そこにいても心がいない

3コーラス構成の整った形式に乗って、何があなたをそうさせたと主題のフレーズを象徴的に用いながら、閉じてしまったあなたの心が主人公の心をひとり(孤独)にさせます。

本音を語るのは継続して発展的な関係を望む場合に限られます。恋愛でなくても、多様な関係においてそうでしょう。関係の発展や継続を望まない相手に本音を明かすのは、ライバル企業に自社の独自ノウハウや資源の採集場所や方法その他有益な情報一切を漏らすようなもの。関係の切断を決めたらその恩恵の与え合いの蛇口は閉じられ、沈黙、せいぜい問いかけるほどに本音を覆い隠すかぶせものの質感だけが「いいわけ」として延々語られ始めるのみでしょう。

心の半分を喪失したような深い悲しみの渦中にあると思われる主人公の心ですが、ヒステリックにならず足元の見えている落ち着き感が楽曲の印象にみてとれます。いしだあゆみさんの歌唱の、タテの線をまたぐおおらかなゆらぎが主人公の心の揺れと同時に悲しみを俯瞰する器の大きさの双方を私に強調します。トランペット、ハープ、ストリングス、フルート……豊かな音楽的要素のどれもが主人公にねぎらいをかけますが、その質感が豊かであるほどにただただ悲しいのです。

何があなたをそうさせた いしだあゆみ 曲の名義、発表の概要

作詞:なかにし礼、作曲:筒美京平。いしだあゆみのシングル(1970)。

いしだあゆみ 何があなたをそうさせた(『いしだあゆみ ゴールデン☆ベスト』収録)を聴く

30代くらいのガチ失恋者がスナックとかでこれを歌って気を散らす光景を想像して目頭が熱くなります。

サウンド、演奏、歌唱の機微が完璧です。いしださんの歌唱のふわっと舞う抜け落ちた鳥の羽の重力にまかせた軌道すらも邪魔しないような吐息のようなAメロの歌唱が耽美。

トランペットの音色、どうしたらこんなにふくよか且つパリパリに張り詰めた音色が出せるのでしょう。ポルタメントがわずかにかかったような音の立ち上がりがやさしい。

右定位に振ったエレキのリズムギターの音像が極めて遠い。この遠さにグっと来るのです。些事かもしれませんが、オケの立体感、奥行き感に貢献します。ピアノのリズムストロークも軽くて悲しみに腫れ上がった心を撫でるような慈しみ。左定位のドラムはブラシで演奏しているのでしょうか、この演奏・音色もまたフェザータッチフィールです。

おのれの悲しみに酔っていない気丈さにグっときます。あくまで自分は魅せる側であり、語る側です。悲しみに沈み込む船ではなく、悲しみを乗せて見せて回る船頭なのです。当事者は自分なのに、その自分を乗せて運ぶ器に徹しているのです。完璧な音楽とはこういうものをいうのではないでしょうか。

“あなたと暮らした 二人の部屋へ 今夜の私は 帰るのが恐いのよ 生きて悩みが つのるだけなら いっそこのまま 死にたいわ ドアを開けても 明りをつけても 私はひとり”(『何があなたをそうさせた』より、作詞:なかにし礼)

二人で暮らした部屋、その器はたとえもうあなたがいなくてもぬけの殻になっていても、二人で暮らした経緯を幻視する粘性がはたらきます。あなたとわたしの二人がいて、そこで心が通じ合っていた気がしていた過去がねっとりといまだまとわりついている厳然たる幻想が、主人公の生きる希望の炎を二酸化炭素で締め上げます。

“さめたコーヒー みつめたままで 心がわりを 待っている 他人行儀の 言葉ならべて 私を見ないで”(『何があなたをそうさせた』より、作詞:なかにし礼)

さめたコーヒーがあなたの心を象徴します。穴が開くほどみつめても、ひとたびカップに注がれたきりのコーヒーが勝手に温度を取り戻すことはないのです。他人行儀の言葉……これがもうガワの質感を語るシーンそのもの。別れは口をひらくほどに虚しい。

青沼詩郎

参考Wikipedia>いしだあゆみ

参考歌詞サイト 歌ネット>何があなたをそうさせた

『何があなたをそうさせた』を収録した『いしだあゆみ ゴールデン☆ベスト』(2008)