四つのお願い ちあきなおみ をYouTubeで検索

作曲:鈴木淳、作詞:白鳥朝詠。編曲:小谷充。ちあきなおみのシングル、アルバム『四つのお願い あなたに呼びかけるちあきなおみ』(1970)に収録。

ちあきなおみさんの歌唱表現、歌詞の人格の振れ幅が怖いくらいです。お願いを乞う愛嬌のある態度がかえって脅迫めいて感じるほど……と私の勝手な過剰な反応でしょうが、かわいいような怖いような……恋愛とは未来の「わからなさ」「未知数」が船頭となって本人を引っ張る、「病み付き」なものなのかもしれません。もちろんもっと悲恋だとか、わくわくやうきうき、未来への楽しい期待が牽引する恋愛もいろいろあるのでしょうけれど。

この愛嬌と表裏一体になったこわさのシンボル曲『四つのお願い』から、2年くらいあとに『喝采』のリリースにつながっていくのですね。個人の人格の成長や変容を見守る老婆心まで私の心に芽生えそうです。

うめすぎず、入れ替わる

編曲がすごい。音で埋めすぎないのに、音で埋まっている。これは、特定のパートがでずっぱらずに、入れ替わり立ち代わり、キャラクターとモチーフが通過していく最上のお手本、という意味です。

演奏メンバーがそこにいる。となると、つい最初から最後までシゴトをさせようとしてしまうのが私の悪癖でしょう。ちあきさんの楽曲の話をしているのに、私の悪癖の話をして申し訳ないですが、これはきっとこれを読んでくれた方のなかのひとりやふたりには届く教訓となってくれることを願ってここに書きます。

ベーシックのパートは出ずっぱりで良いでしょう。ベースやドラムスです。エレキギターも短くチャキっとカッティングを添えるなどしていますが、聴こえてくるときと、ほかのパートに私の注意を奪われるときがあります。

ベーシックは、楽曲の構成が進むにつれて様相をがらりと変えていきます。ヒラウタ(メロ)のところでは、愛嬌あるポップソングを演出する表情です。3拍目裏のスネアリムがアクセントで、かわいらしいなかにも引っ掛かりをつくっています。コツっとマイルドなのにヌケとあたたかい響きのある素敵なリムショットのサウンドです。

これが、Bメロ(サビ?)ではまるでファンクのような熱情の入ったグルーヴにひょう変します。これも私の感じる「こわさ」の一因かもしれません。演りきると、ひょいと元のパターンに戻ります。怒り出したがプリンを与えたら鎮まった幼児……などというほど単純なものでもないでしょう、幼児ですらそんなに単純ではないであろうに、私にそのような稚拙な妄想をさせる「ひょう変ぶり」がコワいのです。

ビブラフォン、フルート、ダブルリード系の管楽器(オーボエ?)などが、右側で、「チャルメラ」を思い出させるような、ペンタトニック感ある印象的なモチーフをたびたび、渡しあいながら登場させます。そう、「出ずっぱり」でなく、入れ替わりたちかわり、共通のモチーフを渡しあったり、左側で別のカウンターラインが景色を移ろわせていくなどして、私の注意を右へ左へ振り回すのです。かと思えば真ん中には愛嬌と脅迫の振れ幅がコワい、とてつもない闇と愛の高エネルギーを備えたような主役たる人格(メインボーカル)が背もたれ華々しい王座にしっぽりと収まっている……これはヤベェ。

左ではストリングス、金管などがカウンターしますね。ヴァイオリンの音色のなんとまろやかなこと。「ヒィーッ」と、高域がすみわたる響きも高音域パートのストリングスの一般的な持ち味だと思いますが、どういうわけか『四つのお願い』でのヴァイオリンパートにはマイルドな聞き心地を感じます。私が聴いたソース(音源)の個性かもしれないので些事でしょうか。チャキっとリズムを添えるエレキギターも左側ですね。右には私の好物、タンバリンがチャリっとクリスピーな食感と輝かしさを添えます。カラオケで歌に合わせて振っている安易な様相でなく、丹精な「演奏」そのものです。これぞパーカッションの鑑。

オープンかクローズか 深淵なるナイショ戦略

“たとえば私が 恋を 恋をするなら 四つのお願い 聞いて 聞いてほしいの 一つ やさしく 愛して 二つ わがまま 言わせて 三つ さみしく させないで 四つ 誰にも 秘密にしてネ”

(『四つのお願い』より、作詞:白鳥朝詠)

ここに、ふたつの相反する、恋愛に望む際の対立するアティチュードが思い当たります。ひとつは、二人の関係をオープンにすること。もうひとつは、ナイショにすることです。

プライドの高い人のほうが「ナイショ」にしたがる傾向がありそうだ、というのが私の偏見です。相手と自分がカップリングしたことが嬉しくてしょうがない人は、ほかの人にその関係を言ってふれまわりたくなるかもしれません。

もっと打算的に、自分がその相手につばをつけたんだから(表現が醜いですが)、ほかのどんな人も決してこの人に手を出すんじゃないよっ!!という牽制の意味で「オープンにしたい」方向もあるかもしれません。

「ナイショ」にすると、いわば、他者からの「アイツはフリーだ」の認識を変えずに済むわけです。同時に複数の恋愛を進行したい場合、この作戦をとる人がいそうです。

ほかの恋愛を寄せ付けたいとか、遠ざけたいとかいった理由があって「ナイショ」かどうかを選択する意図が考えうる一方、それ以前のところで、単に恥ずかしいとか、あれこれ聞かれたり、偏見をはりつけられたりするのが嫌だ、というところで「ナイショ」にしたい方針もあるかもしれません。ただ、これは、どこか根っこのほうではつながっており結局は「ほかの恋愛を寄せ付けたいか、遠ざけたいか」が一番の決め手であり、別の問題としてとらえると真実を勘違いする原因になりそうにも思います。

その相手とだけ、人生のおわりまでうまくいき続けるかなんて、恋愛の初期段階でははなはだ不明ですから、いろんな相手につばをつけたりつけられたり(喩えが汚い)する状態をキープすることが、長い目でみて、パートナーを得た状態でより人生の長い期間を過ごすことに恵まれるのかもしれません。だから、「ナイショ」にするのです。いろいろ方針があると思いますが、案外、この方針があらゆる人にとって一番なのかもしれませんね。もちろん、特定のパートナーをもたずに、人生の最後まで渡り切るポリシーを否定するものではありません。ナイショにもせず、「複数の恋愛を同時進行するよ」ということを公言して、それを理解する相手と恋を実践し続けるのがさらなる最強? とも思います。

“一つ やさしく キスして 二つ こっそり 教えて 三つ あなたの 好きなこと 四つ そのあと わたしにしてネ”

(『四つのお願い』より、作詞:白鳥朝詠)

2コーラス目の歌詞なのですが……三つ目のお願いと四つ目のお願いに文章がまたがってしまい、とても漫画みたいな破廉恥な展開に思わず目を覆いたくなります。好きなことしていいの?! 「クレしん」のネネちゃんみたいに、がっつり指の隙間から見ますけどね。

素晴らしい音楽、歌唱なのですけど……私のあたまの中をピンク色に染めます。ツッコミどころがあるハイクオリティこそ、私の思う一級の娯楽音楽です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>四つのお願い

参考歌詞サイト 歌ネット>四つのお願い

ちあきなおみ 日本コロムビア サイト

『四つのお願い』を収録した『ちあきなおみ全曲集』(2006年、日本コロムビア)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『四つのお願い(ちあきなおみの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)