作詞:橋本淳、作曲・編曲:筒美京平。欧陽菲菲のシングル(1972)。

すばらしい編曲、歌、演奏。ドライヴしまくっています。ぼさぼさしていると置いていかれそうです。

ドラムスの16ビートが緻密ですね。左にふったワウの効いたエレキギターと精密に音をあわせます。イントロのバスドラムの余韻が迫力ありますね。フィルインの16分割も精密です。静謐なのにアツい。

右でアコースティックギターがストラミングします。雄弁なのですが定位を右にめいっぱいとって真ん中をあけています。

奥のほうからたまに顔をだすオルガンが憎い。いい味出しています。

ブラスは右、ストリングスが左。華やかでエネルギッシュ、ピツィカートをみせるなど局面ごとに変化をつけます。表情豊かですし、ダイナミクスのメリハリもあり、総じて華やかなのですがこちらも、静謐にコントロールされた技量と感情を加速させるメリハリが素晴らしい。

欧陽菲菲の歌唱の堂々たるや。声区をまたがるような音域もごくお手柔らかに声、なめらかに上品に、それでいて好戦的です。流暢できれいな日本語の発声に、0.1ミリくらい薫る、海外言語を母語とするエキゾチック……異国情緒が漂います。私含め、そのへんを歩く日本人のほとんどよりもきれいに日本語を発声する、と褒め称えた上で、わずかに個性として有効に作用している、という程度のもので、欧陽菲菲の持ち味のひとつかもしれません。“メランコリー”と歌詞のカタカナ(英語)がちいさくダイヤを埋め込んだアクセサリーのように、希少にしかし強烈に光をはなちます。

“胸の透き間を 涙でうめて さよなら グッバイ メランコリー しあわせすぎた 昨日の夢に 未練を残して 手を振る私”(『夜汽車』より、作詞:橋本淳)

伝聞100%ですが、涙にはストレスホルモンが含まれているそうです。泣くとすっきりしてしまう経験に覚えのある人は私以外にもいるのではないでしょうか。“胸の透き間”隙間と異なるつづり方がまた流麗な言葉の品質を思わせます)を“涙でうめて”と表現していますが、涙を出すと、むしろ胸のなかにあそびができる、余裕ができるように思います。余裕ができることを反転させた言葉が、ここでは「うめる」なのでしょう。描きたいものを反転させた言葉を選ぶのも、作詞の幅を広げる小技だと思います。もちろん、私にとっては反転して思えるというだけなので、『夜汽車』における作詞は素直で直球の表現としてバトンを託されたのかもわかりません。“しあわせすぎた 昨日の夢〜(以下略)”と主人公のあいだに、距離を稼いでくれる機構が夜汽車なのでしょう。

自分の足で粛々と歩いていくのは気長すぎて体力的にも精神的にもめいってしまう。汽車は、おのれの意思を増幅して、個人の肉体の力では得られない成果(肉体の短時間の長距離移動)をもたらしてくれます。それは、劇的な変化と直結する己の意思決定を助けるものでしょう。人間は文明を高め、おのれの心の自由をも開拓したのかもしれません。

“希望という名の 夜汽車にゆられ 過去から明日へと どこまで行くの”(『夜汽車』より、作詞:橋本淳)

わざわざ夜の汽車を選ぶところもわけがありそうです。単純に運賃が割安だったり反対に割高だったりするのでしょうか。安いか高いか知りませんが、夜を選ぶ必要があった。あるいは、選ぶ余地なく、夜に行くしかなかったのでしょう。向こうへ至るころには、朝が来るはず。朝は希望の象徴です。『夜汽車』はそこへ向かうプロセスを映した歌なのですね。

青沼詩郎

欧陽菲菲 公式サイトへのリンク

参考Wikipedia>欧陽菲菲

参考歌詞サイト 歌ネット>夜汽車

『夜汽車』を収録した『ゴールデン☆ベスト 欧陽菲菲』(2010)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『夜汽車(欧陽菲菲の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)

オーヤン・フィーフィー OUYANG FEIFEI