みつけた映像をいくつか
芹洋子
しょっぱなからスケールの大きいサウンド。高らかな金管楽器、合唱団。派手に鳴り響くドラムス、シンバル。
芹洋子の歌唱はまろやか、すっと入ってきます。間奏はコーラスの「ルールル……」。「秋」のところで芹洋子がステージセットを降りていき、ろうそくを持った人たちが彼女のうしろに入ってきます。歌謡祭か何かの番組だったのでしょうか、歌手やミュージシャン然とした個性的な人たちがろうそくを振っていて気になりました。このコンサートのほかの出演者だったのかもしれません。見る人が見れば、それぞれどれが誰なのかおわかりになるのでしょうか。最後のコーラスは歌詞でなく「ランララ……」で大団円のフィニッシュ。
後半は前半と同じ映像にオリジナルの音源を重ねたものでしょうか。
ザ・ドリフターズ
ザ・ドリフターズ。まともな『四季の歌』はなかなか聴かせてくれません。『四季の歌』というタイトルの「曲」ではなく「コント」のよう。こういった、グループでのフル生演奏の音楽コントは意外と古今東西をみまわしても貴重かもしれません。時間を経た今、私が見ても笑えます。ドリフは耐用年数ある普遍の笑いだと改めて実感しました。最後にようやくワンコーラス(たったのワンコーラスなのに……)演奏しきった爽快感。勢いにのって体操コントのおまけつき。バシっと決まって気持ちいい。オチはちゃんとスカすのがお約束か。
曲について
荒木とよひさ作詞・作曲。1960年代、荒木とよひさが19歳くらいのときのことだそうで、彼がスキーをしていて骨折し入院。入院生活が長引いた大怪我だったといいます。病室にギターを持ち込んで作詞作曲したのが『四季の歌』。看護師らにこの歌をおくり、それが広まったといいます。春の部分のワンコーラスを書いて以降、ある程度時間の幅を経て四季にわたる歌詞を完成させたそうです。
彼の知らないところでも詠み人知らずのまま歌の評判は波及、ついにはレコード化へ。そのときに彼が名乗り出る(知人らの後押しで)という順番だったとか。この曲が彼の作詞(作曲)家のスタートです。
たくさんの歌手に歌われてきましたが芹洋子のヒットが大きいようで、今の私が容易にアクセスできる音源においても芹洋子版の歌唱が確かです。私の持っている複数の歌本(Cメロ譜集)にもこの曲が掲載されています。歌いやすいメロディが、歌をより広がりのあるものにしたのでしょう。
プロ発信の歌が大衆に受け入れられていつしか愛唱歌に変わるケースはもちろん多いと思いますが、もともと口伝(くちづ)ての歌が商業音楽に拾われて広められ、ふたたび大衆のあいだの歌に帰化する、それも浸透しきったときには当初よりもはるかに大きな規模で広まるということもしばしばあるようです。このような広まり方の例でいうと私は金子詔一作詞・作曲の『今日の日はさようなら』、京都竹田民謡『竹田の子守唄』を思い出します。前者の曲の規模を大きくした立役者は森山良子、後者は赤い鳥でしょう。
ソングライター目線でみるメロディの妙
順次進行を中心にしたなめらかな音程の移ろいを中心に紡がれる、シンプルなメロディ。使用音域はなんと短6度。Dm調として、レ〜シ♭の声域が出せれば歌えるのです。この歌いやすさは驚異。身近な童謡をあれこれ思い浮かべてみても、なんだかんだ少なくとも1オクターブ(8度)超は使用してしまっているものも大変多いです。あの『ふるさと(故郷)』(♪うさぎおいし……)ですら、使用音域は1オクターブ+長2度(長9度)。『四季の歌』は、商業歌としての側面を持つ曲としてダントツの音域の狭さ。歌いやすさは大衆の親しみやすさに直結します。わらべうたの類まで含めて並べれば、「ほ・ほ・ほーたるこい」などは完全5度におさまりますし、たった2音(長2度)でうたえるものも中にはありますが、あくまで商業歌としてのキャリアを含めた作品でみると、短6度という使用音域の狭さは驚異です。
詞について
〇〇(季節の名前)を愛する人は……(中略)……僕の〇〇(人を指す名詞が入る)という形式で1〜4番が書かれています。
1番
“春を愛する人は心清き人 すみれの花のような僕の友達”(『四季の歌』より、作詞・作曲:荒木とよひさ)
特定の友達を「すみれの花のようだ」と思った経験が私にはありません。詩的ステキセンスです。「春を愛する、心の清い人」で思い浮かぶ友達が私にいるかしら……? 春を愛しているのがわかる兆候って、友達付き合いの間で考えたらどんなことでしょう。お花見が好きで、一緒に飲んだり食べたりを共にしたことがある、とかでしょうか。日常生活で「おれ、春を愛しているんだよねぇ……」という会話になるのはなかなか考えにくいです。いえ、そういう友達、私は欲しいですけどね。
2番
“夏を愛する人は心強き人 岩をくだく波のような僕の父親”(『四季の歌』より、作詞・作曲:荒木とよひさ)
波にはかたちがありません。というか変幻自在です。というか、波に意思があって自由にその姿を変えるというわけではないと思います。そんな波でも、10年?100年?1000年?どれくらいかわかりませんが、長い時間打ちつけ続けることで、頑強に思える磯や断崖の岩さえも削ります。それを父親にたとえるところが詩的ステキセンス。岩のような父親ではなく、岩をくだく波のような父親だなんて! 私もなりたいかも。
3番
“秋を愛する人は心深き人 愛を語るハイネのような僕の恋人”(『四季の歌』より、作詞・作曲:荒木とよひさ)
ハイネというのはドイツの詩人だそうです。その詩が作曲家たちの作曲の題材になった例も多いといいます。また、恋の詩の大家でもあるとかないとか。もし恋人が、愛を語るハイネのような人だったとしたら……ハイネがどんな人か私はよく知らないのですが、愛の語られ方によってはちょっとメンドくさい人と思うかもしれませんが、私の想定を超越した詩的ステキセンスで迫られたら、惚れてしまうかも?
ちなみに、荒木とよひさの作詞は、1番の友達と3番の恋人が反対だったそうです。作詞者になった気持ちでその順序のオリジナルを味わうと、なんとなく納得感がある気がします。本当に気の合う友達とならば、理屈を捏ねて詩を談義し合うのも良いかもしれません。誰かをすみれの花にたとえる表現は、友達より恋人のほうがしっくり来ます。
作者が意図した作詞と語句の位置が反対になってしまったのは、口伝てで歌が広まる過程でそうなってしまったといいます。荒木とよひさは、大衆に定着してしまった間違った方の歌詞を尊重してそのままにしたとのこと。それもまた、ひとつの詩的ステキセンス。
4番
“冬を愛する人は心広き人 根雪をとかす大地のような僕の母親”(『四季の歌』より、作詞・作曲:荒木とよひさ)
寒さが厳しく、実りの乏しい冬(という季節)は嫌われても仕方ない。そんな冬にさえ慈愛をかけられる人は、確かに心が広いかもしれません(そんな意味は込めていないかもしれませんが)。
母親は、胎盤でつながった赤子に栄養をおくります。母親の体温で、赤ちゃんはずっと過ごしやすい環境でいられます。温もりをあたえる母親の比喩として根雪をとかす大地のようなという表現はまさに詩的ステキセンス。
誰しもが、誰かの母親になるわけではありません。自分の子にとってのみ、その人は母親であって、お互いは特別な(かつ普遍の)存在なのです。
多くの母親は子を特別に思う瞬間があるでしょう。ある意味、子に対してだからこそ(子を思うからこそ)発揮できる行動力を持っているのです。それは、ときに私の目に執拗なまでの情熱にも似て映ります。それは必ずしもお互いにとって快適なものとして現れるとは限りませんが、それもまた、根雪をとかす大地のような……という形容に沿う、温もりの比喩なのかもしれません。
5番
“春夏秋冬愛して僕らは生きている 太陽の光浴びて明日の世界へ”(『四季の歌』より、作詞・作曲:荒木とよひさ)
この部分は芹洋子はラララで歌っています。5番まで歌詞で歌って音源化した歌手がいるのかどうか、今日の時点での私にはわかりませんでした。
5番の前半の一行はことばの音の数が多く、メロディへのハマりの面でやや余る印象です。一番ヒットした芹洋子がラララで歌ったから一般の愛好者にもラララで普及したというのもあるかもしれませんが、そもそも芹洋子の制作の時点で積極的な選択の結果ラララがよろしいと判断したからなおさらそのように「いい形」が広まったのかもしれません。もちろん5番がよろしくないというのではありませんけれど、『四季の歌』なのだから歌詞は4番までに収まるのがわかりやすく、きまりがいいように思います。
5番の歌詞は抽象度高め。春夏秋冬を総ざらいして総論してふわっとさせた印象です。愛しても愛さなくても春夏秋冬は生きていれば巡る。(ならば愛したほうが良い、か。)一年を通して、その季節なりの陽光があり、世界はいつも明日へと向かうのです。
感想
とてもシンプルなメロディですし、ことばも普遍的な語彙に思えて、この曲を深く味わうことで何が見えてくるのか不安がありました。私が昔から持っている歌本にもあたりまえのように載っていましたし、存在を「知っている」で済ませてしまってスルーを繰り返してきた曲のひとつだったかもしれません。
いざ味わってみると、その親しみやすさ、たとえば音域が短6度で歌えてしまうといった具体的な要素への気づきがありましたし、歌詞もさまざまな思考を許す懐の深いものだと思い知りました。人々の口から口へと、耳を通ってまた口へと広まっていったという歌の来歴にも納得です。何より、改めて味わってみるとその詩的ステキセンスを思います(しつこい)。
青沼詩郎
ご笑覧ください 拙演