MV?

歌手名と「1ST.RECORDING」と伝えるイントロダクション。中央にほかでもない斉藤由貴が立ち、譜面台は手前に、マイクは額のやや上に。ドーナツ状の大きなイヤリングもしくはピアスが終始小刻みに揺れます。両襟に大きな赤い花があしらわれた独特な淡いピンクのニット。基本、録音スタジオで斉藤由貴が歌っている映像をひたすらにという感じですが、歌のないところで目元に手をやったり視線を動かしたり、何某かの彼女の身振りの様子が挿入されるなど、ちょっとした演出もみられます。1サビに入る前でカメラがズーム、のち上方向にパンしてマイクが画面いっぱいになり光に向かって寄って次のシーンにクロス。2サビに入る前では反対に下方向にカメラがパンし、横2段で画面の端から端まで並んだエンジニア側のレベルメーターの針が振れる様子が映されます。実際の収録現場であることを伝えるものでしょうか。目をそらせなくなるような斉藤由貴のカメラ目線とともに白フェードでフィニッシュ。

曲について

斉藤由貴のシングル、アルバム『AXIA』(1985)に収録。作詞:松本隆、作曲:筒美京平。編曲は武部聡志です。

斉藤由貴『卒業』リスニング・メモ

イントロのリフレインが何より印象的です。アタマが休符になっており、イキナリはじまるので休符のつぎの最初の音符がアタマかと一瞬錯覚しますがそうではありません。しかも音列のうしろのほうにも休符がいます。なおさらどこが強拍なのかをはぐらかされます。そのまま3小節目でアコスーティックギターなどのリズムが強拍で入ってくることでようやく拍のからくりがわかってくる感じです。曲のドアタマで最初の音符を前にはみださせたり後ろにずらしたりする、すなわち弱起で拍のカウントポイントがわかりづらいはじまり方をする曲の例を最近の私の個人的な好みでいうと斉藤和義『Boy』くるり『愉快なピーナッツ』などが思い浮かびます。

イントロの拍を勘違いさせるシンセのベルのようなトーンの背景には、左にチチっというハイハットの音、右側にごく軽いスネアのようなタシタシいう音とチュンチュンいうシンセの音が聴こえます。チュンチュン音は朝の小鳥っぽいです。

アコースティックギターの音はワイドな音像。複数のトラックが入っているでしょうか。ヒラウタでは16ビートの移勢をまじえたアルペジオ。はじめの小さな間奏のところではエレキでやってもよさそうなカッティングを入れている感じもします。

ドラムスはドン、タスと非常に拍をとりやすいパターンですが、先ほどの拍を勘違いさせるシンセが鳴る小さな間奏でドン、タ、ドン、タタとちょっとパターンをかえます。クラヴェス、タンバリン、トラインアングルなどパーカッションの類もリズムを彩ります。

ベースは1・3拍目でオモテをとりつつそれ以外のところで16のウラをとってグルーヴを出しています。

ヒラウタがなおもつづく2Aメロ?のようなところではストリングスがふぁ〜っと目立ってきます。サビ前やサビ、間奏の終わり際などではフルートのオブリガードもいい出具合です。フルートと金管の重奏パターンもみられます。

長めの間奏は鍵盤ハーモニカでしょうか。マイルドで滑らかな音色の演奏です。へたなたとえですがパリの路上かしらという感じ。「卒業」の学校のイメージよりずっと垢抜けて都会的なソロだと思いました。

3Aメロ(1サビ・間奏終了後のヒラウタ)ではバッキングが16の下行をくりかえす細かいパターンがあらわれます。シンセなのでしょうけど、このトーンはなんなのでしょう、あまり聴いたことがありません。シンセで鳴らした木管のような金管のような弦のようななんともいえない中間的なトーンです。メロトロンのようでもありますね。

メインボーカルはすーっと長め・深めに残響する、大きめのホールを思わせるお化粧づけです。サビでhu、間奏でahなどといった感じの玄人っぽいコーラスが入ってきますね。

全体的にプログラミングやシンセのお仕事がサウンドの屋台骨です。トーンの数、パターンなどが多様。歌手の個性を潰さないように、生演奏の情報量をおさえるのも手法のひとつかもしれません。また1985年という時代も、シンセやプログラミング(打ち込み)の技術や手法、ノウハウが日本でも充実してきた頃なのかどうか?(このへんは知識がなく想像の域を出ませんが)

歌詞

ああ 卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう でももっと哀しい瞬間に涙はとっておきたいの(斉藤由貴『卒業』より、作詞:松本隆)

この、「卒業式で泣くよね?同調圧力」みたいなものに共感した人、多いのではないでしょうか? 私は卒業式で泣かなかったし、「泣かないと冷たいと思われそう」とも思わなかったので共感とは違いますが、そういう同調圧力(圧力が言い過ぎでしたら同調要求?)の存在を歌詞にはっきり描いたことはさすがのさすがでさすがの松本隆です。解像度の高い感性だと思います。この歌詞を、少女の見た目をした、デビューの斉藤由貴が歌ったわけです、冒頭にリンクした映像のように、カメラをまっすぐと見つめて。

“でももっと哀しい瞬間に涙はとっておきたいの

まるで、本当にもっと哀しいことを知っているかのような口ぶりです。そう、素顔の松本隆ならばきっと、卒業式のときなんかよりももっと、本当に涙が流れるべくして流れる瞬間を知っていそうです。これを斉藤由貴が歌うことで、その達観と見た目の差異がフックになるのです。いったいこの純真そうな少女の心の海はどれほど深いのだろうか。そう思わせます。

“離れても電話するよと小指差し出して言うけど 守れそうにない約束はしないほうがいい”(斉藤由貴『卒業』より、作詞:松本隆)

これもリアリストの顔です。「約束なんてやぶってなんぼだ。甘いことを口で言うけど、現実はそうじゃないってみんなわかってるだろう? だから、リップサービスでもなんでも、理想を夢見て、聴いていて気持ちのいい言葉だけを交わしあおうぜ。それがたとえ実現しなくたっていいじゃないか……」などという同調圧力に屈してしまっては、決して言えないせりふです。守れそうにない約束はしないほうがいい。正論です。もちろん、約束をすることでそれに向かって努力できるとか、「約束」の良い影響に目をつむるわけではないのですけれどね。

感想

つかみもフックもばっちりの垢抜けた音楽(筒美京平、武部聡志)に、感性の解像度高い、現実を穿つことば(松本隆)。それをどこまでも透明に伝える歌手、斉藤由貴。卒業という主題を永遠に吹き込んだような1曲です。

青沼詩郎

『卒業』を収録した斉藤由貴のアルバム『AXIA』(1985)

ご笑覧ください 拙演