敬ちゃん(愛称で失敬)の歌唱の色っぽいことなんの。「んー……」とうなる。声帯が合わさるか合わさらないかみたいなところでごろごろとはじけるようにうなる。ボーカル表現の自由さ、柔軟さ、可能性、そのおもしろみ、シンプルに肉体の機能の質感の細部を堪能できます。
モノラル音源でしょうかね。時代も時代です。ピアノなど極めて奥のほうに聴こえます。ギターのカッティングもいるの?いないの?というバランス。かと思えば間奏ではリードギターが「いるのわかったからっ!」と叫びたくなるくらいにグイっと出てきます。「タタタタタタ……」と、独奏になって平らにリズムを刻むプレイも間奏のソロギターと同じパートが担当しているっぽく感じます。
ダブリングなどもしない時代性を思います。全員で一発録りでしょうかね。フロアの自然な残響感。酒場っぽい響きです。モノラルでも奥行きが伝わってきます。ベースははっきりしていますね。ドラムスがパサっとしている。スティックでなくブラシかロッドなのか、とてもいい塩梅にリズムをしゃらつかせます。
ベースとメインボーカルとBGV(バックグラウンドボーカル)の比重が、音量的には大部分に思えます。BGVが下から上まで男声でいる感じですね。ゆったりしていい感じ。「バルコニー感」。
この歌で「バルコニー」って、映画館のことをいっているのでしょうか(「館」っていうより、オープンエアのもとに車を停めて観る様式だとか、私の生活様式や時代では思い至らない映画鑑賞の形、「バルコニー」のディティールが様々あると思いますが)。映画なんかそっちのけでイチャついてるだけの歌……なんていったら怒られるでしょうか。でも実際、ホントそうかと(笑)。むかしの歌ってホントそう。君がかわいいとか。だから夢中だとか。独り占めしたいだとか。一晩中そばにいてだとか。そういうのが1分半とか2分くらいの歌になっている。3分だって長いくらいかもしれません。コードも3つとかが中心のものも多いでしょう。すごく好きで夢中にさせます。
青沼詩郎
参考Wikipedia>John D. Loudermilk
『「敬ちゃんのロック」+「涙の紅バラ」』(2006)。タイトルの通り、『敬ちゃんのロック』(オリジナル発売年:1960)と『涙の紅バラ』(1962)を束にした再発盤か。『ダイアナ』『ベビー・フェイス』『バルコニーに坐って』などを収録。
Eddie Cochranの『Sittin’ In The Balcony』を初収録したアルバム『Singin’ To My Baby』(オリジナル発売年:1957)
『The Songs of John D. Loudermilk』(2012)。『Sittin’ In The Balcony』を収録。