パフォーマンスで救難信号を発してはダメです

エス・オー・エスのリフレインが耳に残ります。

原曲の音源はイントロにモールス信号を思わせる電子音。これのせいで受難だったとか? どこかにまかりまちがって、本当の救難信号かのように届いて勘違いされてしまってはおおごとです。法律的な面でも多分ダメなのでしょう、これのせいで本曲を放送できないということで、冒頭の演出をカットしたかたちで放送されたりといったことがあったようです。こんにち、サブスクなどで本曲を視聴するに普通にそのモールス信号らしきイントロの演出含め聴くことができるので鑑賞してみてください(法律的なのは大丈夫なの?)。

曲中(2番)、“瞼をとじたら負けよ 背のびをしたら 何もかもおしまいよ そういうものよ”(『S・O・S』より、作詞:阿久悠)と、恋にのみこまれてしまう危険をいましめる「昔の人」の言葉らしきものをぼんやり聞き流してはダメだぞ!そんな誘惑の危機にさらされている乙女が今日もどこかで救難信号を発しているぞ!といった主旨が歌われます。

本曲はエスオーエス、すなわち助けを求めるきまり文句を発している乙女心を描いていそうな割には緊迫感に欠けるのです。恋をすると、見て、わたし恋をしている!こんな特別な気持ちに自然になれちゃって、うかれた心身の反応を含めた突飛な行動に自然に出られちゃう恋の魔法にかかってしまったの、恋ってメチャ面白くない? 誰かわたしの話きいてー! という全おとめ心のざわつく承認欲求に対して「そういうものよね」とうなずきを与える趣向が、本曲が本当の意味では助けを求めてなんかいないように私が感じる部分です。あるいはそんな助けを求めているオトメがいるんだから救いなさいよソコの男子!というパフォーマンス、みせびらかしのトントントン・ツーツーツー・トントントン(S・O・S)なのでしょうか(モールス信号を見せびらかしに使ったらダメだぞ!)。

厳しい言葉を投げるらしい「昔の人」たちが恋をして命の鎖をつないだからこそ今の人がいるわけで、やはり恋をいましめる年長者の言葉はいつの時代も説得力に欠けるもの。まぁ、恋に恋するんじゃなくてちゃんと相手に恋をしなさいという程度のことでしょう。助けを求めたら手を差し伸べてくれるような人、あるいは助けをもとめなければならないような状況に陥るまえに一緒に対処に臨めるような人と多くのオトメが幸せになれたら良いんじゃないでしょうか。

S・O・S ピンク・レディー 曲の名義、発表の概要

作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一。ピンク・レディーのシングル(1976)、アルバム『ペッパー警部』(1977)に収録。

ピンク・レディー S・O・S(アルバム『ペッパー警部』収録)を聴く

Aメージャーのあかるい響き。朗々としたふたりのユニゾン歌唱、艶のある強い振幅のビブラート、あるいはサビおわりのノンビブラートと歌唱のニュアンスに富み、しっかりとした質感に安心感があります。この歌唱の「頼れる」かんじがオトメの承認欲求にあいづちをあたえると同時に、エスオーエスとの主題の割には切羽詰まっていないノドかな感じにつながっているかもしれません。

ベースの8ビートはペンタトニックスケールのあしどりで愛嬌があります。シキシキシキシキ……とシェーカーがかろやか。ポコポコとウッドブロックがやっぱりのどか。サビには「チャッチャ!」とクラップがなります。パーカッション、リズムパートがネアカ(根が明るい)のです。ストリングスのまっすぐな凛としたボウイング尻にウキウキとした弓の弾みを感じます。ホーンセクションもバフーンと熱量を添えてゴキゲンです。フェード・アウトもなく音楽の文章(カデンツ)もオチよくピリオドがつきます、この安定感。オトメのSOSにうなずきをあたえる側はあくまで精神的に安定しており悟っているほうが正解なのでしょう。そのための、安定した音楽面の意匠が本曲にはふさわしく、それによりにじむおかしみがあります。他人の恋に「アラアラ」と嬉々としてほほえむ感じ。

羊の皮をかむっていてもオトコはみんなオオカミですって。そうなんですか?

青沼詩郎

参考Wikipedia>S・O・Sピンク・レディー

参考歌詞サイト 歌ネット>S・O・S

ピンク・レディー ビクターサイトへのリンク

『S・O・S』を収録したピンク・レディーのアルバム『ペッパー警部』(1977)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『S・O・S(ピンク・レディーの曲)パフォーマンスで救難信号を発してはダメです【ギター弾き語り・寸評つき】』)