青空がみえない日もある。空はうつる、いろんなところに。

私と『青空』

私は自分の歌にコンプレックスがありました。高い声が出ず、ピッチも不安定でした。声色も、くぐもっていて響かない。歌がうまい人がうらやましかったです。

中学生になったとき、エレキギターを始めました。入学した学校ではギターをやる友達に出会い、デュオで演奏しました。歌は、主にそちらの彼が担当しました。

高校に入学して、バンドを組みました。私はやはりエレキギターを弾きました。ボーカリストがいるバンドでしたが、そのボーカリストがやがて脱退するとスリーピース編成でベーシストが歌うようになりました。

いつしかバンドのオリジナルをやるようになり、コンプレックスを抱えつつも私はギターボーカルとして歌うようになりました。

好きになる曲があっても、自分にはキーが高くて、あるいは音域が広くて歌えないものが多くあります。でもザ・ブルーハーツの曲には、私に歌える高さ・音域の広さのものがいくつかありました。ザ・ブルーハーツの曲は、当時、私と同じ軽音楽同好会にいた、私が羨み・敬う友人たちも歌っていました。彼らは至極真っすぐに歌っていて、すごくかっこ良かった。今でも歌声が脳裏に焼き付いています。

その頃と時期を近くして、香取慎吾主演のドラマでザ・ブルーハーツの『人にやさしく』が使われました。それをきっかけにこの曲を知って、高校のときにこの曲を私もバンドで歌いました。

コンプレックスと同居しつつも私は歌を続けました。自分の声との付き合いが命題でした。難しいから、悔しいからその後も続けたのかもしれません。

大人になって、吉祥寺のカフェで知り合ったある友人が結婚したとき、そのご夫婦の結婚パーティで演奏してほしいと呼ばれました。そのときに私はザ・ブルーハーツの『青空』を演奏しました。

地元のローカルイベントに誘われたり自分で出て行ったりして出演する機会があったときにも、この『青空』を選んで歌うことがありました。

この曲が発表された当時を同時代に共有していた人にとっては思い出でもあるでしょうし、私のように少しずれたタイミングで影響を受けた世代もあるでしょう。それでいて、ザ・ブルーハーツを、この曲をまったく知らない人にも聴かせたい歌でした。この曲の良さは伝わる。歌詞も音楽も、心を揺さぶる。だから、私はあなたたちの前で演奏したい・歌いたい。そう思わせる強さ、優しさ、厳しさ、儚さがあります。それが、この『青空』という曲。

THE BLUE HEARTS『青空』についての概要

・彼らの3つめのアルバム『TRAIN-TRAIN』(1988)に収録
・シングルカットされる(1989)
・作詞・作曲、真島昌利
・「あおいそら」という読みだが「あおぞら」として定着、浸透した
Wikipediaより)

THE BLUE HEARTSは2020年(この記事の執筆時)で結成35周年なんですね。
https://natalie.mu/music/news/387064

青沼詩郎

ご笑覧ください 拙演