作詞:松本隆、作曲・編曲:細野晴臣。イモ欽トリオのシングル、アルバム『ポテトボーイズNo.1』(1981)に収録。

リスニング・メモ

シンセサイザー100%なのじゃないかと思わせるほどの極彩色なサウンドづかいに、かえってその裏側に宿る肉体性や精神を思います。

チッチキチッチキチッチキチッチキ……ハイハット的なきれの短いトーンに思い出す『RYDEEN』(YMO)。

『RYDEEN』。Yellow Magic Orchestraのアルバム『SOLID STATE SURVIVOR』(1979)に収録。

わかっていて(似ていることを承知で)セルフ・パロディとしてやった向きがあるようなネット情報がチラつきます。

『ハイスクールララバイ』の話に戻します。種々のシンセのサウンドが、揺らめき、トーン(音色)自体にリズムが宿って思えます。たとえば、シンプルな音形を描き込むトーンであっても、それ自体の音色の個性によって複雑なリズムやハーモニーが感じられるのです。実際に倍音豊かなのかもしれません。基音以外にも強い周波数が出ていて、単音でキーボードを演奏しても常にハモっているみたいな。

それぞれにゆらめきや倍音の強い音が、それぞれのフレーズ・パターンを機械的に唱え続けるオケに少年たち(『ハイスクールララバイ』の発売年のとき、17歳くらいだと思われる)のあどけない声が乗るのです。長江健次さんのボーカルをメインに、フレーズ尻の語句やサビをユニゾンして線の強さ・熱量の起伏を描きます。シンセ中心と思われるオケのサウンドにおいて、ボーカルの些細な機微が映えます。機械的な音は波長が安定し、かえって人間的な揺らぎのある情報を強調するのかもしれません。「テクノ歌謡」なるものが『ハイスクールララバイ』をきっかけのひとつとして流行ったのが事実であるとするならば、そうした機械的なサウンドスケープが人間の声を強調し魅力を増幅して感じさせた(増幅したように錯誤させた)……という短絡的な私の仮説をここにおいておきましょう。

歌詞

もちろん機械的に安定したオケと声の揺らぎといったサウンドの対比のみで流行る・ヒットするものなら世の中甘すぎる。歌……楽曲が良いことは前提でしょう。サウンドと歌の魅力についていえば前途のとおり(まったく「さわり」でしかありませんが)。歌詞がまたコミックソングとして強い光を放っています。ヨロメキといいますか、ツッコミを誘うボケといいますか……それもわざとくさくない。天然っぽいから良いのです。

“とにかく とびきりの美少女さ うかつに近寄れば感電死 授業も上の空よそ見して チョークが飛んで来た ハイスクール・ララバイ”(『ハイスクールララバイ』より、作詞:松本隆)

肉体的に突出した刺激を思わせる“感電死”の語句が私なりに松本隆さんらしさを感じるところです。こうした、おぞましいほどの艶かしさや激情を穏やかで理知的な態度の随所に含ませていく塩梅がどうかしているレベルで凄まじい。美少女、うわのそら、チョーク、ハイスクール……ノンキな学園ものと見紛ってもおかしくないモチーフの中に特異な語句“感電死”が何食わぬ顔で机を並べている。字のごとく、キラー・ワードです。

“ねぇ君 下駄箱のらぶれたあ 読まずに破くとはあんまりさ 可愛い顔をして冷たいね 廊下で振り向いた ハイスクール・ララバイ”(『ハイスクールララバイ』より、作詞:松本隆)

破いてもらえるだけ、貴重な資源を割いてもらえている気もします。強い拒絶をつきつけてやるなんて過剰なサービスであり、そうした「拒絶」という種類の「関わり」でさえ持てない関係というのが最も絶望的に「脈のないもの」に思えます。“廊下で振り向いた”のは、誰による誰(何)に向けての所作なのでしょう。明言されていないのでわかりかねますが、例えばさらりとラブレターを破いて背中をみせておいて、それでいて主人公に向かって振り向いてみせて可愛い顔で微笑んでみせるなどというシーンであると仮にするならばそれはもう小悪魔を通り越して恋のラスボス級。あなたを目指して何回でもゲーム・オーバーになります。

“放課後 満員(すしづめ)バスの中 ブレーキよろめいた偶然に 息までかかるほど急接近 いきなり平手打ち ハイスクール・ララバイ”(『ハイスクールララバイ』より、作詞:松本隆)

“ねぇ君 もっと深く知り合おう ついては週末のデートなど… もじもじ問いかけた瞬間に 夕陽が落ちてきた ハイスクール・ララバイ”(『ハイスクールララバイ』より、作詞:松本隆)

果敢に恋のラスボスに挑む様子はのちのコーラスにおいても続いていきます。すしづめの車内でのよろめきは不可抗力でしょうが、それすらも「ちょっとアンタ、わざとなんじゃない?」と勘繰られてしまうような損して得をとる愛されキャラみたいな主人公の人格を想像します。憎めないキャラにおさまれば平和ですが、憎めないキャラと紙一重の紛らわしさで「本気で生理的にムリ」もあり得るわけですが……後者であれば「平手打ち」による接触ですら避けたいはずで、やはり楽曲全域に渡って、平和な喜劇を愛せるポップソングの体裁で描いているのが絶妙なのです。

“ついては週末のデートなど…”って、武士ですか? 武士でもこんな言葉遣いをしかねるでしょう、私の偏見を押し付けて武士に申し訳ない。好きな相手に対して、平常の態度に支障を来してしまう奇病でしょうか。主人公ですら、誰に対してもこんなヘンな言葉遣いをするわけない。相手を好きだからヘンになってしまうのかもしれません。ヘンといいますか「硬くなる」「こわばる」様子。彼の緊張の表出なのでしょう。踏み出した勇気を見守っていたのは彼女でなく夕陽だったようですが……

“100%片思い Baby I love you so 好き好き Baby 100%片思い グッと迫れば無理無理 Baby 100%片思い Baby I love you so 好き好き Baby 100%片思い ちょっと振られて フリフリ Baby”(『ハイスクールララバイ』より、作詞:松本隆)

「100%」は思いの強さを表現しますが、その思いの「一方通行の純度」にもかかってしまう皮肉。

彼の画策やふるまい、勇気の挑戦の紆余曲折をしたため改めてサビ(コーラス)を味わうと涙ぐましく思えてきます。すべてにおいて喜劇であることは“ちょっと振られて”に表れている気もします。絶望的にNothing、生理的に無理無理darlingであったらば「ちょっと振られて」ではありえないでしょうし、そもそも絶対的な距離をとられて、接触や関わりのシーンが生まれることもなさそうです。

主人公の主観としてはブルース(悲哀)な気もしますが、主題はララバイ(子守唄)。主人公を、鑑賞者の私やあなたが神から目線で「見守る歌」なのかもしれません。「100%片思い」が99%くらいになる日なら意外と近いかもしれないぞ!ガンバレ!

青沼詩郎

参考Wikipedia>ハイスクールララバイ

参考Wikipedia>ポテトボーイズNo.1

参考Wikipedia>イモ欽トリオ

参考歌詞サイト 歌ネット>ハイスクールララバイ

山口良一 – X

西山浩司 公式サイト

長江健次 – X

『ハイスクールララバイ』を収録したイモ欽トリオのアルバム『ポテトボーイズNo.1』(1981)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ハイスクールララバイ(イモ欽トリオの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)