パリのめぐり逢い フランシス・レイ 曲の名義、発表の概要
作曲:Francis Lai(フランシス・レイ)。映画『パリのめぐり逢い(Vivre pour vivre)』(1967)のテーマ(劇伴音楽)か。原語詞の作詞:ピエール・バルー(Pierre Barouh)。日本語版の訳詞:なかにし礼。
いしだあゆみが歌ったパリのめぐり逢いを聴く
白いもやに包みすべてを幻惑するような迷宮サウンドとメロディ。
いしだあゆみさんの全編に渡るソフトな発声・歌唱とラビリンスな和声展開・ボーカルメロディと歩み寄りの余裕をくれるゆったりとしたテンポ、奇数拍子が激ハマりです。不思議で神妙な音景に思わず足を止めて引き込まれてしまいます。
イントロからチャランときらびやかな音色で印象付ける楽器はなんなのでしょう。クラヴィコードなどの鍵盤古楽器を想像させます。弦をはじく系よりは叩く系の音色に聴こえます。この鍵盤系古楽器と思われる音色が私に現実を健忘させるのです。
ほか古楽器以外の音色を総合しても幻想的な音色で、モブや景色が存在したとしても意識を向けることを忘れさせるのです。もやのなかで、わたしとあなただけがいる。そんな盲目的で甘美な気分を演出します。同時に遠くを見て甘美な時間を回顧する儚さ漂う。今はもう遠く離れてしまった過去の時間だからこその哀愁、アンニュイさが漂います。
真ん中付近と右側定位にぽろぽろとやさしい音色のギター。鍵盤古楽器(仮)のように印象の表層をかっさらう存在感ではありませんが、哀れではかない雰囲気の演出に絶大な力を貸します。
ふぉぅんと漂うビブラフォンの音色もゆったりとした時間の経過を演出する紳士さです。
左側に開いたブラシで演奏するスネアと、軽く足でふむハイハットのような音色だけが機械的に秩序を刻む柱時計のようです。パサパサ、サワサワとそよぐ風に呼応する木立の葉なのかもしれません。
ストリングスの中高域の糸は女声のような生命感を持って私に迫ります。いしださんの単一トラックのボーカリゼーションに対して「クワイア(合唱)」のように覆い被さることなく質感を棲み分け、みずみずしい潤いと豊かさ、恵みの川を流します。
足元をあたためるベースは足湯のような安堵感です。私の偏った個人的体験がパリを遠ざけてしまうみたいですが……パリだったらなんなのだろう。朝のカフェで冷気に暖気のブイを浮かべるカップ・オブ・コーヒー(tasse de café ?)でしょうか。
ひとつの調性によりかかるのを放棄する、霧散してしまう病的な夢遊和声。そう、夢をみているようにとりとめなく、異次元にちらばったカットを気ままにつぎはぎするように響きがうつろっていきます。ミステリーツアーみたい。しかし、機械抽出でこのようなコラージュにはなりません。素養のある人が「夢ってこんな感じ」という芸術的思想に基づいて遊んだような和声が私に「夢遊」を思わせるのです。
最終的にはE♭メージャーに着地するのにイントロでいきなりD♭メージャーで始まるから生まれる場所を間違ったような感覚になる。いえ、生まれてみて、実際に人生を歩みはじめたら出生地以上のふるさとを別の地域に見出し、そこで人生をフェイドアウトしていく……そんな物語を思わせます。
メジャーセブンスやそこからの下行によるシックスの響き、サスフォーのあいまいな響き、結論を先送る短三和音のもどかしさ。
映画のオリジナルの劇伴はインストなのかな、フランシス・レイ名義のそれっぽいものを探して聴くに、いしださんバージョンのものと雰囲気の統一感があります。いしださんバージョンが丁寧に原作の雰囲気を尊重して制作したのでしょうね。
J-WIDなど検索するとピエール・バルー(Pierre Barouh)が書いた原語(フランス語)の歌詞があるようなのですが、フランス語による歌唱のオリジナルアーティストが誰なのか特定しかねています。映画ではどんな使われ方をしたのかな。観てみたいです。
青沼詩郎
日本語版歌詞 参考歌詞サイト KKBOX>パリのめぐり逢い(由紀さおり名義)
いしだあゆみの『パリのめぐり逢い』を収録した『いしだあゆみ・せれくしょん』(2014)。いしだあゆみによる『パリのめぐり逢い』のオリジナル収録はいしだあゆみのアルバム『スクリーン・ラヴ・テーマ』(1972)だと思われます。(参考レコード商サイト 中古CD・レコード・DVDの超専門店 FanFan>いしだあゆみ / スクリーン・ラブ・テーマ)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『パリのめぐり逢い(フランシス・レイの曲)ギター弾き語り』)