あるいて歩いて 五つの赤い風船 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:西岡たかし。五つの赤い風船のアルバム『巫OLK脱出計画』(1970)に収録。

五つの赤い風船 あるいて歩いて(『MONUMENT 五つの赤い風船ベストアルバム』収録)を聴く

奇天烈なオリジナルアルバム『巫OLK脱出計画(フォークだっしゅつけいかく)』(1970)に収録された1曲です。

右に定位したちゃきちゃきとしたアコースティックギターのストラミング。左側に定位したマリンバの音色がかろみあるおしゃれな音色です。かわいくもあるし風流でもあるし、コミカルでもある魔力ある音色の楽器がマリンバで私の心を引きます。

マリンバはひたすら分散和音を演じます。Eメージャーキーで、ⅠとⅤすなわちEとBのコードを頻繁にスイッチ(あぁ忙しい)。

ギターについては、カポタストを2フレットに装着してDメージャーキーのローコードポジションで演奏すると原曲のようにチャキチャキとかろみのある響きが真似できそうに思います。『巫OLK脱出計画』のCDを買いましたが歌詞カードにコードがふってあってDキーのコードが表記されているのです。

ボーカルが西岡たかしさんのダブリング。リードボーカルの上の音域にハーモニーパートを重ねています。箇所によってユニゾンしている(同音程を歌っている)のでダブリングトラックとハーモニートラックの両方の役割を兼ねている、あるいは箇所によってうろうろするアレンジのボーカルトラックです。

下のほうをささえるのはウッド・ベースとクレジットされた長野隆さん。ズンと深く広がりのある響きと耳に優しいアタック感です。マリンバとギター、ボーカルに疾走感があり、ベースはむしろ走る犬たちのリードを束ねる飼い主という感じがします。

“あるいて あるいて”……と繰り返すボーカルフレーズは息を吸う暇もありません。特にエンディングはフェードアウトがかかりますが“あるいて あるいて”で完全に8分割のリズムが埋め尽くされています。西岡さんの歌唱にもカンニングブレスが観察できます。ずっとどこまでも歩いていくのが続く映像を思わせるフェードアウトのエンディング。

1分半程度のコンパクトなサイズです。曲の半ばで同主短調に変わり、どこまで歩いても希望のみえない不安と未来の不透明を映すような演出です。

人工物、廃棄・排出物をすり抜けて歩き続ける

あるいて あるいて あるいて あるいた あるいて どこまで たずねて みても おうちがいっぱい けむりがいっぱい 自動車いっぱい クラクションガァーガァー 人ゴミいっぱい ほこりもいっぱい

『あるいて歩いて』より、作詞:西岡たかし

高度経済成長期の日本の都市を思わせる描写です。経済活動にともなって輩出される副産物……環境に有害なガス(気体)やら廃棄物が未来にもたらす影響よりも、いまこの瞬間も刻々と得られる利益や商業・産業規模の発展を重視していた時代でしょうか。“ニュータウン”だとかいって人の住む場所もどんどんもとある環境を破壊して新しく敷かれていった時代でしょうか。この楽曲の発表時の1970年ももうこの記事の執筆時の2024年からみると50余年前の話なのですね。早いような、まだまだ最近の話のような……ヒトの一生・一世代も社会や星の活動のスケールからみれば儚いものです。

アルバム『巫OLK脱出計画』は非常に挑戦的な作品に思えます。フォーク・クルセダーズやビートルズへのオマージュを私に想起させる局面が随所にあります。音声のはやまわしみたいな演出だったり、ビートルズの有名曲のコードやメロディの進行と似て思える瞬間があったりするからです。

劣化コピー的な真似かといわれるとぜんぜん違います。そうしたものも、時事的なモチーフのひとつとして扱っているに過ぎないのです。社会批判するにしても、主体を感じます。おおむね、ソングライターの西岡さんの気骨の部分を私は感じているのかもしれません。アルバムの振れ幅の一端をなすのがこの楽曲『あるいて歩いて』で、ベストアルバム“MONUMENT”にも収録されているのをみるに、この曲の価値は私以外にも高く評価されている……一目置かれていると思って良さそうです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>五つの赤い風船

参考歌詞サイト 歌ネット>あるいて歩いて

五つの赤い風船 ソニーミュージックサイトへのリンク

『あるいて歩いて』を収録した五つの赤い風船のアルバム『巫OLK脱出計画』(1970)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『あるいて歩いて(五つの赤い風船の曲)ギター弾き語り』)