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森山直太朗 – どこもかしこも駐車場(UNIVERSAL MUSIC JAPAN チャンネル on YouTube)

井の頭公園ですね。吉祥寺が好きな私に馴染みのある景観です。

森山さんがロングカットで歌います。曲の途中で老けメイクを2段階でほどこしているでしょうか。その編集点を除いて、ワンカットで撮り切っています。

ひたすらに横切る人、人、人。みんなスマホを手にしています。不自然なほどにみんな。エキストラの演技でしょう。さっきも同じ人横切ったかな?私の気のせいか……だとしても「どこもかしこも駐車場」の主題に適っています。チェーン系列の駐車場になってしまうとどこもかしこも似た景観になってしまいますから、「同じ人を何度も見た」感じに近い。

老けメイクと共に画面内の時間も経過しているでしょうか。最後は西日のよう。非情に感じるくらいに一人で足速に通り過ぎる人が前半のエキストラの多勢に見えますが、ラスト付近はベビーカーを含んだ親子連れ風も映ります。森山直太朗さんの加齢の演技がおかしみです。口の開き方や表情から生気が抜けている。演奏をとじてフレームアウトするときの歩き方など、小刻みなスリ足です。

定点でロケ地や画角の工夫は少なめに済みそうですが固定カメラではなく画面が動きますし、かなりの数のエキストラさんが画面を「無視」で横切る演技に加わってみえます。老けメイクも高い技術と労を要しそう。シンプルですが割くところには資源のボリュームをしっかりと割き、アイディア、ロケ地、群衆、主役たる森山さんといった一つひとつの素材が光るビデオ。楽曲『どこもかしこも駐車場』が描く景観の移ろいや群像と個人の視点の対比を軽妙かつ丁寧に表現しており好感です。映像の変化に安定感があるので、楽曲に没入できてグっと来ます。

どこもかしこも駐車場を聴く

作詞・作曲:森山直太朗・御徒町凧。編曲:石川鷹彦。森山直太朗のアルバム『自由の限界』(2013)に収録。

一本のアコギを複数のマイクで拾って左右に振ったのかわかりませんが、非情にリッチな印象。森山さんのサウンドの肝をしっかりとらえた録音です。

楽曲の半分以上を過ごしてからドラムスが入ってきますが、これがまたうまくハマっています。ドラムがいるときもいないときも、豊かな音像が成立しているのです。未熟者が音をつくると、アコギ中心のパートではドラムが入るまで物足りないとか、アコギ中心のときに全域を使い過ぎてドラムが入ると飽和して詰むとかいった惨事になりそうですが、最後まで素晴らしい音を堪能できます。

ピアノとアコギがコードリズムをなしており、エレキギターは漂うように伸びやかで深くマイルドな歪みでオブリガードします。歌が中心にあるアンサンブルに気持ちの良い刺激を加えます。

ドラムスのサウンド自体も至って迫力がありコンプレッションの効いた輪郭のはっきりした音で気持ちよく、後半にこれが加わって楽曲の景観を広めています。

森山さんの歌唱は周知のとおりでしょうが朗々としており、“駐車〜じょお↑〜”の上に抜く感じの歌唱法は『さくら』で認知済みの方も多いことでしょう。彼の魅力が堪能できるシーンが良い塩梅で詰まった、背伸びも萎縮もしない気持ちの良いレパートリーに思えます。コーラス(サビ)で上の字ハモが加わるのも良好です。

カノン進行ふうのベースが下行するテッパンなコード進行にⅢ7を絡めてポジションをⅥmに向けて打ち出し直し、またベース半音下行させ、コーラス毎に歌詞が異なる最後のフレーズでシメるラインで結ぶ和声の進行も凛としているような粘着しているような塩梅がおかしみです。

歌詞のおかしみ

“別れ話の帰り道 悲しくなんてなかったよ フラれた方は僕なのに 泣いていたのは君の方 

どこもかしこも駐車場だね どこもかしこも駐車場だよ どこもかしこも駐車場だわ どこもかしこも駐車場だぜ どこもかしこも駐車場 こんなになくてもいいのにさ”

(『どこもかしこも駐車場』より、作詞:森山直太朗・御徒町凧)

エエ歌ふうの導入ですしコード進行もまさにそれで、恋愛や感情の機微、当事者の心のバランスの現実感を提示したかと思うAメロとサビのつながりがツっこませます。ん、どんな歌なん?(笑)

別れ話……つまり恋愛を主題にした歌かと思うのに、どこもかしこも駐車場ばかりだという描写になる。ここがヘンです。この曲の飽きない魅力のひとつでしょう。

でも、別れ話の帰り道に、この世界の現実の景観が観察できること自体は至ってリアルです。さっき別れ話したばっかだってぇのに……。

オレは傷ついてんだかついてないんだかわかんないけど、とにかくなんかエモい気分な気もするし、案外落ち着いて平静でいるような気もするんだけど、とにかく一生のうちに何千回もあるようなものじゃない「別れ話」の帰り道にオレの目についたのは、なんだかそこここに似たような景観を量産する世界の現実。このオレの感情の事変と、無表情なアスファルトの景観の対比を嘆かずにおれるかと。

“どこもかしこも駐車場”の語尾が色々です。さまざまな人が都市のそこここに出来る駐車場を観察し、同じことを口走っている表現に思えます。たとえば大切な誰かが急逝した通夜とか、好きな人と一緒に誕生日を祝ったほろ酔いの駅への道だとか、仕事で理不尽な目にこれでもかというほど遭いまくって全世界に唾と反吐をバケツ一杯に浴びせてやりたいやり場のない気持ちでコンビニの袋のなかに晩飯をぶら下げる平日の夜だとか、私の想像を超越する多様な境遇の多様な人が行き交う道のそこここに駐車場ができていて……こんなにも人それぞれさまざまなのに、複数の人が口をそろえて“どこもかしこも駐車場”だと唱える偶然か必然の神秘。口走らなくても、心で思っている人も多いでしょう。

古い建物を壊して更地にしている様子に出くわす。そこが自分の住む街なら、その土地に何が出来るんだろうとちょっとわくわくしてみる。蓋を開けたら駐車場だった。「がっくり」だとはいいません。そうなるわな、と。やがて、解体工事を見てもなんとも思わなくなる。多分駐車場か、高齢者の入居施設あたりが出来るんだろうなとうっすら思ったり思わなかったりする程度。

念を押しますが、それが悪いというのでは決してありません。それが出来て、恩恵を受けたり問題や課題が解決したりする人がいる・部分があるから出来るのでしょう。裏を返せば、そのことでビジネス的な恩恵を手にする人もいる。

特定の人が手にする恩恵。そのことによってバランスを欠いて、世界のどこかに苦しむ人がより多く生まれてしまうのであれば考え直すべきでしょうが、そこまでの事実確認も今の私には出来ない。だから、(そのことについては)やがて何も思わなくなってしまう。いえ、自分の目の前で、自分が手を加えるべき問題がほかにあれば、それをせざるを得ないのですから。個人における優先度の話になってしまいがち。

だからこそ、森山直太朗・御徒町凧両氏ならびに関係各位が『どこもかしこも駐車場』を表現し、録音や映像の作品として残してくれたこと、この作品のおかしみを私は絶賛します。ありがたいです。

“プードルが変な服着てる”(『どこもかしこも駐車場』より、作詞:森山直太朗・御徒町凧)

ホントそうです。だから何ってことはありません。私もたぶんその足で本屋に寄って帰ってしまうでしょう。いいよ別に、プードルが変な服着ててOK。その足で本屋に行くなんて、向こうのほうが俺を変な人間だと思ってるかもしれないし。

プードルの出てくるメロのあとのサビの結びでは“車があったら便利かな”(『どこもかしこも駐車場』より、作詞:森山直太朗・御徒町凧)などと言ってもいますし、駐車場による恩恵と関係のある自分の身の振り方についてその価値を認知してもいるようです。

“百年経ったら世界中 たぶんほとんど駐車場”(『どこもかしこも駐車場』より、作詞:森山直太朗・御徒町凧)

ここはややリップサービスといいますか、ちょっと言ってみるかと。そこここの駐車場を観察した誰もがちょっと言ってみたくる「それは言い過ぎだよ」を、代弁してみた感があります。たぶんそんなことはないんだよ。分かんないけどさ。百年後は私もいないでしょう。

“どこもかしこも駐車場 そろそろ火星に帰りたい”(『どこもかしこも駐車場』より、作詞:森山直太朗・御徒町凧)

最後でどんでん返しといいますか、そんなオチ?!とツッコませます。放り投げて、なんにも回収しない。酔っ払いのつぶやきかもしれません。

フラれた帰り道とか、変な服着たプードルを見たときとか、いろんなシチュエーションでいろんな人の行き交うかたわらにある景観が駐車場なわけですから、そろそろ帰りたい火星人の目線の先にふと駐車場が紛れ込んでもおかしくないわけです……って、さすがにそれはおかしいかしら?

なんなら火星も駐車場だらけだぜ。

青沼詩郎

参考Wikipedia>どこもかしこも駐車場

参考Wikipedia>自由の限界

参考歌詞サイト 歌ネット>どこもかしこも駐車場

森山直太朗 公式サイトへのリンク

『どこもかしこも駐車場』を収録した森山直太朗のアルバム『自由の限界』(2013)

『どこもかしこも駐車場』を収録した森山直太朗のベスト『大傑作撰』(2016)