映像 太田裕美

バンドをひきいています。ベーシック・リズム、キーボード、ストリングス……バック・グラウンド・ボーカルの女性がふたり映るシーンがあります。ギターソロのアーミングが大きく映ります。

観客がすっと立って静謐に聴いている印象。緊張感と集中が伝わってきます。ミュージシャンらの的確なパフォーマンスが観客の真摯なアティテュードをリードしているのかもしれません。

背景で円弧を描くセット、照明もきれいです。テレビ番組でしょうか。

夜のヒットスタジオ

ななめ右下に視線をやりながら歌うAメロが物憂げです。太田裕美本人、楽団メンバー、スタジオセットいずれも白を基調にした衣装や演出。ピアノも白です。映像の後半では紙吹雪。雪の演出でしょうか。送風機で風を送っている様子。

まっすぐかつ柔和に……伸び縮みする一本の糸をなぞるような歌唱がお見事。上にリンクした後年の映像と比べるに、太田裕美がずっとすばらしい表現と技術を発する歌手であるのにうなずけます。

曲の名義など

作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一。太田裕美のシングル(1980)。大滝詠一のアルバム『A LONG VACATION』(1981)にセルフカバーを収録。

太田裕美『さらばシベリア鉄道』を聴く(アルバム『十二月の旅人』より)

歯切れの良い鍵盤楽器?が「タッタカタッタカ……」と16分のリズムを刻みつづけます。馬が前へ前へ駆けてゆくようなリズムです。

ベース・ドラムスは四つうちのパターン。ドラムスのキック四つにベースのオクターブ上下行がはしごをかけます。サビなどパターンが変化するところもあります。

ストリングスはサビへの入りをあおる16分音符の素早い刻みが気分を盛り上げます。久保田早紀『異邦人』を思い出します。編曲はいずれも萩田光雄のようです。

エレクトリックギターのゆらめくサウンド。ソロギターの低い音がなまめかしいです。アーミングでしょうか、音程を下げて戻すようなカーブ。いやらしく、エロティック(褒め言葉として)。

ボーカルダブの話

サビで太田裕美ボイスがダブリング。ダブは音程のぶれを輪郭の幅にし、複数の声の合音を魅力に変える手法として用いられることがあります。

太田裕美の緊張と柔和を兼ね備えた技術と声質であれば、ダブはなくても魅力的なサウンドになったかなとも思います。ただ、シングルの輪郭からダブルの輪郭になることで、場面が移ろったこと、一番音楽が盛り上がるハイライトであることをはっきり提示する効果はあると思います。どのみち、素晴らしい歌声はダブってもなお素晴らしいのですけれど。

ダブ(ダブリング)は多重録音技術の賜物です。ですから、ある時代以降のポップスやロックサウンドであることを示す「はんこ」のような意味合いを含めることができます。もちろん、そんな「はんこ」の意味を超越し、ボーカルダブはいまや広く広く広く(×100)用いられているので、私が勝手に抱く思い込みかもしれません。たとえば90年代以降のシンガーソングライター……私の偏見と狭い知識で思い出すボーカルダブが印象的な好例は中村一義や斉藤和義など。

太田裕美や大滝詠一が『さらばシベリア鉄道』を世に送り出した1980年頃……これはすでに「ボーカルダブ2世代」あるいは3世代?くらいだったかもしれません。私が親しんだ1990年代に出てきた表現者たちのボーカルダブはすでに4世代や5世代かも?

太田裕美や大滝詠一の『さらばシベリア鉄道』の話に戻します。彼らもまた音楽を愛し、研究しつづけた人たちの筆頭。ですから、ダブサウンドをつかって、1980年頃までに流行中・あるいはすでに流行済みだったサウンドへのリスペクトや歩み寄りが表れたのかな……と勝手ながら思います。

大滝詠一『さらばシベリア鉄道』を聴く(2021年版の『A LONG VACATION』より)

空気の冷え、寒さが伝わってきます。

エレキギターが悲しげなのです。帯域に空間があるのでしょうか。ベーシック・リズムに乗っていても、なお孤独です。

大滝詠一のボーカルも冷感冴え渡っています。彼のボーカルに私はたびたび「冷たさ」を感じます。なぜでしょう。透き通っています。音へのこだわりの賜物でしょうか。

ビブラスラップ(リンク>民音音楽博物館)が可笑しいですね。『君は天然色』でも要所で使われていました。「カーッ!」と鳴る打楽器です。

「プシー!」と、圧力をかけた空気が抜けるような音。太田裕美のバージョンにも確認しました。消火器の音みたいだなと思いました(実際に消火器の音を聞いた経験がそうあるわけでもないのですが)。ひょっとすると、鉄道、すなわち機関車の表現でしょうか。

エレキギターソロの低音はやはりなまめかしく、つやっつやです。気色悪いくらいの絶妙(褒め言葉です)。

鍵盤楽器?でしょうか、タッタカタッタカ……のリズム表現は太田裕美版からさらに、ますます軽快に感じます。金属を引っ掻いたようなサウンドです。ハンマーに画鋲を打ったアップライト・ピアノだとWikipediaにあります。本当でしょうか。ユニークなサウンドを追い求める姿勢に感服です。私が楽器のオーナーだったら涙をのんでこらえるところかもしれません。

ネタ元? ジョン・レイトン『霧の中のジョニー』

ジョン・レイトン『霧の中のジョニー(Johnny, Remember Me)』。なるほど、よく似ていますね。タッタカタッタカ……といったリズムの押し出し感。マイナーの物憂げなくぐもった情感。中間の印象的なリズムのキメはほぼそのまま。オマージュは、オマージュ元をわかってもらえてナンボです。真似るならきっちり真似る。後継の作曲者に大きな学びと習熟をもたらすと思います。筒美京平も、高精細に真似る達人ではないでしょうか(『サザエさん一家』(宇野ゆう子)『Bubble Gum World』(1910 Fruitgum Company)が似ているという話を思い出します)。高度に真似れば、音楽のクオリティの高度さも再提示できます。こうして音楽が受け継がれ、先達が至った高みから、さらなる高みを目指せるのですね。スタート地点が、どんどん進んだ方向へ更新されていくイメージです。そこからならば、さらに遠いゴールに到達できるはずです。

ギターリフの増2度

大滝詠一はEm調でパフォーマンスしています。「ミー、シ、ドー、レ♯ー……」のきっつい「訛り」のようなギター・リフのメロディ。『さらばシベリア鉄道』の特徴のひとつです(偏見ですが、「北」と「訛り」のあいだには切っても切れない縁を感じます)。クラシック・ピアノや種々の旋律楽器の学習者の多くは「和声短音階」として親しんだ(?)音程ではないでしょうか。音階のⅵとⅶの音程が増2度です。短3度と距離はほぼ同じはずなのに、こうもブルージー、悲哀に満ちて聴こえるから不思議です。北の寒さ・厳しさを感じる節回し。眉間に皺が寄っちゃう感じです。

リズム形ずらし

鍵盤?が軽妙に演奏し、曲を構成する基本リズム「タッタカタッタカ……」。ですが、曲のなかば頃にある(大滝詠一版なら2分11秒頃にある)リズムのキメのパターン。バンドみんなでド派手にキメるところです。

「タッタカ」のリズム形はそのままに、まとまり方がズレています。コード・チェンジ・ポイントをズラしたのですね。「タカター」と聴こえます。

リズム形やメロディの断片は、曲の遺伝子みたいなものかもしれません。それらが、どこにどうあらわれるかで、まるで印象が変わります。ちょっと位置がずれるのでも全然違ったツラ構えになるのです。同じモチーフの現れるタイミングが半拍ずれただけでも……。同じ父と母から生まれた兄弟のはずなのに、顔が全然違ったりするのに似ています(違う?)。

くるり『野球』を味わったときにもこのブログに書きました。曲を構成するモチーフ、断片。パーツ。そうした個々の遺伝子をいろんな背景でいろんなふうに登場させ、活躍させることで、その曲は、アイデンティティすなわち個性の認識しやすさを保ったうえで、色彩や表情を豊かにすることができます。

古今東西のすぐれた作曲家、ミュージシャンらの手法を思います。私の敬愛する人たち。

歌詞

1番

“哀しみの裏側に何があるの?”(『さらばシベリア鉄道』より、作詞:松本 隆)

哲学の問いのようです。小説の扉ページに引用された、本編とは直接関係の薄い序文のようでもあります。

この「問い」の一行を読み飛ばしても、歌詞の物語は成立しているような気さえします。

愛と憎しみは表裏一体だと仮定します。エネルギーの発露が、光陰あるいは正負、どちらに転ずるかの違いだけだとしたら……

哀しみと、根源を分かつものはなんでしょう。

喜びでしょうか。「歓び」とつづりましょうか。命がはじまる歓び。その果ては、命を終え、星に返す哀しみ。

音の波と書いて、音波です。波の高い・低いの形が正反対の音を同時に出すと、打ち消しあって無音になります。ノイズキャンセリング・ヘッドフォンのしくみと同じです。

歓びと正反対の哀しみがあったら、打ち消しあって、しんと静まった水面のようになるのかもしれません。

“涙さえも凍りつく白い氷原 誰でも心に冬をかくしてると言うけど あなた以上冷ややかな人はいない”(『さらばシベリア鉄道』より、作詞:松本 隆)

寒気がするほど冷感を聴く者に与える臨場感です。どれだけ冷たい人なの、“あなた”は!

恥ずかしながら、“誰でも心に冬をかくしてる”は、私はこの曲で初めて聞いた表現です。あなたもあの人も、どなたも……心に冬をかくしてるんですか? かくいう私はどうか。物事を「冷視」することが確かにあります。感情の一時的な昂りを軽蔑する自分を感じることがあります。それは、感情が醒めてしまったときのちっぽけで貧相な心を、不安と孤独が包むのを学習してしまったからかもしれません。ああ、確かに。私も心に、冬をかくしているのかも。

“君の手紙読み終えて切手を見た スタンプにはロシア語の小さな文字 独りで決めた別れを 責める言葉探して 不意に北の空を追う”(『さらばシベリア鉄道』より、作詞:松本 隆)

主人公は、相手から一方的に別れを告げられたのでしょうか。ロシア語圏にいる、その独断の人からの手紙、という状況か。

責めたい気持ちだけれど、瞬時に責め言葉が爆発するのでもない。「探す」程度の刹那はあるようです。

“不意に”の乗せ方が音楽的です。音程も最高潮、強起。「ふ」を発音してすかさず「い」へと滑るように流れる……真似して気持ちのよい発声ではないでしょうか。太田裕美も大滝詠一も歌声が乗り、響いている部分です。

遠く離れた国どうしだったら、そちらの方角に視線をやったからといって相手が見えるわけではありません。ですが、ついそれをしてしまう理由があるとしたら……?

“伝えておくれ 十二月の旅人よ いついついつまでも待っていると”(『さらばシベリア鉄道』より、作詞:松本 隆)

渡鳥を私は想像するのです。あっちに渡っていくおまいさんたちよ、どうかあの人に伝えてくれ……と、随時通じ合えない現状から遠く離れた「あったかもしれない現実」を儚く思う気持ち。

十二月に、主人公のいるであろうところから、君のいるであろうおそらくロシア語圏へ渡る鳥が存在するのか? どちらかといえば、寒さの厳しい季節には北を出発して南へ渡っていく鳥のほうが現実としては想像し易いです。

“十二月の旅人”が何を指すのか。正解はないでしょう。現実にはありえない渡鳥が、歌の世界に棲息していても構わないのです。もちろん、渡鳥でなくとも良いわけです。北へと吹き抜けていく風かもしれませんし。

2番

“この線路の向こうには何があるの?”(『さらばシベリア鉄道』より、作詞:松本 隆)

歌の世界を飛び出てみましょう。現実の話です。シベリアに、長い鉄道があります。9000キロメートルを超えるそうです。モスクワ・ヤロスラヴスキー駅からウラジオストク駅まで、約7日間かかるそう。世界でいちばんおおきい大陸を縦断する、島国の私からしたらケタ違いの規模の鉄道です。

そんな鉄道の行く先には、どんな景色があるのか。気が遠くなる規模。想像を絶する未来の景色。問いたくなるのも素直な気持ちだと思えます。

画像左手の黄色点がモスクワ、赤線がシベリア鉄道、画像右手の黄色点がウラジオストクのイメージ図。

“雪に迷うトナカイの哀しい瞳 答えを出さない人に連いてゆくのに疲れて 行き先さえ無い明日に飛び乗ったの”(『さらばシベリア鉄道』より、作詞:松本 隆)

トナカイに主人公が重なります。“行き先さえ無い明日”は、その長さゆえに、決して一度に見通せないほどに遠く続くシベリア鉄道と重なります。答えを出さないトナカイの主人は、“君”の比喩でしょうか。

“ぼくは照れて愛という言葉が言えず 君は近視まなざしを読みとれない 疑うことを覚えて人は生きてゆくなら 不意に愛の意味を知る”(『さらばシベリア鉄道』より、作詞:松本 隆)

口に出す「愛」があっても良いです。でも、黙す「愛」があっても良いのでは。軽薄な関係づくりを遠ざけるための防衛機構。それが「照れ」の正体かもしれません。

「近視」は歌の言葉としては珍しいです。「近視」という単語が歌詞に含まれるポップスを私はほかにひとつも知りません。音読みの単語はカタい響きがします。たまに含まれていると、ときに良い裏切り・引っ掛かりを生み、変化を演出できるかもしれません。どこを見て、何を考えているのかわからないパートナーを喩える言葉が「近視」なのだと読み解くのも面白いです。

防衛機構として、疑うことを覚えてしまう……何かを経験し、学ぶことで、望ましく無い結果の兆候を察知し、(それを極力避けるために)それまでにはしなかった反応をするようになることがあります。

それと直接関係あるかなしか? 簡単には知れるものではなさそうな、重大なものに思える一面も確かに「愛」。一方で、なんの気もなしに、あるとき急にその存在を実感し、非言語・非論理で理解・体験するもの、それも「愛」かもしれません。“不意に愛の意味を知る”は絶妙に端的で、おそろしく鋭敏に愛の本質をとらえています。

後記

愛の本質を認めつつ翻弄され、未来が途方もなく遠ざかった心象。「シベリア鉄道」は寒く、痛く、冷たく、孤独で虚ろ。

苦難がいま目の前にある物語……にも思えますが、「さらば」とタイトルにあります。私が思うよりも、実際の歌の世界や主人公らは、現実をずっと客観しているのかもしれません。

確かに、それくらいの距離……少し離れて見ているような平静さを歌詞や曲想は提示しているようにも思います。

一方、ときに派手でゴージャスなアレンジメント・演奏が曲想の哀愁の対比になっています。大瀧流・音楽コメディセンスで笑わせに来ているんじゃないの? と思うほどに、ある意味大仰さを感じる瞬間すらあります。ビシバシとキメまくる、大小の打楽器や効果音の波状攻撃(ティンパニ、ビブラスラップetc.……)しかり。ですが、壮麗で洗練された音づくりが品性を保ちます。

『ロンバケ』40周年に達しています。シベリア鉄道が今日に渡り枕木を震わせ続けるように、遠い未来まで響く音楽。寒くよく晴れた冬は、音を遠くまでよく伝えるそうです。大瀧サウンドは澄み、今日の冬空にも鋭く冴え渡ります。

青沼詩郎

『さらばシベリア鉄道』を収録した大滝詠一のアルバム『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』(2021年。オリジナル発売:1981年)

『さらばシベリア鉄道』を収録した太田裕美のアルバム『十二月の旅人』(オリジナル発売:1980年)

ご笑覧ください 拙演