抱きしめたいという歌
抱きしめたいというフレーズ、あるいはそれに近い単語や観念で思いつく歌が、音楽好きのあなたであるならばいくつか思い当たるのではないでしょうか。
Mr.Children『抱きしめたい』。
The Beatles『恋を抱きしめよう(We Can Work It Out)』。
はっぴいえんど『抱きしめたい』。
私はこのあたりがパっと思いつきます。
まぁ、洋楽曲につけられた邦題はちょっと別次元の話かもしれませんがそれはさておき。
抱擁したい、抱きしめたいというメッセージや意思、愛情の表現や熱意や願望・欲望は歌になるわけですね。そこに方向性があります。ヒトの行動の意思、想いのヤジルシです。
ガバっとやるような一方的で衝動的な”抱きしめたい”もあるかもしれません。毛布のようにふわっとやる、寄り添うように優しい“抱きしめたい”もあるでしょう。
新しい歌を考えるとき、すでに数多扱われてきたモチーフや主題にそのままのっかるのももちろん吉相でしょう。ただ、それではつまらないとか、これまでに存在したものの焼き直しに陥ってしまうのを積極的に避けようとするとき、これまでに数多あつかわれた主題やその扱い方を、発展させたり反転させたり視点を移したりといったことが有効になってきます。
”抱きしめたい”を反転させたらなんでしょう、”突き放したい”とか“突き飛ばしたい”とかでしょうか。あまり聞いたことがないので刺激的な歌がつくれるかもしれません。
あるいは視点を移したらどうなるか。“君は抱かれた”……いや、「抱かれた」だとちょっと別の意味が生じるか、たとえば”君を誰かが抱きしめた”とかだったら、三角関係のエモい歌がつくれるかもしれませんね。抱きしめたり、抱きしめられたりしている人以外の第三者の歌です。工夫を利かせないと、臨場感や当事者感に欠ける世捨て歌になってしまうかもしれませんが挑戦してみる価値はありそうです。
そして、ちょっと触れましたが「抱きしめる」ほうでなく、「抱きしめられる」ほうの視点の歌が、それは素晴らしい歌を長くつくり、歌い続ける曽我部恵一さんの作品に存在します。その名もずばり『抱きしめられたい』。
抱きしめられたいを聴く
なんて完璧な3分間なのか。美しいです。アコースティックギターの弾き語り、のみ。コードのストラミングと歌、のみ。これ以上も以下もなし、あらゆるシンガーソングライターの理想のひとつがここにあります。
2コーラスで完結するとちょっとさびしいかもしれませんが、サビ始まりで楽曲の主題を印象づけ3分の確かなボリュームを確保します。全体で2.5コーラスくらいの分量感になっているのですね。
サビがとってもシンプルで、全体にすぐにでも真似したくなるようなさらりと粒のよい扱いやすそうな印象を与えますが、メロの部分のメロディが案外ひねってあります。16分割で細かいリズムを出す。音程もちょっと飛ぶような不思議な節回しもみせます。サビ直前の“世界をかえる”や”運命をかえる”のところですね。ちょっと奇数(3)で分割してもいるでしょうか。
メロの入りのⅣのメージャーセブンの響きがおしゃれでほろ苦い印象です。バッサリと割り切れないような、くぐもった、シロクロ(甲乙)つききらない響き。理想の美しさと現実の混沌のあいだでせめぎあうリアルな響きです。
サビはⅠからⅢ(ⅢM、あるいはⅢ7)を経由してⅥmにいくパターンで、ⅠからⅢへのパターンは数多のロック名曲の基盤になっているコード進行です(そういう楽曲を集めた記事をつくってみたことがありますのでリンクしておきます)。
”抱きしめられたい”というように、”抱きしめたい”を発展・変化させたような主題の映し方、音楽好きが数多通ってきた名曲の軌跡からの抱擁を受けて現代に立ちます。これをまさに弾き語り一本でやってのける潔さと度量の大きさ、それをさらりとやってしまう自然さは畏れ多いほど。敬意を表し足りません。
自分の弱さを認め、はじまる
“最終バスが行ったころ 街の影が大きくなる 夢のかけらひろいあげても 世界をかえることができない”
(『抱きしめられたい』より、作詞:曽我部恵一)
交通機関は街の血管みたいなものでしょうか。それが動いているあいだは、人が行き交い、街に命が通ります。
深夜。その巡りが止まる頃になると、街のオモテの顔も家に帰ってしまう。残されたのは、「社会的な顔……ペルソナ」でなく、素っ裸になった何もない自分だけなのです。そういう、内的な自分が強く露になるのが深夜という時間の特徴でしょう。早く眠ってしまったほうが心とからだの健康のためにはいいかもしれません。それでもヒトは夜更かしをする。なぜなのでしょう。夜を潔く眠ってすごせば、あといくつの命がより長く健やかに過ごせたかわからない、と思うほどに、近頃の私は睡眠の重要さを実感しています。とにかく、夜眠れば(睡眠がしっかりと足りれば)、ほとんどの物事はうまく回り出すきっかけを掴むことができる、くらいに私は思っています。話が健康オタクトークに逸れてしまいました。
とにかく、そういう不安の種がびしびしと芽吹き、ヒトの心に牙をむくのが、交通機関も巡りを止めた夜の闇なのです。そういうときに欲しいのは誰かの、いえ、あなたのことを深く認めるあなたの抱擁なのです。
誰かに抱きしめてほしい、という歌なのかもしれませんが、一方で、この”抱きしめられたい”という歌は、あなたのことを、あなた自身が一番認めてやりなよ、という歌なのかもしれないとふと私は思います。
“今夜 抱きしめられたい だれかにぎゅっと離れないように 風が冷たすぎて なんだかちょっとさみしくなるんだ”
(『抱きしめられたい』より、作詞:曽我部恵一)
抱きしめられたい気持ち、外界の寒さ・厳しさが露わになり、強く自覚します。それは同時に己のか弱さや不安定さを私に強調します。心許ない気持ち。そこに、自分の弱さが映ります。
誰かと合わさってひとつの存在になることで、世界が広がることもあるでしょう。他者と協力することでしか至れない高みや遠い理想の世界があるのも事実だと思います。自分は、足りなくて、弱い存在なのだと。
それを認めることで何かが芽吹き、始まる予感。風のようなさりげなさとさわやかさで、手のひらに何かが舞い込むようです。
青沼詩郎
『抱きしめられたい』を収録した曽我部恵一のアルバム『ラブレター』(2005)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『抱きしめられたい(曽我部恵一の曲)ピアノ弾き語りとハーモニカ』)