ伴奏にストリングス。ゆったりめのテンポで、さだまさしの情感をタップリだした歌唱です。

『おやこでいっしょに どうよう』収録、歌唱:山野さと子。消音器のついたトランペットの「ホワッ」という合いの手が気になります。コミカルですね(吉本新喜劇の刷り込みのせいかな)。山野さと子の歌唱はみずみずしくまっすぐで好印象です。後半児童合唱が入ってきますね。ストリングスが軽妙なピチカートとよく歌うアルコでいい音で入っています。ヴィブラフォンの揺れやハープも気持ちよく入ってきます。エンディングにもおくゆかしくトランペットが「ホワッ」。わかったよ、もう好きにやりなさい……と言ってやりたくなる感じ。w/森の木児童合唱団、編曲:冬木透。

これは……変わり玉ですね。柳田健一『シャボン玉飛ばそう』収録。オルガンソロがナイスです。マイルドなピアノ、絡むチェロ。歌唱は外国語ネイティブみたいな独特の子音のエネルギー、口腔内をあえてちょっと狭く使ったような響かせ方があります。エンディングにむけて重唱になりエモーショナルに。歌のポジションも上がっていき、むすびのラインはまた落ち着いたトーンの歌唱で“シャボン玉飛ばそう”。後奏がつづきます。アルバムのラストトラックらしくまだまだ終わりません。ピアノソロへ突入。イントロとエンディングには環境音。子供らや鳥の声が入った、公園にいるような音です。エンディングはこの環境音に並行してずっとうっすらと流れていたピアノがやがてまたクロスフェードして前に出てきます。ついにフィニッシュ。この短い童謡がロックオペラのようなサイズになりました。聴かせる独特のフックがありますね。ピアノやオルガン以外のベーシックやストリングスには打ち込みを用いているでしょうか。すべて人間の演奏のバンドでも聴いてみたいですね。

ご笑覧ください 拙演