風来坊 はっぴいえんど 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:細野晴臣。はっぴいえんどのアルバム『HAPPY END』(1973)に収録。
はっぴいえんど 風来坊を聴く
一体どこを聴いたらいいの? というくらい聴きどころのカタマリです。裏返せば、どこを聴いてもいいわけです。
それでいて、各パートの成す糸それぞれに自我の芯が通っているのです。どこを聴いても、意思と導きを感じるのです。
ぽつねんとした細野さんのダブルトラックのリードボーカル。まずこれが真似できません。どうしたら、感情のビチョビチョした湿気を取り払えるのでしょう。私は自分の歌にコンプレックスがあるとしたら、そういう余計な湿り気です。細野さんの歌を聴くと、このドライな質感にやられてしまいます。どうしら俺は木になれる? ビチョビチョのクラゲになって転生を夢見ている気分です。
フラフラと移ろいつづけるコード進行、すなわち風来坊。リズム形などに秩序があるような気もするが、2時間一緒に過ごしたかと思えばもう違う場所に移動して別のことをしているみたいなボーカルのメロディライン。心の鉄格子だけを取り出したみたいな風とおしの良さ100パーセントの遊んだ言葉。そりゃ朝から晩まで風来坊だわさ。
ミュートをつけたトランペットか何かなのかな。ひたすら戯れつづけるみたいに即興的なオブリガードを鳴らし続けます。コイツもまた風来坊です。
ドラムのリズムの良さにウットリしてしまいます。もちろんドラムだけじゃない、ベースとの関係性や組み合わせもですが、ドラムのサウンド自体がまた細野さんの声質に自然にあいづちをうつようにドライ。私の理想のドラムのサウンドがここにあります。私の好みのドラムの音色にももちろん幅はありますが、これがひとつの完成形だと思ってしまう。抑えたルームアンビエンスのなかに自然とある……響きすぎないグリップの良いビートです。分割していなくても分割が視えてくる(コレだよ!)。この境地に至れるバンドなら確かにもう解散しかない気もします(コレ以上に何をやれってんだ? もう完成だよ)。
右のアコギが何をやっているのかよくわからない。ほかの楽器とあわさってなのか。アルペジオらしいこと、やっていることがはっきりと聴こえる部分ももちろんあるのですが。アコギのサウンドもまた乾いている。木だというのをまざまざと知覚します。ギターを「死んだ木」とカート・コバーンが喩えたとかどこかで聞いた気がしますが、材としての死んだ木は人の意思思想心情を響かせる器になるのです。話が逸れて妄想が捗ってしまう……
風とおしのよい格子にのれんをたなびかせるようなピアノが間を埋めます。いえ、埋めすぎてもいない。じわりと藍を浸すように、響きに彩と豊かさをあたえていきます。
音楽には通常「潤い」をもらえるものです。でも私ははっぴいえんどの『風来坊』にスポイルされてしまう。こんなところまでに至れるのか、バンドというのは。からっからに乾いてからっぽになってしまうような衝撃と同時に脱力、漂白感を覚えます。私はまっしろ。
はっぴいえんどのサウンドには不思議とモノクロのイマジネーションが湧きます。細野さんの声もそうですし、他のメンバーがリードボーカルの曲であっても特有の水墨感(墨色っぽさ)があります(色がないのに色っぽいってどういうこっちゃ)。
はっぴいえんどの代表曲といえば? という無茶な命題をつきつけられたとしたらなんと答えるべきか。『風をあつめて』か。『風来坊』か。まぁ、それ以外でもなんでもいいでしょう。意味のない質問です。
(解散が決まっていて最後のアルバムの1曲目がこれ……カッコ良すぎるでしょ……)
青沼詩郎
参考Wikipedia>HAPPY END (アルバム)
参考歌詞サイト 歌ネット>風来坊
『風来坊』を収録したはっぴいえんどのアルバム『HAPPY END』(1973)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『風来坊(はっぴいえんどの曲)ギター弾き語り』)