連なる意思の応酬

ギターのリフレインやボーカルモチーフの1小節単位程度の短いリズム形の反復を連ね、メールの返信がRe:Re:Re:Re:……と積み重なっていくみたいな主題と楽曲の意匠が共鳴するロックリスナーアンセムのひとつではないでしょうか(私の音楽仲間とのリアルでのかかわりのなかでもこの楽曲の存在感を強く覚えることがあります)。ライブレパートリーとしても重用され、コピバンにも愛好され、2016年にご本人AKGらにセルフカバーされテレビアニメ『僕だけがいない街』OPになり、2024年には『ぼっち・ざ・ろっく!』劇中バンドの結束バンドにもカバーされます。

原曲を聴くにEキーですがAセクションは4536、Bセクションは2536のコード進行パターンを基調にしており、主和音のEにドンと腰を落とすことがほとんどありません。このコード進行の様相もまた、返信の切れ目をどこかにつくってしまうことへの戸惑いがいくぶん作用して返信がつらつらと延伸されていくさまの表現のようにも思えます。誰と誰のあいだのやりとりなのか。あるいは自己問答なのか。

実際はRe:Re:と2回で止まっているのが本曲の主題。返信に対する返信が生じたくらいから、だんだん次の出方をどうするかの問いがシビアになっていき(あるいは鋭い方向性が消失していき)、主体をとまどわせたり、やりとりの流れに滞りやたゆみが生まれたりして、そのたゆみこそが楽曲として虫眼鏡を向けるべき動機の溜まり場でもあるのだろうと思います。

アジカン語とでもいうべきか、かれらの描く世界に接続するための唯一無二の架空の言語を駆使して日本語の向こう側への問いかけを成立させているかのような斬新な響きとシンプルなバンドやサウンド編成のコントラストがアジカンの魅力でしょう。

「そしてどうか……」につづけ「高架下」などと押韻をはなちます。人の想いや必要・義務・喫緊を列車に乗せる都市の血脈こそが「高架」であり、その下に自分の足でじべたを歩く私やあなたの影が暗に写り込むところも、本楽曲が広くロックリスナーに長く愛好されるゆえんの一面かもしれません。

Re:Re:』イントロギターモチーフのスケッチ例。無機質な信号みたく間断ないリズムで感情や言語を凌駕する思念が流れ込んでくる気分です。
Re:Re:』イントロのちバンドイン後のギターモチーフのスケッチ例。主音のドローン上に短2度の音程で藤沢の波飛沫が降りかかる……そんな気分にさせる、エレキギターのシズル感(そのものらしさに満ちた様子)。
Re:Re:Aセクションボーカルモチーフのスケッチ例。おおむね1小節のリズム系が半拍前に飛び出すアウフタクトでハマり、波状にリスナーの耳にアジカン語を投げかけます。

Re:Re: ASIAN KUNG-FU GENERATION 曲の名義、発表の概要

作詞:後藤正文、作曲:後藤正文・山田貴洋。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバム『ソルファ』(2004)に収録。

ASIAN KUNG-FU GENERATION Re:Re:(2004年『ソルファ』収録)を聴く

都市の喧騒に埋もれてしまいそうなリードボーカル。トランシーバーにのって、誰のもとに漂着するともわからない帯域のアマチュア無線電波で虚空にむかってひとり発信をつづけているみたいなリードボーカルの質感、あらっぽい叫びの身体性がぎすぎすして無骨で未洗練なのに都会的でせつない。そう、都市と洗練は私のなかでつい結びつきがちな、近くにありがちなふたつの観念なのですが、実は都市こそが未洗練と未洗練が対立してタイマン張ってバチバチに火花を散らす真夜中のステージなのかもしれません。

ズゥンと深みとベランベランなグラマラスな音色でベースが8ビートをつらねます。オルタネイトのピッキンなのか、オモテとウラのストロークのニュアンスに表裏を感じます。これをズンズンとキックの4つが規律ただしく文字盤のピッチを無情に敷き詰めていく。スネアのフィルインのときの甲高い音色と、通常パターンを刻むときの2・4拍目の音色がぜんぜんちがいます。アディショナルのスネアをつかっているのか、同一の楽器でフィルインのときだけフープも同時に叩いているのか。サビのライドの細かさなど、プレイの解像度が高いです。

Eの主和音にどっかり着地をするのを先延ばしにしつづけるABセクションですが、中間部でEの和音からF#m、G#m、Aまで上がっていくはじめてのセクションがあらわれ、サウンドスケープの転換をはかります。あくまでインストゥルメンタル。歌詞があればCセクション、大サビみたいになっていたところかもしれません。でもいいんだ。いらないんだよ。こんなシンプルなことですが気づきをくれます。

そして循環コードに似る主和音への着地をさけつづけたABセクションの借りを一気に返すかのように、間奏のおしりにはEメージャーコードの着地がどっかりとあり、それも電波が急に途切れるみたいに音景がバッサリと切れてAセクション「君を待った」に切って貼ったみたく唐突につながります。

バンドが抜けてギターだけになったエンディングのリフレインを聞いていると、信号の発信音みたいで孤独で悲しい感動がふつふつと湧いてきます。間断ない問答の応酬の無常感よ。

AKGの2016年発表の再録(『ソルファ(2016)』収録)

10年以上かけて生演奏の場で曲を育てたからこその意匠。心のなかでオーディエンスの歓声や反応を加算して完成するアレンジでしょう。

録音物としてのらしさも感じます。リバースのギターの演出。リードボーカルに1オクターブ下のユニゾンがはりつきます。ドラムとベースの音は深いです。2004年版でスネアの甲高い音色を使い分けたドラムでしたがこちらは男気一発、ドカンと轟く深い音色で通します。

エレキギタートラックはベーシックをいっせーので録り切ったトラックとオーバーダビングしたトラックが共存しているような趣向感じますが実際の録音プロセスはいかがなものでしょうか。間奏などいくつものセクションを通過しても、一貫する生演奏感があります。

エンディングにも独自のライブでつちかったような解釈がつきます。Re:Re:に、未来の自分たちみずから絵返信をほどこした趣向を感じます。

結束バンドのカバーがある

サブスク上の演奏時間をみるにそっちバージョンか、と(:D)

楽節のあいまのコード進行やリフやオブリの細部には独自の解釈。

リードボーカルの描線は未来ある少女がまっすぐに安定した質感の出力を心がけて演奏したような最近まであどけなかった若者が毅然とした意思を持ち始めたかのような印象。ご本家独自の「アジカン語」っぽい発音のクセは脱臭されています。もちろん本家を真似て再現する以外の選択をすることにこそカバーの価値があるともいえるでしょう。

楽曲が進行し間奏などを経ながら、夜に浮遊するような気持ちよさが強まっていく聴き心地があります。サウンドに、ヘッドフォンのなかに心をおとしこむような「ぼっち」の平面感が滲み出ているところがそのものらしい(“ぼっち”のシズル感)。エンディングもアジカンの2016バージョンを参考にしているのがうかがえる意匠です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>ソルファ

参考歌詞サイト 歌ネット>Re:Re:

ASIAN KUNG-FU GENERATION 公式サイトへのリンク

『Re:Re:』を収録した『ソルファ』(2004)

『Re:Re:』を収録した再録セルフカバーアルバム『ソルファ(2016)』

結束バンドによるカバーの『Re:Re:』を収録したEP『Re:結束バンド』(2024)