赤ちょうちんの誘引
ふと「せんべろ」という観念が気になって調べているうちに中島らもさんの著書を取り寄せるなどハマった最近の私。
せんべろは千円でべろべろに酔っ払う、つまり安くお酒が飲める店をみつけて気軽に足を運びなるべく大きな満足や充足を得るアクティビティだと私は思うのですが、そんなせんべろを象徴する……とまで言うとおおげさですが、「せんべろ百景」があるとすれば必ずやどこかに映り込むであろうアイテム、シンボリックなモチーフこそが赤ちょうちんだと思います。
『神田川』でじっとりとした狭い部屋の陰鬱感と毛穴がしぼむような懐の寒さ、生活の寒寒さとパートナーとの距離感やその機微を表現した(というのは私のおおげさな体感にすぎませんが)フォークグループのかぐや姫ですが、『赤ちょうちん』というこれまた背中に風吹き荒ぶ(私のおおげさな幻想ですが)傑作があることを知りました。質感が『神田川』とよく似ているというか、通ずるものが大きいなと思いましたら何を隠そう、シリーズもの(“四畳半三部作”というそうです。なるほど)という意識が作り手(あるいは運営陣)側にもあるようです。作詞作曲者も神田川と合致するお二人:喜多條忠さんと南こうせつさんです。
赤ちょうちんと聞くと、先に述べましたように「せんべろ」的なおいしさ、誘引力を私に発揮し、あたたかい魅力を放って思えるのですが、なんといいますかそうした誘引力を放つという点ではかぐや姫の描く『赤ちょうちん』も相違ないとは思うのですが、どこかひもじく哀愁の風が頭髪の隙間を抜けていくような喪失感の予兆を感じさせるのがかぐや姫の『赤ちょうちん』の特異な魅力です。
かぐや姫 赤ちょうちんを聴く
まず何より寒々しい。見事です。こういう空気、狙って出せるものでしょうか。先天的に備わった哀愁なのではと尻込みさせるほどです。
一見シンプルな編成に思えるのですがユニークな音色がちらつき不思議で独特のサウンド。
右にスリーフィンガー系のパターンを思わせるアルペジオギター。撥弦が非常に明瞭で、指のやわらかいところを使って弾くというよりは、爪やサムピックを当てているのだろうかと思うほど明瞭で確かなプレイです。
左にはフラットマンドリンの類でしょうか。複弦の綾が響きますがごく軽やかです。
2コーラス目に入るくらいのあたりから、ホワーっとオルガンが柔和なトーンでハーモニーをしっとり支えます。このあたりで一緒に入ってくるのがタイコ。この音色がどうチューンされてできるものなのか気になります。そもそも楽器の種類がわかりません。「ト、トト ト、トト……」というパターンを繰り返します。ビートルズ曲にときたま聴くような、ミュートをがっちり利かせたドラムセットのタムタムなのか、あるいは同様に布をかぶせたラテンパーカス:コンガやボンゴの類なのか。ミュートしたティンバレスなのか? あるいはタイコといいましたが和モノなのか。きれの短く、衝突音の柔和なサウンドが独特です。
右のほうでブルースハープ……テン・ホールズハーモニカが嘆きを添えます。左のほうではボトルネック奏法でポルタメントし泣くようなスティール弦のアコギがオブリガードします。
コーラスではBGVがシンプルに「ウー系」のハーモニー。
エンディングをリードするトーンがまた絶妙で、スキャットといいますか、おそらくフェイク・メロディをボーカルが歌っているのでしょうが、女声のようにもあるいは二胡・胡弓のような音色にも聴こえるのです。このまま貧しさの深みへ眠り落ちてしまいそう。
誘引と家計の折衝
“覚えてますか 寒い夜 赤ちょうちんに 誘われて おでんを沢山 買いました 月に一度の ぜいたくだけど お酒もちょっぴり 飲んだわね”(かぐや姫『赤ちょうちん』より、作詞:喜多條忠)
赤ちょうちんに誘われてと云うと、偶然通りかかったか、あるいはそこにおでんを売る赤ちょうちんがいる予感くらいは持っていたが確固たる購買意思まではなかった状況を想像します。その割に、月に一度のぜいたくだとおっしゃる。計画的なのか衝動的なのか、重ね合わせてになっているようです。
家計を鑑みるに、ぜいたくをするなら月に一度の頻度が望ましい。今日はたまたま赤ちょうちんに誘惑されたし、月イチのカードを切るのは今日この機会にするとしよう……そんな、ある程度融通の効く計画性と主人公らの経済状況と場の偶然や自然・必然の折衝現象を描いているようで、ごくナチュラル、力が抜けていて洒脱なのです。かろみがあります。
短調でフォーク、四畳半……なんて聴くだけでしめっぽくてハナがなくて、あえて言葉を選ぶ理性を捨てていってしまえば「ださい」ものという印象を抱く人も、多様な人がともに暮らす社会ともあれば含まれているはずです。私も、実際そういうイメージを理解する人格を胸に棲まわせてもいます。
ですが、今日、あらためてかぐや姫の『赤ちょうちん』を鑑賞するに、なんだかとても言葉の向け方、音楽の経過のさせ方、種々のユニークなサウンドや確かな演奏の緻密な統率の高みが、もはやおしゃれで洗練されたオトナのたしなみに思えるのです。
それはもはや「せんべろ」精神に通ずるのでは、とも思います。もちろん、せんべろには、ケチケチして高い金は払えねえ!けど呑みてえ!というある種の図太さや浅ましさ、青臭さや泥臭さを含むヒトの心が背景にあると思います。実際、かぐや姫の『赤ちょうちん』の主人公らの世界にだって、無駄な金はビタ一文払えねえ!というサイフのヒモの緊張感もあることと思います。また、当時、フォークは若い(青臭い)人のもの、という風潮も、ある程度あったのではないかとも思います。
ですが、なんとも今日私が感じたのは、もうちょっと年と経験を召した大人の洒脱のようなものだったのです。私自身が年をとっただけかも?でもこんな不思議を味わえるならそれも悪くないと思います。月イチくらいで赤ちょうちん、したいね。「青さ」を経ての、ちょうちんの赤への進化です。
青沼詩郎
『赤ちょうちん』を収録したかぐや姫のアルバム『三階建の詩』(1974)
ご寛容ください 拙演