2015年1月15日放送『満月の夕 震災が紡いだ歌の20年』(NHK)

『満月の夕』阪神淡路大震災(1995年)をきっかけに生まれた曲。

ソウル・フラワー・ユニオン別動隊であるソウル・フラワー・モノノケ・サミットはこの曲を持って被災地をまわったという。1995年から5年間で演奏回数は200回を超えるともいう。2011年3月11日の東日本大震災以後も注目が集まった。あるいは、これからも。

この曲を作ったのはソウル・フラワー・ユニオン中川敬HEATWAVE山口洋。曲にはそれぞれのバージョンがあって、共作の部分と異なる部分がある。

ソウル・フラワー・ユニオン版の作詞中川敬作曲中川敬・山口洋

HEATWAVE版作詞も作曲中川敬・山口洋の連名。

やや複雑な曲の生い立ちについて、わかったことをここに書いておく。

中川・山口共作のAメロができる(1995年?)

山口洋は自身のバンドのアルバム制作中だった。それで、中川宅を訪れて曲作りをした。そこでできたのがのちに『満月の夕』となる曲のAメロだった(おそらく歌詞はまだない)。

“「Aメロをふたりで書いた。お互いピッときたものは部屋を分かれて考えに行って、戻って来てを2〜3回やって…これはかなりいい感じ。サビ…ヤサホーヤ部分はまだなく、お互い作ったら連絡して良いほうを選択、もしくは混ぜ合わせようという話だったと思う」(NHK『満月の夕 震災が紡いだ歌の20年』より、山口洋の語りの部分から聴取)”

山口と中川の間にもともと親交があったのかもしれない。未確認だが、二人のこの共同の機会は1995年1月17日以前だったということなのだろう。

中川によるソウル・フラワー・ユニオン版ができる(1995年2月15日)

阪神淡路大震災後、中川はソウル・フラワー・モノノケ・サミット(ソウル・フラワー・ユニオンの別動隊)で被災地をめぐる。2月14日は神戸市長田区・南駒栄公園でライブをした。その夜は満月だった。中川は演奏を終えて焚き火を囲み、余震に関する噂話を聞いたという。現地の被災者から上がった「満月がこわい」「好きだったのに」という声も中川に届いた。1月17日の震災当日も満月だったのだ。翌2月15日、自分の中から流れるように言葉とメロディが出てきて、中川は30分ほどで一気に曲を書き上げたという。

山口によるHEATWAVE版ができる(3月)

中川が書き上げ、題した『満月の夕』は山口に届いた。それは、共作を持ちかけた山口には複雑だったかもしれない。同時に、現地の人が聴いて少しでも楽になるのならば素晴らしいと理解する思い、そして何より被災地での知見があるからこそ書けたであろうそれに山口は心動かされたという。

だがその歌詞をそのまま歌うのには抵抗があったようだ。

映像中で山口は震災当時以降の人間についてを2通り挙げて話した。ひとつは、行動した人間。たとえば、中川らのような者のことだろう。もうひとつは、テレビから伝わるものを受けて、ただ遠くで心を痛める者。山口が書いた歌詞を含んだHEATWAVE版は、後者の立場で綴られたものなのだ。

シングルやアルバムへの収録、カバー

満月の夕』を収録したHEATWAVEのアルバム1995』が出る(8月21日)
ソウル・フラワー・ユニオン、HEATWAVEそれぞれのバージョンのシングル満月の夕』が出る(10月1日)

ふたつのバージョンがある『満月の夕』はそれぞれ多くのアーティストにカバーされた。また、ふたつのバージョンを混成してカバーした者がいる。ガガガSPだ。バンドメンバーのコザック前田は被災者で、当時中学生だったという。ソウル・フラワー・モノノケ・サミットがライブをおこない、避難所があったという公園は彼の子供時代の遊び場だったそうだ。

むすびに

冒頭にリンクした番組の映像をひととおり見るに、いかに『満月の夕』が特別な曲かを思う。ソウル・フラワー・ユニオンやHEATWAVEのアルバムやシングルでどう扱われた云々じゃない。人から人へ直に伝え、作用してきた曲。土の上で、人の間で培われた曲だとわかる。

私は昨年(2020年)秋ごろにかもめ児童合唱団の活動に関連してこの曲を知った。かもめ児童合唱団はポップやロック、ワールドミュージックや日本歌曲ほか多くのジャンルにまたがってカバーやオリジナルを発表していて名曲に出会うきっかけをくれる異色な児童合唱団。

先日は阪神・淡路大震災の周年だったなと今更ながらこの曲にふれて思う。震災当時私は8歳。東京在住だった。叔母の夫の実家が神戸だったので両親がしばしば震災について話題にしていた記憶がある。

数日前、ふと夜中に外に出たとき、うそみたいに地面が明るかった。街灯でも家の明かりでもなく満月の光。きれいだなと思ったし、癒されるようにも目が醒めるようにも感じる不思議な体験で神秘的だと感じた。

ソウル・フラワー・モノノケ・サミットがライブしてまわった当時の被災地の人は、満月に「怖さ」を覚えた。私が数日前に満月に感じたこととそれがいかに違うかを思う。それもやっぱり不思議だし神秘だし、自然の畏ろしさを思う。

あなたは満月という事象に何を結びつけるだろう。満月が連れてくるものは、あなたにもたらすものはなんだろう。

青沼詩郎

ソウル・フラワー・ユニオン 公式サイトへのリンク

HEATWAVE 公式サイトへのリンク

地方紙と手を組み、西日本で異例のヒット! 『かなしきデブ猫ちゃん』の作者とソウル・フラワー・ユニオンのフロントマンが語る、つらい歴史を「語り継ぐ」ということ。【中川 敬×早見和真 後編】(週プレNEWSより)

上記リンクの記事でも改めて『満月の夕』作曲の経緯が語られる。複数のメディアで語られる内容は、大筋は一緒でも細部のディテールや光の当て方が少しずつ違い、知るほどに『満月の夕』を軸にしたストーリーが立体になる。

上記リンク記事の前編では、実際に被災地をまわって演奏するにあたり、現地の人が娯楽を求め始めるタイミングに沿うように時期を委ねる形で提案した旨が語られるなど、被災地での演奏の意義や、演奏を楽しんでもらうための配慮についてメンバーらが考え抜いた様子がうかがえる。演奏が求められる時期が思ったより早かったこと、実際の演奏が大変盛り上がり好意的に受け入れられたことなど、音楽は生命の維持においてはいくら優先度が低くとも、人が尊厳高く、アイデンティティを持って生きるために大変尊重すべきものであるのを思わせる。

『満月の夕』を収録したソウル・フラワー・ユニオンの『満月の夕~90’s シングルズ』

『満月の夕』を収録したHEATWAVEの『1995』

ご笑覧ください 拙カバー(ソウル・フラワー・ユニオン版)