高田渡で『生活の柄』と同じくらい思い出すのが『銭がなけりゃ』。
27:41〜『銭がなけりゃ』
イントロの「ぱんころみゃんみゃん」と軽やかで妙味ある演奏は岩井宏によるバンジョー。石田順二のフィドルが上に上にと音程をずり上げ、重音を聴かせる。はっぴいえんどの4人がベーシックに参加。コーラスには遠藤賢司も。複数で歌っていて1オクターブ上にも聴こえる。加川良、バンジョーの岩井氏、はっぴいの4人もコーラスに参加。「生ギター」は中川イサト。(出典:高田渡『ごあいさつ』CDジャケット背面)
歌の質感はフォーク(私の抱くフォークのイメージ自体、高田氏が与えた影響によるものかも)なのだけれど、マージー・ビートといっていいのかモータウンとでもいうのか、外国由来の「はっぴい勢」のファンキーなリズム&ブルースというのか新しいロックというのかそのスタイルの融合を感じる。これが美味しくて仕方がなくて、私の語彙が足らなくてもどかしいのだけれどとにかくヨダレが出てしかたない音楽だ。協調してもいるし調和してもいるのだけれど、型にはまっているのでなく、それぞれの型を持ち寄ってチャンポンし、その具合が散らかるのでもなくなんともいい塩梅の距離感でお互いが「鳴って」いる。気持ちいいなぁ、いいセッションだなぁ。ロックバンドに弾き語りフォークにフィドルにバンジョー。今でこそ取り入れられることが奇抜でもないスタイルを先にやっているというか……もちろんこの布陣の面々だって紛れもなく先人の切り開いた詩や音楽を愛し敬い継承したうえで「自分」をミックスして表現した人たちだと思うけれど。新しさっていうのはつまりはそういうことなのかもしれない。
歌詞 銭がなけりゃ帰郷が身のため?
“銭がなけりゃ君! 銭がなけりゃ 帰った方が身の為さ アンタの故郷へ”(『銭がなけりゃ』より、作詞・作曲:高田渡)
私は上京経験がない。東京出身だし、東京にしか住んだことがない。言っても「西東京」(旧保谷)だから、アウト・オブ23区。都心に出かけるだけでちょっとした上京気分を味わえるという微妙な真実は赤い公園というバンドが『西東京』という曲でうまく言い表してもいる。
そんなわけで、「銭がないのなら帰ったほうが身のためだ」という、現実論のような正論のような、耳が痛いことばを身を以て実感するのには私は経験が足らないかもしれない。
とにかく、そんなふうにして、大挙して東京にみんなが押し寄せたのが高度経済成長期(それに向かっていく頃?)だったのかなと想像する。
そういう個人やその集合としての社会の真実を切り取って描く音楽が「フォーク」なのだと打ち立てた(後の人がそう呼んだだけだろうけど)一人が、これここにある高田渡なのかもしれない。
青沼詩郎
『銭がなけりゃ』を収録した高田渡『ごあいさつ』
『ゼニがなけりゃ』を収録した高田渡『汽車が田舎を通るそのとき +6』
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『銭がなけりゃ(高田渡の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)
青沼詩郎Facebookより
“高田渡『銭がなけりゃ』
銭がなけりゃ帰ったほうが身のためだと・・・私が東京でふんばって、心折れそうで、でもふんばっている若者だったら最も言われたくない「ごもっとも(現実論)」な気もする。
お金の心配さえなけりゃ住んでみたい土地はいっぱいある。それこそ各地に。でも実際にそのお金を出してでも住むだろうか。
アルバム『汽車が田舎を通るそのとき』『ごあいさつ』でそれぞれ歌われる地名など歌詞が違う。ライブでも地名(歌詞)が変わることがあるよう。
高田渡は心地よい声で素朴に歌っているけれど歌詞の乗せ方がむずかしい。グルーヴはダウンビート四つくらいでラフに感じるといいのか。カチッと譜割りして嵌め込もうとしてしまった私は違和感。かといってテキトーに崩せばいいのとも違う。ポップミュージック中心に刷り込まれた自分のグルーヴ感覚がいかに狭いものか実感。”