『砂山』 倍賞千恵子の歌唱

ここちのよい揺れと芯の強さを両立した伸び、はっきりとした美しい発音の歌声です。異彩の存在感の笛の音は尺八でしょうか。金属弦のギター、複弦の撥弦楽器もいるでしょうか。マンドリンなどでしょうかね。冒頭のぽこぽこぽろんとナイロン弦のようなやさしい音色の楽器はなんでしょう、竪琴(ハープ)のようでもあります。実際ハープのグリッサンドがきこえますね。ストリングス、鍵盤打楽器。尺八の音からは『いい湯だな』(ザ・ドリフターズが歌ったもの)を思い出します。倍賞千恵子のこの『砂山』、編曲は小川寛興とあります。

ボニージャックスの演奏

管弦楽が壮麗、かつかろやかでミヤビな曲想。やさしい歌唱、ハーモニーが叙情的に表情を豊かに変えるます。パートに分かれて追いかける2コーラス目。好きなアレンジです。ポツネンとしたわびさびを感じさせる、余韻の短い乾いた音色の打楽器はなんでしょう。和楽器(邦楽器)の「鼓」でしょうか? ストリングスのトレモロのボウイングが、体はその場にとどまり心が動く様子、情景に溶け込む主人公を想像させます。フルートの音色もわびさびある邦楽器のような趣に感じます。右側に定位した撥弦楽器はお箏でしょうか? アコギのようなかろやかさも感じます。

「鼓」が気になって探した動画。世界一抜けの良いサウンドは「鼓」であると思えるほど「コレキタ」感ある音色。

曲についての概要

北原白秋の作詞。彼が中山晋平に作曲を依頼し、1922年(大正11年)、月刊誌『小学女生』9月号で詩と曲が初めて発表されたようです。

エピソード

新潟の寄居浜を訪れた白秋がインスピレーションを得て書きました。

彼がその土地を訪れたのは、現地の小学校の先生らの有志の会が呼んだからでした。小学校の先生らの中に、中村正爾という、先生をやっているけれども詩を書く人が含まれていたようです。それ以前からも白秋と正爾は知り合いだったのかどうかわかりません。

呼ばれた白秋を、大歓迎した現地の子どもたちだったそうです。2000人児童がいたといいます。

会は音楽の会であり、子どもたちは白秋の作品をたくさん披露したようです。いれかわりたちかわり、いろんな子どもたちのチームが披露したんだそう。

白秋も、熱烈な歓迎に恥じらう様子を見せつつも自身の作品を、拍に乗って体と舞台のうえをいっぱいにつかって披露したそうです。白秋が自作の『兎の電報』を披露したときには、白秋の体の振動にあわせて、白秋が身につけて所持していた缶に入った仁丹が音を立てて鳴り、余計にウケを誘ったといいます。

白秋が寄居浜を訪れたのは、こうした熱烈な盛り上がりをみせた会のあとのことだったようです。

歌詞

“海は荒海 向こうは佐渡よ すずめ啼け啼け もう日は暮れた みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ”(『砂山』より、作詞:北原白秋)

新潟の海なので、むこうに佐渡島がみえたのでしょう。私も訪れてみたい。寄居浜からみると、どれくらいの大きさに佐渡島がみえて、あたりはどんな様子だったのでしょう。お星さまが出てきれいだから、みんなを呼んで一緒に見ようよとすずめらが云いあっている様子を表現していると思うと、非常に愛らしいです。

“暮れりゃ砂山 汐鳴りばかり すずめちりぢり また風荒れる みんなちりぢり もう誰も見えぬ”(『砂山』より、作詞:北原白秋)

寄居浜に吹き荒れる強い風に、すずめらがちりぢりになる様子を想像します。1番の歌詞で荒海ともいっていますし、風も波も強く、猛々しく厳しい海を想像します。それら風や波がごうごうびゅうびゅうざあざあ、絶え間なくさざめく音が“しおなり”なのでしょうね。

“かえろかえろよ 茱萸原わけて すずめさよなら さよならあした 海よさよなら さよならあした”(『砂山』より、作詞:北原白秋)

茱萸原とはグミの木々のこと。グミの木は、防砂風効果が期待できるそうです。寄居浜の風と波は強いようで、浜が長い時間の経過とともに後退してしまう土地だったようです。内陸に砂や風が入り込むのを防いだり、浜そのものを護ったりするために大量のグミの木が植えられていたのでしょう。

茱萸原といえるほど複数のグミの木があり、そこに実際にすずめがいたようです。1〜3番の歌詞それぞれに出てくる、この歌の世界を伝える主な被写体がすずめです。彼らの、寄居浜での生態がそのまま歌になって感じます。

白秋が寄居浜を訪れてインスピレーションを得たのは音楽会のあったその日のうちの、会が終わったあとのこと。日暮れどきや夕方といっていい時間だったようです。くもったり雨がふりそうだったりの空模様で、白秋がみた景色の光と陰の量が、そのままこの曲が伝えるさびしさとなって表れたのではないでしょうか。あたりはもう、かなり暗めだったのではないかと私は想像しています。

……と思いましたが、浜には遊んだり、焚き火をしたりする子供の姿があったそう。また、ときは六月だったといいますから、日は長いはず。まだ子供があそべる日のある時間から、ものさびしく薄暗くなるくらいの時間まで、白秋は幅をもって滞在したのかもしれません。浜には茶屋のような、休んだり、何か食べたり飲んだりできるところが点在していたようで、案内役の小学校の先生らとそうした屋根のもとで懇親したのかもしれません。波や風の音を聴きながら、光陰の移ろいを感じながら……。

中山晋平

作曲の中山晋平は『シャボン玉』『証城寺の狸囃子』『カチューシャの唄』『東京音頭』など、人々の記憶や記録に長く残る童謡、流行歌、創作民謡を多数作曲しています。大滝詠一が自身が出演したラジオで、日本のポップスを説く題材として中山晋平の作品をピックアップして論じ、彼を重要な存在に位置付けています。このあたりが、私の今日の興味の数珠繋ぎの至るところです。

参考リンク

池田小百合 なっとく童謠・唱歌

解説が深く、詳しく、情報を網羅していて、エビデンスも明示してあり、鋭い意見まで論じられています。童謡探偵と敬称したい。同サイト内でほかにも多くの有名曲を扱っており、度々拝読しています。

ぐみ原わけて―北原白秋の「砂山」にみる3つの問題

個人の方のブログ記事のようですが、歌の背景や舞台、登場するスズメ、グミなどへの考察が深く参考になりました。

Wikipedia>砂山(童謡)

手始めに、ざっくりと概要を知るにもってこいのウィキペディア。

ニッポン旅マガジン>寄居浜海岸

現在の現地の光景や概要、土地柄や風俗について得るものがあります。

後記あれこれ

歌メロディはマイナー・ペンタトニック・スケールで書かれています。EマイナーなのかGメージャーなのか部分的に判じかねるメロディ(終止音をみても基本Eマイナーで明らかだと思いますが、印象面であいまいな感じ)で、情景の中間色・光陰の半ばを見事に表現した美しい曲だと思います。先にも述べましたが、(YouTubeでみつけた)大滝ラジオが私と『砂山』をつなぐきっかけをくれました。これがなかったら、「ふる〜い民謡調の曲だな」で私は相変わらず素通りしてしまったかもしれません。

『砂山』は私が持っている複数の歌本にも掲載されており、たまたま見たものが、3番に登場する歌詞「茱萸原」に「ぐみはら」とルビしてあったので、自分で歌唱にチャレンジしたときに何気なく「gumihara」と発音してしまいましたが、多くの歌手が「gumiwara」(ぐみわら)と発音しています。というかこれが正しいのでしょう。あとから思い知りましたが、表記は「ぐみはら」でも「gumiwara」と発音しますよね、日本語のならわし的に。もちろん「はら(hara)」のケースもあるでしょうけれど。

ちなみに、同じ詞に山田耕筰も曲をつけており、メロディがちがいます。そちらはより短調の陰影が濃い作風に感じます。美空ひばりがそれを歌唱している音源があり、編曲が非常に洒落ていてハイセンス。歌唱・表現の高みは言わずもがな。その中でひばりは「茱萸原」を「gumihara」と発音しています。ですが、山田耕筰作曲のものでも「gumiwara」と発音している歌手の音源も確認できます。

美空ひばり歌唱、山田耕筰作曲の『砂山』。イントロからフルートのフラッターがねっとりとした曲想を演出します。間奏やオブリガードでも活躍するフルートのアレンジが魅力的。洋楽器なのにこれほどわびさびの表情を感じさせるフルートの可能性に改めて感嘆。
重く厳かな曲想を柔和で優美な響きの歌唱、ハーモニーで表現。ボニージャックスによる山田耕筰版の『砂山』。1分超の前奏が超弩級。深海に沈められた気分になるほどの沈痛鈍重な曲調はまるで水圧そのもの。

大正時代の新潟県寄居浜の姿、熱烈な歓迎に包まれた北原白秋と子供たちの音楽会の1日に思いをはせつつ、ポピュラー音楽史や日本語の読み・発音についても学びの多い1曲。

青沼詩郎

『砂山』を収録した『倍賞千恵子 抒情歌 ベスト』

美空ひばりの『砂山』(山田耕筰)が聴ける『カバーソング コレクション 〜ひばり叙情歌をうたう』。ひばりの歌の抑揚、情感の起伏の表現が見事。怪盗ルパン一味が貴重な博物品や宝物に忍び寄るシーンで鳴っていそうな編曲が妙です。エンディングでハーモニーが同主長調へ(ピカルディ終止)。

『ボニージャックスによる 日本の抒情歌選集 70曲』(2021)。中山晋平版と山田耕筰版の両方を収録。

バリトン・山本健二の歌唱で中山晋平・山田耕筰両版の『砂山』が聴ける1枚、『北原白秋をうたう』

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『砂山 童謡 ギター弾き語り』)