曲をきいて

この曲、メインの調(Fメージャー)と遠い和音(D♭)から始まるのがとても好きです。

曲の歌い出し「♪あーめにぬれてたー」のモチーフを元にしているけれども微妙に違うフレーズをストリングスの高音パートが素朴に歌い上げます。

ここはD♭調の主和音(Ⅰ)なのだとみることもできますし、メインの調の半音上(G♭)の調のドミナント(Ⅴ)とみることもできるかな? 後者の解釈の方が私は好きかも、と思ったのですが、旋律のフレーズがD♭調のヨナ抜き音階っぽいのでまぁD♭調ととるのでよろしいかなと着地。

ですがこれも一瞬のことで、すぐさま半音さがってCの響きに変わります。で、これはメインの調のFメージャー調にいくためのドミナント(Ⅴ)です。

ここまでで曲開始からわずか7秒間ほどですが、私が興味をそそられる音楽的出来事がたっぷりつまっていました。

Cのコードをドミナントに、ようやく(私が長引かせただけ)歌がはじまります。

水原弘のボーカル。息の成分:息の量の抜き方が色っぽいです。低域の艶めかせ方とのダイナミクスの滑らかな移ろいで聴き手(私)はメロメロ。

歌の旋律はヨナ抜き音階:ペンタトニックスケール。なつかしく心に響きます。

聴き手も歌い手もこの音階は大好き(私調べ)。ヒットソングを「ヨナ抜き音階の使用を疑う目」でみればみるほど、おもしろいほどみつかりますよ。ヨナ抜き音階はC調でした「ドレミソラ」の5音ですから、5音音階のひとつ。

『黄昏のビギン』のAメロはヨナ抜き音階の5音でできていますが、「ヨナ抜き音階を大部分に用い、たまにちょっとだけヨナ抜きルールを破る」というのも近代ポップスの常套手段。「ヨナ抜き音階を大部分に用い、たまにちょっとだけヨナ抜きルールを破っているのを疑う目」で世のポップスを見まわすと、おもしろいほど見つかりますよ。

『黄昏のビギン』はBメロのコードがまた面白いです。Aマイナーに転調するからです。

しかもAマイナー調のドミナント(E)にいくためのドミナント(B)も登場させて、不安定にぐらぐらする足場。緊張感と引っ掛かりをもたらしています。

「♪かさもささずにぼくたちは」のところの、「ち」の音程はAマイナー調の導音であるソ♯。「ち」の前後を含めて「たちは」のところをみると「ラソ♯ラ」となっており、短2度で刺繍する、狭くいじらしい動きになっています。この狭くいじらしい動きが、ヨナ抜き音階を基調にしたAメロの開放的な旋律の動きとの対比になっており、曲全体の中に緩急をもたらしています。

補足しますと、ヨナ抜き音階は5コの音しか用いないので、この音階を用いた旋律のふしまわしは必然に、音程の跳躍(はなれた音程への進行)が多くなります。『黄昏のビギン』では、Bメロで短調に転調し、さらにはヨナ抜き音階ルールを一瞬忘れて、Aマイナー調の導音を旋律に含めて、短2度の狭い動きで解決するのです。導音というのは、ここでは、ヨナ抜き音階の「ナ」にあたると思ってください。それを抜かずに含めているので「ヨナ抜き破り」である、という論理です。

さらにさらに、Aマイナー調のシーンをこさえたかとおもえば、♪「あのネオンがぼやけてた(0:54頃)」あたりで、こんどはCメージャー調をかつぎ出します。Cの響きはF調のドミナントにあたるので、このまま元の調(F調)にもどる準備はよさそうなのですが、歌詞「♪ぼやけて」あたりで響きをまだ動かします。ここの低音位がDっぽくてやや謎な動きです。C調におけるサブドミナントのDmを聴かせたあとに、G(C調におけるドミナント)を聴かせてCに戻ればカデンツ(音楽における文章の句読点のまとまりのようなもの)が成立しますが、このGのところをまるまるブレイク(休符)にしてしまっているのかもしれません。N.C.(ノン・コード)といった感じでしょうかね。

しかもこの「♪ぼやけてた」の「や」のところが、ブルー・ノートです! 通常ならミにするところを、ミ♭にしています。厳密には、ミ♭よりちょっと高いでしょうか。絶妙なピッチ感です。

斯様に、『黄昏のビギン』では音楽の起伏、シーンのドラマティックなうつろいを描いています。このあとは、Aメロ相似のパートに戻る構成。

曲について、歌詞、感想など

水原弘のシングル『黒い落葉/黄昏のビギン』(1959)に収録されました。

作詞:永六輔、作曲:中村八大。ですが、作詞は永と中村の共作とも、あるいは永が「名前を貸しただけ」ともいいます。つまり、中村八大の成分が主。永六輔が自身のラジオ番組で、この曲を自作の傑作にあげるような発言をしたことがあるそうですが、名前を貸しただけのものを自作に含める主旨の発言をしたたのは、きっと永六輔流のジョークだと思います。お洒落な人ですね(Wikipediaソースなので、事実ならば、ですけれど…)。

歌詞も、おっしゃれなんですよね〜この曲。中村八大がすべてを書いたのでしたら、彼も相当おしゃれです。永六輔と、響きあうものがあったのもうなずけますね。

“ふたりの肩に銀色の雨”(『黄昏のビギン』より、作詞:永六輔、作曲:中村八大)

上着の肩のところに、染み込まずに細かい球のようになって無数に乗っかった雨粒の表現でしょうか。直前に“あなたと逢ったはじめての夜”といっているので、服にべったりと染み込まずに服の繊維のうえに乗っかった水滴は、ういういしさや新鮮なよろこび、ものごとが芽吹いたばかりの生命力を思わせます。きれいなライン(詞)です。

余談

ちなみに水原弘はそうとう酒をやった人みたいです。42歳没というのも、酒で健康をやってしまっていたとみられます。豪快な遊びっぷりを街に轟かせた人生だった様子。そんな酒豪の彼がこんなにあかぬけた洒脱な歌をうたったのですから、物事の表裏はつくづく一体だなと思います。

青沼詩郎

『黄昏のビギン』を収録した『ゴールデン☆ベスト 水原弘』

ご笑覧ください 拙演