Chu’s Cafe 小坂忠 本人が語る『しらけちまうぜ』
『しらけちまうぜ』は当初、作曲のみでなく作詞も細野晴臣だったとのこと。小坂忠が「ビビディバビディブーだった」と語っています。曲のタイトルがビビディバビディブーだった、あるいはタイトルであると同時に歌詞にも登場したのかもしれません。どんな歌詞・曲だったのか……興味が湧きます。あとから松本隆が新しく歌詞を書き、『しらけちまうぜ』になったのですね。
ことばのことを小坂忠が語ります。「〜ちまうぜ」を普段会話に用いない、使う機会がない……といった趣旨のことをおっしゃっています。自分が普段用いない言葉は歌うのが難しい、とも。彼の歌唱の丁寧さ・解像の高さは、言葉への深い理解が源泉の一つであろうことが伺えるお話です。
ご本人が語る動画の後半に音源が歌詞つきでついています。そのまま曲をお聴きください。
小坂忠『しらけちまうぜ』を聴く
先にも述べましたが、小坂忠の歌唱が非常に丁寧です。母音、子音……言葉のあたまにもおしりにも細心が注がれて感じます。歌唱に色気を与える一瞬のしゃくり上げのような表現も技巧です。Bパートでダブリングの演出がみられます。小坂忠『しらけちまうぜ』以外の諸般の音源について厳しい目線でいうと、ボーカルのブレを魅力に変えるために用いられがちなのがボーカル・トラックのダブリングですが、小坂忠のダブリングはすこぶる透明です。敬意を表して、「積極的ダブ」とでも言いたいところです。
演奏も抜群。
リズム隊の16ビートがグルーヴィーです。ドラムスのキックやベースが16分音符でウラ拍にもストロークをいれています。針の穴に糸を通すような緻密さを、自然な脱力で奏でているように感じます。
左にアコースティック・ギターのカッティング・プレイ。エレキギターに任せてもよさそうな役割ですが、プレーンなアコギサウンドでほかのパートを邪魔しない軽妙さです。
エレキギターは右側。カラっと目立つサウンドでリードやオブリガードをいれています。オープニングのオクターヴのカッティング・プレイは今日、さまざまなポップスやロック曲に似たフレーズを見出せるのではないでしょうか。これがあるだけで雰囲気がゴキゲンかつ明るくなります。エンディングでバックグラウンド・ボーカルが“さよならベイビイ”というほろ苦い言葉を歌っているところで、この明るいエレキのカッティング・フレーズが鳴っている……別れを前向きにとらえている表現に思えます。
アコースティック・ピアノのストロークも要所で活きています。ストリングスがサスティン、音の厚みを強めます。オルガン・トーンはまるで、はっぴいえんど『風をあつめて』で聴くことのできるあのサウンドそのものに聴こえます。
よく聴くとラテン・パーカスも左側にいるでしょうか。ドラムスのタムやリムの音とも調和しており、合奏になおいっそう厚みを与えたうえで風味をプラス。食材でいったらチーズのような……風味のボディと香りのトップの両方を持った発酵系です。
バックグラウンド・ボーカルも華。メインボーカルのあとで歌詞をレスポンスします。語末に細かく「Hoo」を入れます。ロングトーンが感情を強調。エレキ・ギターのところでも述べた、エンディングの“さよならベイビイ”。このフレーズはメインボーカルが歌いません。主人公が胸に秘めた言葉の代弁なのかもしれません。
歌唱、演奏、ミックスと多方面にうなるばかり。その瞬間ごとに目立ってくるパートが違います。記憶を回想し、ハイライトシーンが次々に移ろっていくような演出に感じます。あんなこともあった、こんなこともあった……と、別れるパートナーとのあいだでの出来事が主人公の頭の中で明滅していくようです。
曲の名義など
作詞:松本隆、作曲:細野晴臣。小坂忠のアルバム『HORO』(1975)に収録。
歌詞
小坂忠ご本人も話題にしていました、主題の“しらけちまうぜ”。
「しらけてしまう」と用いるであろうところを、「しらけちまう」としています。「てし」が「ち」に変化しているのですね。
正直、『しらけちまうぜ』のオリジナルのメロディを極端に壊さず「しらけてしまうぜ」を歌うこともできなくはないでしょう。16分音符をひたすら連打すれば良いのです。「しらけてしまーうーぜー」といった具合です。
オリジナルの「しらけちまうぜ」の発音をちょっとおおげさに表現すると、「しらけっちまーうーぜー」といった感じでしょうか。「しらけ」のあとに、16分音符ひとつ分のタメがあるのです。この一瞬に、後続の「ち」を爆発させるエネルギーが宿るのではないでしょうか。
「てし」を「ち」に変化させる点についてと同様に、語尾が「ぜ」なのも、主人公の態度や人格を演出しています。
普段からそういう人なのか、あるいはパートナーとのこの別れを、しみったれたモノにしないために、この時ばかりあえてぶっきらぼうな態度をとっているのか。
先の動画で小坂忠は「関東弁」とおっしゃっていました。現在の関東、ことに東京についていうと、あらゆる故郷をもつ人が入り混じる街であり、生粋の「関東弁」、「江戸っ子」のようなものを感じる機会は少ないのではないかと私は思います。確かに小坂忠がいうように、日常で「〜ちまうぜ」ということばづかいに遭遇する機会は稀ですね。
そう考えると、「別れをしみったれたモノにしないために、わざとこの時ばかりはぶっきらぼうな態度をとっている」という私の説がより線を強固にします。
「しらけちまうぜ」のワンフレーズだけで、別れへの隠れた未練、心の振れ幅や揺らぎとは裏腹なつよがりな態度を私は感じるのです。さらには、小坂忠の言うように「関東弁」であることを思うと、主人公たちの恋の舞台は都市:東京あたりだったのかなと、バックグラウンド(背景)への想像も及びます。東京以外の都市の人が、つよがりな態度をわざととるときに「〜ちまうぜ」ということばづかいをすることってあるのでしょうか……? そうでなくとも、なんとなく「都市」「都会」を感じさせるのは、曲や演奏・録音の洗練のせいかもしれません。
“彼氏が待ってるぜ 行きなよベイビイ 早く消えろよ”(小坂忠『しらけちまうぜ』より、作詞:松本隆)
“早く消えろよ”はかなり強い言葉です。使う状況を見誤れば、ことばの暴力に匹敵するくらいの鋭さ、あるいは鈍器で叩くような破壊力・衝動があります。ここでは突き放しの文句ですね。ためらうことをよしとしない。この瞬間の未練・ためらいは、主人公・パートナー(「ベイビイ」?)・彼氏、誰のためにもならないことを強く示すかのようです。もう結論は出ているのなら、その結論に負けたほかの異論について一理あった部分などに目をくれてやるのは、当事者たちの歩みを滞らせる害悪でしかないのでしょう。
“泣いたらもとのもくあみ”もユニークな表現です。日常で「もとのもくあみ」という表現を用いるのは、私としては稀です。検索しました。好転した状況がまた元に戻ってしまうこと……といった意味が出てきます。
別れはもう揺るがない結論ならば、泣いたってわめいたって、その結論に影響はないはずです。
それでも泣いたら、結論を揺るがす方向に気持ちがなびいてしまう……そんな裏面の心があるのを想像します。
かっこよく、颯爽と、この結論に波風立てずに別れること……それこそが建設的で適切な態度である……泣いたら、そのスムーズなはこびが「しらけちまうぜ」ということなのだと。
“いつでも微笑みをありがとうベイビイ 倖せだった”(小坂忠『しらけちまうぜ』より、作詞:松本隆)
ぶっきらぼうでつっけんどんな態度で突き放すかと思えば……紳士で優しく、素直な感謝をみせます。別れる前の良かった時期を想像させます。ふたりの関係が奥行きを帯びます。他人事とは思えません。私はこのドラマに見入ってしまいます。
でも、結論を覆して、やっぱりもっと一緒にいよう、というのとは違います。
“僕らは肩すくめ帰るさベイビイ 口笛吹いて”(小坂忠『しらけちまうぜ』より、作詞:松本隆)
良かった頃のことも、決別に至った現在も含めて受け入れ、それぞれの道をいく意思の表明に、私はせつなさが込み上げます。
主語が「僕ら」と複数になっているのに気づきます。肩をすくめて一緒に帰る、同類の士のような友が主人公にはいるかのでしょうか。「恋が実らない組」……みたいな……独身者のコミュニティにおいて、「いま、恋人がいて幸せか」の白黒によって、線を引いたかのような態度を取り合ったり、揶揄しあったりすることってあると思います。
少し前なら「リア充」なんて言葉も聞きました。そもそも恋愛が関心事ではない人も世にはたくさんおり、「恋愛や結婚をするのが当たり前」という押し付けが遠ざけられることも増えてきたかもしれません。私はみんな好きにすればいいと思っていますが……。
話が『しらけちまうぜ』から少し逸れたかもしれません。「口笛吹いて、肩すくめて帰る僕ら」、それはつまり、決別するパートナーとの間柄が主人公の人生のすべてではないのを積極的に認め、ありのままの現実を捉えて彼らが前を向いている描写に思えます。
余談ですが私は、歌詞の“僕らは”を“僕なら”と聴き間違えて覚えてしまっていました。ちょっとニュアンスが変わりますね。
余談を重ねますが、口笛吹く「僕ら」の群像、哀愁の描写で思い出すのは斉藤和義『空に星が綺麗』。そちらも私の大好きな一曲です。『しらけちまうぜ』と直接関連はないかもしれませんが、主人公と一握りの仲間における、都市を舞台にした哀愁の面で、猛烈な共通点を感じるのです。
むすびに
言葉の扱いが丁寧な歌唱、グルーヴィーな演奏が絶好。颯爽とした別れの態度は本心なのか、未練を制するためのモーションなのか……自分のため、相手のため? 「しらけちまうぜ」のワンフレーズでキャラクターの想像がふくらみます。コンパクトな曲想ゆえか、余白に鑑賞者の思いや発見が満ちてきます。聴くほどに惚れ直す、大好きな曲。
青沼詩郎
『しらけちまうぜ』を収録した小坂忠のアルバム『HORO(ほうろう)』。オリジナル発売:1975年。
ご笑覧ください 拙演