めちゃくちゃいい。バンドの音、ショーケン(愛称で失礼)のムーディで渋いが高いところでキラっと光る歌唱。
なにより、この哀愁においまくりの楽曲。これ、「かまやつ(ひろし)さんじゃ?」と、楽曲の作者クレジットを見る前に気づいたほどです。(かまやつさん、私のフェイバリットミュージシャン・ソングライターなのです)
1分20秒頃が、“あくだればかり うわついていた”と私に聞こえ、これが気になりました。「あくだれ」ってなんだろう。茨城のことばだとか、宮城のことばだとか検索でみつかります。悪態をつくとかそんなニュアンスのようです。あるいは、正しくは“あくがればかり”でしょうか。「憧(あくが)れる」と、「憧(あこが)れる」と同じつづりになり紛らわしいですがその意味・ニュアンスは「憧れ(あこがれ)」と「憧れ(あくがれ)」で違いがあるように思えます(goo辞書へのリンク)。歌詞の文脈だと、やっぱり「憧れ(あくがれ)」のニュアンスがしっくりきます。
なんだかすごい郷愁の色が強く薫る楽曲ですが、作詞の山上路夫さんも作曲のかまやつひろしさんも、東京出身のようです。でもかまやつさんのルーツは弘前にある(参考リンク・ローリングストーン>ザ・スパイダースが与えたシーンへの影響、当時のプロデューサー本城和治と振り返る)といいます。私の記憶のなかの『エレクトリックおばあちゃん』(Wikipediaへのリンク)が共鳴します。だから、作者情報をみるまえは作詞も作曲もかまやつさんかと思ったくらいです。
こうも見事な哀愁・郷土を想うニュアンスを出すのは、萩原健一さんの歌唱の表現力なのだと思います。萩原さんは埼玉が出生(参考Wikipedia)。遠くからはるばる上京したのちに郷土を思う……という構図が重なるには、埼玉はちょっと近いかもしれません(県内も広いですからいろいろでしょうけど)。
そもそもメンフィス・レコーディングをしたことにより、「遠く離れたところまで来ちまった」感が、楽曲の表現のエモみの増長を手伝ったかもしれません。海外レコーディングは電圧も気候も違うから音が違う、といった旨の声に出会うことは多いですが、そうした環境の違いは表現の内容に直結してあらわれると思います。海外レコーディング、許されるなら、誰でもどんどんやるべきかもしれません。(私もやってみたい。。)
現実のミュージシャンの出自の話とかレコーディング環境の話になってしまいましたが、とにかく楽曲の内容、録れてる音、すごく好きです。
途中でC→D♭への転調がシンプルな曲の構造にフレッシュな息吹。左にギター、ベース、ドラム、BGV(バックグラウンドボーカル)と振って、右にオルガン、ピアノを振って、まんなかにショーケンさんのボーカル。定位の付け方が非常に特徴的です。
元あった場所から移動する・偏ることによって、「普段」や「過去」の様相がありのままにみえてくるのを思います。その時にやっと気付くのです、皮肉にも。ありがたみも、恩恵も。
青沼詩郎
大人のMusic Calendar>ショーケン初のソロ・アルバムとして制作されながら、最後までテンプターズの呪縛から逃れられず大誤算!?
海外れコーディングはメンバーの慰労を兼ねていた?旨、ソロとして明確に打ち出していれば当時から評価されていた可能性の示唆などがうかがえる、音楽ライターの中村俊夫さんの記事です。
GS人気の翳りに対する積極的な打開というよりは、森山良子さんのアルバム『森山良子・イン・ナッシュビル』に触発され相乗を図った「副産物」である旨を強調した論旨がうかがえます。当時から、はっきりとショーケンのソロとして打ち出していたとしても、もともとのファン層の想定する音楽性との違いなどを理由に、当時のヒットの規模はそこまで変わらなかった可能性を述べている点、独自の察しがうかがえるandyさんのブログ記事。
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(こうしたブログ記事の多さひとつとっても、当時のGSブームやテンプターズなどの目立ったバンドの人気ぶりが察せられるように思います。)
『都会の中で』(「AMONG THE CITY」の英題があるよう)を収録したザ・テンプターズのアルバム『ザ・テンプターズ・イン・メンフィス』(1969)