まえがき 幸せについて
幸せホルモンのドバる瞬間
好意を寄せあっているとか、信頼しあっている間柄の人や動物にふれていると、おちつくとか気持ちよいとか満たされる感覚を覚えることがあるだろう。そういう間柄で、一緒においしいものを心おきなく味わうのも高い充足を連れてくるイベントだ。
久しぶりに会う友人と心ゆくまで語らうこと。その日にこなすべき仕事を終えたあとにあたたかい湯舟のなかで重力から解放される体感。プシっと開栓したビールをグラスに注いで、泡を割って押し寄せる黄金色の液体が唇を通って舌に喉に胃袋に流れていく刺激。
幸福感とはこういった、比較的短期間に生じるもののことだろうか。幸せっぽい瞬間に浸っているあいだ、ちょうど脳のなかでドバドバ出ているらしいホルモン(焼肉ではない)があるとかで、「幸せホルモン」とか呼ぶ向きがあるという。それ専門のことはそれの専門をあたっていただければ幸いだ(焼肉以下同文)。
追求する命題 幸せは多様で相対的
人生における長期的な充足や願望の成就が広義の「幸福」だろうか。幸福に「感」をつけると、「短期的、瞬間・刹那のもの」っぽくなる。
「幸福感」が生じるシチュエーションは、そこそこありふれている。先にも述べたように、好物にありつくだとか、その日のシゴトを終えて休息にさしかかるとか、好きな人や動物にふれるとかで達成されうるからだ。もちろんそれすら難しい状況を生きている人が古今東西にいるので「ありふれている」は幸福感マウントかもしれない。ありがたいことである。
幸福感マウント問題についてはここでは棚上げさせていただくが、そういう(刹那の)幸福感・充足感を継続的に、長期に及んで生じさせやすい状況、恵まれた環境・関係の構築こそ「幸せ」の追求なのではないか。
今日好物にありついたとか、今日好きな人と触れ合うことができたとか、それらが人生のうちにほんとうに数えるくらいしか生じない機会なのであれば、それはその面においては結構厳しい一生かもしれない。もちろん、そういった人生であってもそれ固有の「幸せ」や「幸福感」は存在するはずだ。私の想像を超越する未知のディティールが口を開けている。
「幸せ」は相対のものでもある。たとえば「年に100回以上好物を口にできる」を満たせば幸福とする、という粗雑な定義が仮にあったらば、それを満たせば確かに定義上は絶対の幸せかもしれない。でも実際はその人にとって、どんな質・内容の恩恵がどれくらいあれば「幸せ」なのかは、まるっとその人によって異なるのだ。「幸福感」自体はおおむね刹那のもので、幸せは相対のもので、多様なものであり、追求する命題といっていい。
利己と利他の最大化
多次元マトリョーシカな幸福
幸せは多様であるほどに、ユニークな幸福が共存しやすい:同時に成立しやすい。かつ、個々の幸せの対立も起こりうる。たとえば「A(モノか人か何かしらの恩恵)の独占」を幸福だと定義するBさんとCさんがいたとして、BさんとCさんの主観的な幸福は、同時に成立するのが難しい。「独占」が幸福の定義に含まれてしまっているからだ。利害の不一致から、邪魔者を消し合う悲惨なストーリーさえ想像しうる。
その人にとっての幸せの定義を、他人が変えさせるのは支配だろうか。その人の能動的な体験・学習、意志の変化よって、目指すところを自ずから変えることは応援してやりたくなる。その人が自ずと意思を変えることを見越した、大局的でスケールの大きい操作もあるかもしれない。私自身、社会の大きなうごめきに嵌って生きる矮小な存在だ。個々の幸せは、多次元のマトリョーシカみたいに入れ子になって複雑に相関している。自由とは、満足とは、幸福とはなんだ。
利己と利他の融合
分け合い、共有することは幸せの総量を増やす原則だろうか。ある対象への「独占欲」をなだめ小さくしていく方針は、多次元の入れ子になった共同体において、快適に生きる味噌かもしれない。
もちろん「独占欲」自体が絶対悪ともいえない。独占欲の需要と供給のマッチングも考えうるからだ。誰かの独占欲を暴圧で改変するべきではない(危険の有無など状況によるが)。利己や利他の実情を仔細に観察し、論理と感情の塩梅をみて地道に大胆に善処をはかりつづけることが、人間らしい幸福を求める道である。
幸せの正体をぼやつかせるくどい言い回しは避けたい。実体を煙に巻くほど幸せは遠ざかる。利己と利他がともに最大化している状態を幸せと呼ぶ、と仮説してみる。というか、その融合こそが幸福の命題なのかもしれない。
『幸せハッピー』作詞・作曲者、曲の発表についての概要
作詞:忌野清志郎、作曲:細野晴臣。坂本冬美のシングル『Oh, My Love ~ラジオから愛のうた~』(2005)に収録。細野・忌野・坂本の三人は音楽ユニット「HIS」であるから、実質「HIS」のシングル曲とみていいのかもしれない。
『幸せハッピー』歌詞にみる幸せ
百千万遍の幸福形
“大切なものは何だと 聞かれて考えた
よくよく考えたけど やっぱりこれだろう
幸せだハッピーだ これがすべてだろう
金があっても不幸せじゃ どーにもなりゃしねえ
幸せハッピー 誰も文句は言えねえ
幸せハッピー それこそが 人生のすべてさ”
(『幸せハッピー』より、作詞:忌野清志郎)
良きパートナーなのか、お金なのか、心身が恒久的に快適でいられる環境なのか……人的、物質的、経済的に恵まれる出来事に、幸福感が湧く。その湧出量がある程度以上になると「幸福感」は恒久の「幸福」に昇進するだろうか。
何かの恩恵をトリガーに、その結果得られるものがハッピー(幸せ)。だから、お金や家財やベストマッチなパートナーの獲得自体がハッピーなのではない。それらの獲得と連続して、限りなく近いところで幸福感が湧くのだとしても、幸福自体はその先にあるものだ。幸せは、具体的な恩恵の先にある観念だと思う。
言い換えのリフレイン
意味の重複を連ねるのは歌詞において吉兆だ。たとえば紙面に限りのある新聞などのメディアがめざす「短・端・文(たんたんぶん。短く、端的な文)」のポリシーを、作詞の世界は知ってか知らずかしばしば悠然と破り、意味の重複する表現を近くに連ねることで傑作を顕す。たとえば井上陽水『リバーサイドホテル』における“部屋のドアは金属のメタルで”(作詞:井上陽水)の作例を、私は一生唱え続けることだろう。
「幸せ+ハッピー」は、統一を図ってしまえば「幸せ、幸せ」もしくは「ハッピー、ハッピー」である。同じ語彙を繰り返す音楽技法や表現といえば「リフレイン」(反復)であり、実は“幸せハッピー”はその見た目にひとひねり効いた「リフレイン」の変則形、バリエーションなのかもしれない。
たとえば、「君が好き」の意志をテーマにした曲は数多考えうるだろう。「君が好き」という思想・感情を表現する百のバリエーション、言い換えを考え、それを連ねることで一曲あるいは一集の音楽を綴ることは、姿・形を変えたリフレイン(反復)なのかもしれない。たとえば「月が綺麗ですね」と表現したあとで「I Love You」と連ねるのだって、リフレインのバリエーションなのだ。「今日もお味噌汁が美味しいね、いつもありがとう」だって、「I Love You, I Love You」と読める。「月が綺麗~」はともかく私のへたな例示は置いといて、あなたも「愛」やら「幸せ」やらを百遍・千遍・万遍に言い換え、伝えてみてほしい。
幸せの素描
“幸せを手に入れた ある朝手に入れた
どうしよう ハッピーだ こいつは素晴らしい
昨日までの あの涙 いったい何だったんだ
あの暗い人生は いったい何なんだ”
(『幸せハッピー』より、作詞:忌野清志郎)
たとえば好物にありついて、その瞬間得られる幸福感については先に述べた通り、ありふれた瞬間かもしれない。それは、ふと朝起きてそのへんに転がっていてもおかしくないだろう。
別の角度の話をすると、長い期間に渡って継続した努力の価値・その成果に、ふとした瞬間に気付くこともあるかもしれない。それはずっと近くにあって、それまでも接し続けていたものなのだけれど、ゆったりと蓄積し、なだらかに変化していく最中にあると、昨日と今日でどこがそんなに違うのかはともかくとして、大局の変化がときに本人にはわかりづらい。だけど、5年前や10年前の実際とふたつ並べて比べてみれば、その違いは一目瞭然だろう。本人の視点も昨日と今日で地続きに変化する。「自分の目のつけどころ自体が徐々に変化していること」を常に覚えておきたい。
それは、昨日が眠り、今日が生まれる(朝が来る)恒常的な営みのなかで、ふと床に落としたピアスキャッチを追いかけて洗濯機の下のおびただしい量の埃に気付くくらいのありふれたアクシデントがもたらす視点の変化で気づくことも十分ありうる。
「苦痛は幸福のスパイスだ」と軽はずみに云いたくはないが、ぐぐっと力を加えられて歪んだ物体が元に戻る際の圧力からの解放、弛緩の快楽も確かにあるだろう。めいっぱい前屈して息を吐き切り、体を戻しながら吸気が血の巡りに溶けていく気持ちよさ……とでもいおうか。
悲しみ・苦しみ、辛みや嫌悪……そういった緊張や不安・圧迫が涙になって体を離れると、嘘のようにすっきりしてしまう。心身を苛む傷病感覚が前提になって起こる浄化(回復)現象に、いくらかの快感や幸福感がともなうだろう。『幸せハッピー』の歌詞の平易なラインは「幸せ」の特徴を抽出し、さらっと素描き(クロッキー)したような軽妙な趣がある。
『幸せハッピー』を聴く
坂本冬美 ハレとケの食べ合わせ
坂本冬美の歌唱のくっきりとした輪郭、前に出る音像は堂々たるものである。オケを乗り熟し、テクニックとして確立された「こぶし感」は肚の底から効かせても麗しく、フラットな人間関係のように快い。歌手の技量をもってアーティスティックに“幸せハッピー”(普遍の題材)を素描したスケッチブックを覗いた気分。メインボーカルの朗らかさ・強度(カンタービレ感)に対して“アヨイショ”“ハイハイ”の力の抜けたすっぴん・カジュアルなかけ声がかえって映える。人生の「ハナ」や「ハレの日」と、積もる平凡な日々(ケ)をミルフィーユにした食べ合わせを思う。
アコーディオンなのか、蛇腹楽器の複数のリードの波がゆらめく。バックグラウンド・ボーカルに細野晴臣の声が聴こえる。坂本冬美のメインボーカルの音域に重なるのは忌野清志郎の歌唱だろうか。坂本冬美と忌野清志郎の声のキャラクターはいずれも確固たるものだが、お互いを「強調」し不思議と調和しそうにも思える。細野・忌野・坂本の“HIS”は絶妙なバランスで個性の高みを発揮するユニットである。
HARRY HOSONO & THE WORLD SHYNESS『SHIAWASE HAPPY』 親睦のよろこび
『SHIAWASE HAPPY』に限らない話をさせてもらえば、細野さんのボーカルはまっすぐで、ストーリーの具体の語り手としてのボーカル表現において感情が平坦で、言葉や音楽の醸す世界をリスナーのイマジネーションに委ねる演奏が多いと思っていた。それに対して、この『SHIAWASE HAPPY』における細野さんのなんと“楽しそう”なことか。仲間と卓を囲んで美食を嗜み、まるで親戚のおじさんたちが昔話に花を咲かせているみたいな「輪」、「親睦」を感じるボーカルなのである。
演歌や民謡、共通のお気に入りや定番をその場で歌って盛り上がっているような歌唱なのである。このように演奏側の「主体的なよろこび」をまっすぐに感じるものは、私の思う細野さんレパートリーとしては比較的稀な部類に思える。未知の可能性を秘めた芸術であり学問や研究の対象になる側面もあれば、その場を楽しみ、喜びあう民俗としての側面もある「音楽」。この『SHIAWASE HAPPY』において感じるのは後者の趣である。
オクターヴ上の女声と終始ユニゾン。コーラス部分“どうだ(どうよ)”や“そうさ”など、ところにより女声のみに委ねる部分がある。実際のレコーディング方法について分かりかねるが、その場で掛け合い、お互いの存在をお互いの“幸せ”に含めあう雰囲気が尊いセッションである。
低音がドォンドォンと暖かく深く響く。和太鼓だろうか。三線なのか三味線なのか、ミャンミャンと伸びやかなテンションの弦が耳触り温かい。12弦ギターかバンジョーのような複弦のスチール弦の響き、ギターのボトルネック奏法なのかポルタメントするスライド・トーン。チャカチャカと棹もの楽器のアタックの群像に喜びがはじけてみえる。
斉藤和義 声のオーバーダブ、アコースティック・バンドの響き
斉藤和義のボーカルのオーヴァーダブサウンドは彼の音作りの定石の一つである。ぴったりユニゾンするパート、ハーモニー(音程違いの歌詞ハモ)パート、コーラス部で“どうよ”などを後追いでオブリガード(レスポンス)するパートと、ひとり多重録音によるヴァーチャルなボーカルの輪が厚く、斉藤和義なりの幸福感や孤独(ひとりワーク)の醍醐味の提示に思える。
楽器も声もすべてひとり多重録音する例の多い斉藤和義作品だけれど、この『幸せハッピー』の楽器パートはサポート・ミュージシャンとの協働だろうか。声のひとりワークと楽器の協働の良いところを食べ合わせた作品かもしれない(実際はどうか)。編曲者は本間昭光(参考:TOWER RECORDS ONLINE>ワンモアタイム)とあり、ポルノグラフィティ(『サウダージ』ほか)のプロデューサーとしても有名かと思う。自分の内側(ひとりワーク)と、他者との関わり(協働)に見出す幸福が重層になってみえる。
バンジョーだろうか、メインボーカルのモチーフをイントロで奏でる。張り詰めた感じ、パンパンと詰まったようなカラリとした響きは特有のキャラクター。ピアノのトーンが軽やか、随所で細かくグリッサンドを入れるなどリズミカルに賑やかし印象づける。
生楽器の響きを重視したアンサンブルでパシャーンと雄弁なシンバルはドラム・キットのハイハットでなくオーケストラやブラスバンドで用いる合わせシンバルだろうか。両手、全身で2枚のシンバルをコントロールし無限の表現を追求する奥深い楽器である(本当にこの曲で使用されているかどうかは別として)。
エレキギターのボトルネック奏法のような、ダイナミクスや音程が移ろうトーンがふわっと視線を動かし、音の彩りに気付かせる。電気楽器の陰が薄い編成のなか、貴重なパートかもしれない。ハモンド・オルガンのようなゆらめくウォームなトーンがエンディングでふくよかに余韻する。演奏の向こうに幸福の輪郭がみえそうだ。
後記 はしごからの眺め
ペンタトニックスケール(ヨナ抜き音階)のボーカルメロディが延々と頭を通って循環する。姿かたち、内容も質もさまざまある「幸せ」を幹にヒトがつながる。「ペンタトニック・スケール」をプラットフォームに、月曜日から日曜日まで人々があらゆる用事で交叉する。
幸せを感じたり、幸せが恋しくなったりする心の様子がはしご(スケール)を上り下りする動作に重なる。飽きるとかやめるとかを超越したところで、生命を尽くして誰もがこのはしごにつかまることになる。登り続けるでもなく、ちょうどいいところの見晴らしを味わっている瞬間が幸せなのかもしれない。
青沼詩郎
坂本冬美『幸せハッピー』を収録した『坂本冬美ベスト 凛』(2009)
HURRY HOSONO & THE WORLD SHYNESS『SHIAWASE HAPPY』を収録した『FLYING SAUCER 1947』(2007)
斉藤和義『幸せハッピー』を収録した『歌うたい25 SINGLES BEST 2008~2017』(2018)。元はシングル『ワンモアタイム』(2013)のカップリング曲。斉藤和義によるカバー『幸せハッピー』はHTBスペシャルドラマ『幸せハッピー』の主題歌。
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『幸せハッピー(坂本冬美の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)