雨よふらないで ザ・テンプターズ 曲の名義、発表の概要
作詞:萩原健一、作曲:松崎由治、編曲:松崎由治・川口真。ザ・テンプターズのシングル(1969)。アルバム『5-1=0 ザ・テンプターズの世界』(1969)にアルバムバージョンを収録。
ザ・テンプターズ 雨よふらないで(『ザ・テンプターズ: コンプリート・シングルズ』収録)を聴く
GS(グループ・サウンズ)は、結局大衆歌謡の一部としての潮流に包摂されていた(その域を抜けでた、革新的な独創性や自律性を獲得するには至らなかった)……といった解釈の方向が世にはあるにはあるようです(“みのミュージック”のみのさんの評論など観たり読んだりしているとそんな風に思います)。
1969年3月リリースのザ・テンプターズ『雨よふらないで』は、時期としてはグループサウンズ隆盛の終焉期の発表といっていいでしょう。
グループ・サウンズが歌謡とは違う、ロックバンドとしての強いアイデンティティを獲得するに至った!といえないとしても、この『雨よふらないで』のサウンドや編曲の審美性を味わうに、新しいジャンルを打ち立てた! とか、歌謡畑を転覆させて新時代を切り拓いた! といった種類の賛辞を受けることがなくても別にそれはそれで良いのではないかと思えてしまいます。それくらいに、編曲やサウンドが私は優れていると感じます。
左と右のギターがそれぞれに異なった、しかし親和性のあるフレーズを弾きます。ふりしきる雨のようなアルペジオ、あるいはそれにちかい一定の反復や波を感じさせるフレーズです。
木管楽器……オーボエでしょうか。孤独なメロディを吹いたかとおもうと、また再現があるときにはフルートをともなっています。孤独であることをわかりあう仲間を得たのでしょうか。
ポロロンとハープが顔をだします。私の頭のなかだけにある空想上の女神でしょうか。
エレキギターのある種うすっぺらい(軽い)サウンドが、歌詞の合間に合いの手をいれます。
ズウンとサスティンの深いような、それでいてステージに立って歌いながら弾くのに添うある種のフットワークの軽さも感じさせるサウンド、的確で闊達なドラムスが雨を体の表面ではじくように舞います。
チェンバロのような古楽器もエレキギターやハープの隙間にしぐれのように抒情的な波長を加えます。
かように、編曲が華やかで彩り豊かで聴きどころに富みます。この抒情をまとめあげる……ひとつに統率する象徴としてのショーケン(萩原健一)さんのセンチメンタルな歌唱の素晴らしさ。『雨よふらないで』は作詞も萩原健一さん。
歌謡曲の畑を抜きん出た!といえようといえまいと私はどっちでもいい。このテンプターズという場において、自分たちなりの最高の仕事をしたと私は評価します。2024年末(この記事の執筆時)、今日この瞬間に聴いても大変満足です。
青沼詩郎
アルバム版の『雨よふらないで』を収録した『5-1=0 ザ・テンプターズの世界』(1969)
シングル版の『雨よふらないで』を収録した『ザ・テンプターズ: コンプリート・シングルズ』(1999)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『雨よふらないで(ザ・テンプターズの曲)ギター弾き語り』)