2回泣きました。一度は『California coconuts』。もう一度は『aleha』。
くるりについて私がなにか書こう・言おうとするとき、ピリオドをうつのがしんどいのです。何かを言い終えられる気がしないし、何かを言い始められる気もしない。私のなかで常に現在進行形の関心時だからだし、その一言で片付けられもしないのですが。
ですので、今回この記事では、1本の映画をみるようにして、アルバム『感覚は道標』を、私が持つリスニング環境でなるべくベストかつ適確な条件のもと、たった1回だけ、アルバム『感覚は道標』のCDを最初から最後まで寸断なく通して、目を閉じて椅子に座って聴く、という「制約」をもうけました。「制約」というのはやたらめったら気になったところで止めたり聞き返したりしない、聴いていいのはただ一度だけ、というくらいのことであり、ある種「これ以上ない」ような聴き方であるとも思います(私がこのブログを毎日書いているなかで最近身につけた聴き方……というとおおげさですが、まぁ「マイブームの聴き方」という程度のものです)。
aleha
アルバムの13曲目におさめられたトラック。最後の曲です。
波の音……環境音のサンプリングではじまります。くるりの近作だと『天才の愛』収録の『渚』、あるいはオリジナルドラマーの森信行さんが脱退する以前の『さよならストレンジャー』『図鑑』などのアルバムにみる「静」の面を象徴するトラックにみるような、穏やかで、激しい音楽のなかに放り込まれると「凪いだ」感覚が引き立つ感動的なトラック。アコースティックギターと歌中心のシンプルな響きで紡がれていきます。
このアルバム『感覚は道標』が伊豆スタジオでレコーディングされたということ、オリジナルドラマーの森さんを、制作のはじめの段階から(ウン年ぶりに)迎えてつくられたオリジナル作品であるといった趣旨を理解したうえで、ここに至る感動があります。最後のトラックで、「(おそらく)伊豆の海の波の音」がさわさわと流れ出し、岸田さんの柔和な歌声がオーバーラップするのです(くるりの近作にみる岸田さんのボーカルのエモーショナルで可憐な表現、繊細な光陰や強弱の描き分けはますます磨きがかかって思えます、『California coconuts』での歌唱然り)。
かつてバンドを一緒にやっていた同志を久しぶりに迎えたオリジナルアルバムが完成し、最後の曲に至って、この作品のはじまり(前提みたいなもの)「伊豆(の海)」を提示されるのです。見事な構成だと思います。
ちょっとピアノのオブリ(というほどでもない、極めてわきまえがあり、優しいトーン)が入ったりして……私は十二分に感動しているのですが、おや、この静かなアンサンブルの中で、森さんどころか佐藤さんはなんの役割を担っているのかしら……感動的な曲だし現に私は感動したけれど、このまま終わってしまうとせっかくの「3人体制」は、最後のトラックでは影をひそめて収束してしまうのだろうかと気になった矢先に、『aleha』の静かな演奏の前半は大きく転じて、3人、あるいは3人にこれまでの時間だか社会だかがかけ合わさって増幅された音がうわんうわんとうねり出すのです。まるで未来を向いているような合奏、「音を合わせる楽しみ」の様相。
通して聴いた雑観
くるり的語彙が全編にわたって躍動します。音楽上のフレーズであったり、歌詞のラインや単語が暗喩したり直に描く旧作の輪郭や陰影です。くるり以上に、くるり自身が、わたしやあなたを含めたリスナーが、ロックファンが有する語彙が踊っているのです。
森さんがかつて在籍したときの作品の片鱗をひしひしと感じると同時に、これまでのくるりが全部入っているような気もします。ひとつ大きいのは、3人の演奏する音に加えて、プログラミングが効果や演出に加担していることでしょう(それ以上にプログラミング自体が音楽的な「演奏」であるとも思います)。くるりの近作でプログラミングの存在は非常に目立ちます。もちろん、近作というにはもうずいぶん私の中にも定着している『赤い電車』など、くるりはそのキャリアが今にいたるよりずっと前からそういう表現を取り入れているのは周知のことでしょう。
キャリアも長くなると、これまでの作品に登場してきたモチーフは全部味方です。「いま現在のお話」を描くにしても、「あの時あの作品に登場したあのキャラ」がつかえるのです。ベテランの必殺技でしょう。ベテランだの新人だのをあまり分ける必要もないのが音楽の土俵でしょうが、ここではあえてくるりを「ベテラン」と位置付けて称えさせてください。
いつだか、Frag Radioでの出演時だったか、Spotifyの音声コンテンツだったか出典があいまいで申し訳ありませんが、岸田さんが「人生で1曲」みたいな表現で語られていたのを思います。一生のうちにつくるたくさんの曲たちぜんぶで1曲(ひとつの作品)なんだ、的な意味だと思います(この言葉の味わいも、生きていくうえでまだまだ変容していく予感すらあります)。「リフレイン」とか、「モチーフの再現」は音楽の常套手段であり、基礎技法です。リフや再現があって、はじめて音楽になる、といってもいいでしょう。音楽の土俵でキャリアを連ねることは、いいことばかりだ。いいことばかりじゃない、もあるでしょうけれど、『感覚は道標』を聴くと、その良い面に光を当てることの正当性が、背中を押されたような気持ちになるのです。
作中の歌詞には、自分たちを「ベテラン的なもの」として、悲哀を含めて視線をやり、主観と客観をブレンドして抽出したような表現が感じられます。自分や身内を含めた加齢や健康の状況やその様相を、「いいこともわるいこともいろいろある」と思いつつも「いいこともわるいことも含めて、結果=いい」、いまこうして再会できるよろこび、あるいはこの先もどこかでまたあいまみえる予感や希望が、『感覚は道標』の根底に流れる主題である気もします。
シビアで現実的な問題と背中合わせになっているのは、音を合わせる楽しさ。ソングライティングも演奏も、設定した制作条件のなかで、きれよくスピードよく進んでいくような出来のよさ、反射神経・勘の良さが存分にあらわれています。これは、くるりのメンバーがキャリアで集積してきた手技でしょう。岸田さんの音楽の語彙の豊かさだったり、佐藤さんの、全体を眺めてバランスをとる感覚だったり。それと、ある時期を離れて過ごしてきた森さんがふたたび出会ってお互いを刺激する。おもしろそうなことに正直でいることは、めまぐるしく変化をつづけるくるりの音楽においては、貴重な「通底する要素」「ポリシー」めいたひとつかもしれません。
後記
この記事では一回だけ通してアルバムを聴き、書くことをしました。1曲ずつプレイバックして聴く記事を改めてやりたいと思っています。
青沼詩郎(音博2日目行きます)
くるり 音博2023、くるりのえいが、感覚は道標 特設サイト
MV くるり – California coconuts YouTubeへのリンク
MV くるり – In Your Life (YouTubeへのリンク)
くるりのアルバム『感覚は道標』(2023)
#Quruli