作詞の田中匡技さんとは
これを見てほしいのです。
Youtubeチャンネル>【OBK】かまやつひろし – 長い道
福井県に拠点がある?と思われるECの中古レコード商、音盤窟レコードさんのチャンネルにアップされたコンテンツ。
この曲聴いたことがあるなぁ、いい歌だなぁと思ったら、ショーケンこと萩原健一さんがテンプターズ名義で歌った『都会の中で』(『ザ・テンプターズ・イン・メンフィス』収録)の歌詞違いバージョンが、かまやつひろしさんの『長い道』(『ムッシュー/かまやつひろしの世界』収録)なのです。
注目していただきたいのは、冒頭にリンクした音盤窟レコードさんの『長い道』の動画内のキャプション。田中匡技さん(かまやつさんの“家内”)が作詞だというのです。おまけにスパイダースのジワる名曲『なんとなく なんとなく』(私のフェイバリットソング)の作詞も、名義上はかまやつひろし(釜萢弘)さんになっていますが実際の作詞者は田中匡技さんだというのです。
『なんとなく なんとなく』は、ずっとかまやつさん単独の作詞作曲だと認識していたので、これには驚きました。根拠となる書籍や資料などがあれば、私もぜひ読むなりあたるなりしてみたいものです。
そんな田中匡技さんが、作詞者として記名された初めての作品が森山良子さんが歌った『花一りん』だといいます。
かまやつさんと森山さんが親戚関係という話を聞いたことがあるでしょうか。森山良子さんにとってかまやつさんは、お母さんの甥っ子だといいます。かまやつさんから見たら、おばさんの娘さんにあたるのが森山良子さんということでしょうか。ややこしいかもしれませんが、あなた自身の親戚関係にあてはめて想像してみるといくぶんわかりやすいかもしれません(参考Wikipedia>森山良子)。作品を提供する仲であり親戚の縁もあるのですね。その作品がまた良いから、「ご縁」をは大事にして然るべきだと思わせます。
花一りん 森山良子 曲の名義、発表の概要
作詞:田中匡技、作曲:かまやつひろし。森山良子のアルバム『この広い野原いっぱい/森山良子フォークアルバムNO.1』(1967)に収録。
森山良子 花一りんを聴く
歌唱法や声質が、キャリアを積んでも変わらない(良い意味で)、不朽の歌手だという印象を森山良子さんに抱いていますが、それでもこの頃の歌唱を聴くと、なお声が瑞々しく清涼で澄み渡っていて素敵です。
まっすぐで、消え入りそうな言葉尻の息遣いなど見事で美しいです。
左からぽろぽろとナイロン系のギターのつまびき。右からはコントラバスのベース音。フレーズが帰結に向かうあたりの低音位や和声えらびがおしゃれで、シンプルながら気品を感じるアレンジです。
左にギター、右にベースと開いて、まんなかからボーカル。もうこれ以上ないような配置ですね。ベースを現代らしく真ん中に置き、ギターの数も一本と限定するなら残響づけや機械的なダブリングでギターを左右に広げるか、あるいはモノラルっぽくぜんぶ真ん中ふうに仕上げるかでしょうか。ベース、ギター、女声といった具合ですとそれぞれのおいしい帯域がそこまで喧嘩しないでしょうから、オールセンターでも聴きやすいミックスができそうな気がします。
歌詞
“花一りん 花一りん 私に夢をはこんでくれた 蝶々のように踊りたい あなたがくれた 花一りん 私に夢をはこんでくれた”
(森山良子『花一りん』より、作詞:田中匡技)
奇をてらわず、一般的な動詞や名詞を中心にして、平易な表現で書き切ること。現代のポップソングでは、いかにフックをつくるか、個性的でユニークな語彙を発揮するかというところが重視される傾向もあり、平易で一般的な表現を志向すると埋没したつまらないものになってしまう……という向きも確かにあるかもしれませんが、それでもやはり、一般的な言葉で平易な表現で書ききる美しさ、均整はこの世で至上の詩の意匠だと私に思わせるのです(『なんとなく なんとなく』の歌詞にせよ、『長い道』の歌詞にせよ……)。田中匡技さんの歌詞には、私の志の高みを感じます。
私を幸せにし、美しくし、夢をはこんでくれる、花一りん。私にとっては、「音楽」がずばりそれそのものでしょうか。かまやつひろしさんも、こうした田中匡技さんの詩の均整美に曲をつける価値、有意義さを存分に見出していたのかもしれないと勝手ながら想像します(あるいは曲先のものに詞をつけてもらう価値や均整美の「見込み」)。
あなたにとっての「花一りん」は、なんですか?
青沼詩郎
『花一りん』を収録した森山良子のアルバム『この広い野原いっぱい/森山良子フォークアルバムNO.1』(1967)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『花一りん(森山良子の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)