粒立ちのよい傑作ですね。あぁ、終わらないで、と思いつつコンパクトで隙のない完璧なつくりです。愛されること、大衆に使われること、手に取られ、接せられることに配慮された高い意匠を感じる作品です。感性や技術の経年が瞬発力を発揮してえいっと筆を走らせたようで見事。感服するソングライティングです。
イントロや間奏、エンディングに至るまで、ユーザーの視線の誘導がはっきりしています。大規模なコンサートやフェスか何か知りませんが、とにかく運営も含めて素晴らしい。お客が迷うことなく、全霊でコンテンツを楽しむための配慮が尽くされているような感じ。それも、身を尽くしてボロボロになりながら、不安の種を潰して目を血走らせる若い奉仕者というよりは、こんなときはこうすればうまく流れるよとキャリアの引き出しからひとつひとつ無駄のない動きで仕事に当たる職人の芸当を思わせるのです。
ウットリして聴き入るサウンド。ドラムのキックのみずみずしく芳醇なこと。ベースがやはりスピッツはキャラ強(つよ)です。すごくヘン。そんな動く?!どんだけ動くの?! リードギターを弾く指さばきを想像させ、つねにどこかを走り、引っ掛け、節をつくっています。ヘンというのは最大の讃辞です。こんなにかっちりと愛される意匠を備えたポップソングにおいて、こんなに多動で爛漫なベースを聴いたことがありますか? あったとしてもスピッツのほかの曲なのではないでしょうか。それもまた、ドラムスのうっとりする確かなサウンドと合わさって心を委ねられる印象です。
ベルのような壮麗なトーンがバンドの音を祝福し、ロック生まれ育ちの子を社会に押し出してあげているような丁寧な愛ある扱いです。エンディングに長くのびるトーンでオルガンもいたのだと気付かされます。功労者はフレンチホルンのサウンドですね。あたたかく柔和です。音の景色から天井をとっぱらうようで、スタジオを山麓にも野谷にも塗り替えてしまいます。
“口にする度に泣けるほど 憧れて砕かれて 消えかけた火を胸に抱き たどり着いたコタン”(『優しいあの子』より、作詞:草野正宗)
観念的なラインに文脈を持ち込む印象的な小物ワードは「コタン」でしょう。『優しいあの子』が主題歌をつとめたNHKの連続テレビ小説『なつぞら』(2019年・前期)が北海道を舞台にしていることによって導かれたのを想像させます。コタンはアイヌ語で集落の意味だそうです。「村」とか「ふるさと」とかいった近い観念を想像させもしますが、「たどり着いたコタン」と表現しているあたり、ほかの生まれ・育ちをしている旅人があとからそこに至るストーリーを想像させます。私は『なつぞら』を未視聴なのをあらかじめ断った上でWikipediaを斜め読みするに、物語で登場人物が「上京」するらしいので、上京した(「たどり着いた」)先で、その登場人物の出自と新しい環境がうまく機能し合ってハッピー(よい影響)を生む・もたらす(あるいは試練か何かわかりませんが)展開があるのかもしれません(見当違いでしょうか?)。
“芽吹きを待つ仲間が 麓にも生きていたんだなあ 寂しい夜温める 古い許しの歌を 優しいあの子にも聴かせたい ルルル…”(『優しいあの子』より、作詞:草野正宗)
「〜コタン」のあとに続くラインです。スピッツ作品らしさを私に思わせるのは「古い許しの歌」。「許し」には文脈がいります。なんで、誰が何を禁じたり制約したりするのか? それを、どういう正当性から、誰が許しを乞うたり、許されたりするのか? すべて、一連の経過と順序をもつ物語の存在によって生じる観念が「許し」ではないでしょうか。また、その人物にとって「許す」「許される」というのは、己の人生の命題、もっとも大きなトピックを思わせます。そういう非情で強大な残酷さと、純粋な美しさの振れ幅を感じさせるところが、私に「スピッツ作品っぽい」と思わせる所以です。
「〜コタン」のあとに「芽吹きを待つ仲間が麓にも生きていたんだなあ」と続くとやはり、生まれ育った場所を離れた先でも、力を合わせあおうとしたり、お互いを理解し合おうとしたり、歩みよれる存在との出会いに恵まれたシチュエーションを想像させます。
どんな文脈のなかで「古い許しの歌」に接続するのかはリスナーの想像、もしくは『なつぞら』の実際のストーリーの中にあるのでしょうが、そんな「古い許しの歌」を聴かせたい対象とする「優しいあの子」は、「聴かせたい」のだかれど「それができない」、遠く離れた存在である儚さをどうしてか私に匂わせるのです。簡単に届くものならば、おそらくこんな美しい歌は生まれない。そう思わせるのです。聴かせたいが、現実的に、それは願ったからといって簡単に叶うことじゃない。だけれど、簡単には接せられない「優しいあの子」の影があるからこその、今の主人公らの生の様相があり、その象徴が「ルルル…」であり、古い許しの歌のリイシューといいますか、現代(今この瞬間)における再解釈なのではないかと想像するのです。
……なんて、『なつぞら』を知らないからこその(知らないなりの)勝手な解釈が赴いて楽しくなってしまいました。全然違ったりしてね……
ともかく、音楽は、音楽の外側と独自に結びつけて味わいを広げたり、あるいは自分の内側にあるものと呼応させて自分だけの響きを楽しんでこそのメディアでありソフトなのです。スピッツ作品こそ、その高みを導く傑作群であることにうなずく人は限りなく多いはず。
青沼詩郎
『優しいあの子』を収録したスピッツのアルバム『見っけ』(2019)
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『優しいあの子(スピッツの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)