ギターの弾き語り一発、お見事。冒頭とエンディングにつくのは風鈴の音色でしょうか。左で鳴って右に余韻が抜けていくような印象です。複数の音色のものが折り重なります。風にそよいで鳴るというよりは、鳴らしている主体の存在を感じさせる、けたたましい「演奏」である主張を覚えます。どこかおぞましく、おそろしくもあり井上陽水さんの独特の、失礼承知でいえば妖怪やもののけめいた特異な存在感を強め、協調します。
その歌唱の見事なことと来たら。チョークを黒板に擦ったような木綿のような質感を覚えさせるAパート。Bパートでは声を張り、あの陽水さんらしい埋もれないセンシティブな響きが轟きます。それでも80〜90年代くらいの彼のヒットソング(……たとえば『少年時代』などでしょうか……)の歌唱と比べると独特の青さ、むこうが透けてみえそうな若さがあります。ここで私がいうのはうすっぺらいとか軽んじる意味では断じてなく、やはりその時期のその人にのみ鳴らすことのできる唯一無二の響きがあって、それを歪曲なく解像度高くありのままに提示することこそが私が表現・創作物に求める最たる理想像のひとつであり、井上陽水さんの『夏まつり』はそれをしている私の思う傑作として指を折らせる格好の例だと思うのです。
ローコードの豊かな響きで弾き語っていきます。ハンマリングを交え、ときにちょっとダーティーに濁し、清濁の幅と起伏に満ちた夏の奇譚をつむいでいくようです。3コーラス目の“綿菓子を”……のところのダイナミクスなど手綱を引く加減が秀逸で、ギターなどもう消え入りそうです。
AパートとBパートのあいだに独特の1小節の間があることも私の目をひきます。この1小節は詰めてしまっても歌が自然につながるでしょう。でもこれがある。
にぎわっている、出店の集中する混雑エリアもあれば、神社の境内のはしばし、神殿のヨコや脇や裏か知りませんが、ひっそりと薄暗く・あるいは闇深く、近くでは明るくにぎわっているにも関わらず、一歩でさえ誰も踏み入れることのない、繰り返しますが「闇」がにぎわいと表裏一体になって存在していることを、この1小節の「間」が私に思わせます。
“十年はひと昔 暑い夏 おまつりはふた昔 セミの声 思わずよみがえる 夏の日が ああ今日はおまつり 空もあざやか”(『夏まつり』より、作詞:井上陽水)
十年前というと15歳の人には5歳の頃になってしまいますが65歳にしてみれば55歳の頃であり、“ひと昔”の表現が似合うばかりか「ついこの間」かもしれません。幼い頃、あるいは少年の頃に行く夏まつりの記憶は、そうですね……たとえば私はこの記事を書いている時点で37歳なのですが、十年前がひと昔(27歳)だとすれば、夏まつりに行ったティーンエイジャーだった頃は“ふた昔”……現在の私にとって非常に的を射た距離感を呈することばかもしれません。今この瞬間の私のための歌だったんだろうか。そう思わせることは、大衆に放たれる歌が備えるべき魅力のひとつだとしておきましょう。井上陽水さんの『夏まつり』は私にそれをほどこします(残念ながら私に妹はいませんが、あったかもしれないそういう平行世界すらも想像させます)。
“空もあざやか”のところがまた色彩を想像させます。夏まつりといえば薄暗くなってからが本懐でしょう。つまり夕やみ。あるいは夜。夜は暗いので色を感じにくいでしょうが(もちろん夜なりの豊かな色彩感を否定するものではありません)、それでも、お祭りの灯りが空まで轟くことで、暗い夕やみや夜でさえ、その日独特の色をまとう様子を思います。
これは私の想像がすぎるだけで、実際にはお祭りのその日だけの灯り程度が空の色に影響を及ぼすことはないのかもしれません。ですが、それを私に想像させるたった一言の存在感が鮮烈なのです。
補足を考えれば、夏まつりにつきものなのは花火でしょう。これはもう、“空もあざやか”といわしめるのに格好のモチーフだといえます。このひとことが果たして花火を示すものかどうかは限定しません。「花火」といわずに私に「花火」を想像させるところも、狂おしく愛おしく、『夏まつり』の素敵な魅力の一つです。
マイナー調でこんなにも重苦しい響き、とどろく情念を備えてもいるのに、はかなさ、可憐さ、享楽のせつなと彩りを備えています。はじめの25秒程度とエンディングの20秒弱は風鈴(?)が占めるため、弾き語りの部分は4分ちょっと。私を夢中にさせる、緊張と弛緩の糸がつながった類稀で永遠にゆらめく灯火を携えたような夏の刹那です。
アルバム『ガイドのいない夜』収録『夏まつり』セルフカバー
編曲:佐藤準。
何か不穏なことが次々に起きそうな焦燥感、圧迫感のすごいシンセのサウンド。カサカサ・ワサワサとパーカッション類・ウワモノ系のリズムが私の落ち着きを常に奪います。
陽水さんのボーカルは洗練されて澄み、鋭い味わい。持ち前の冷やっこさ(私が陽水さんの歌唱に感じる特有の質感です。しばしば、大滝詠一さんの歌唱にも通ずる冷やっこさを覚えることがあります)が輪をかけて冴え渡ります。
暑さにあてられてしまってうなされ、夜も眠れないような気分。でもエンディングはボーカルだけになってフワっと急に置き去りにされてしまいます。なんなんだ、なんて苦しい夢なんだろう。
青沼詩郎
『夏まつり』を収録した井上陽水のアルバム『陽水II センチメンタル』(1972)
セルフカバーの『夏まつり』を収録した井上陽水のアルバム『ガイドのいない夜』(1992)
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『夏まつり(井上陽水の曲)ギター弾き語り』)